2020年05月07日01時22分掲載  無料記事
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批評家モーリス・ナドーがロラン・バルトに切り込んだ対談「文学について」( sur la littérature)

  新型コロナウイルスで外出を控えている昨今、長い間、読めずに積んでおいた本を何冊か手に取りました。1冊は、正味40数ページの対談なのですが、第二次大戦後、フランスで活躍した批評家・編集者のモーリス・ナド―が構造主義の大物の一人、ロラン・バルトにインタビューを行った対談の文字起こしです。ロラン・バルトと言えば、最初に読んだのは「零度のエクリチュール」という本でしたが、わかったような、わからないような。当時は構造主義に疎かったこともあって、十分に理解しきれませんでした。その後も、「物語の構造分析」とか、「記号学の冒険」、「神話作用」、「新=批評的エッセー〜構造からテクストへ〜」、「エッセ・クリティック」などなど、いつか読もうと書棚に積んでいたものの、事情で転居する際に、ほとんど全部未消化のまま、処分してしまいました。どうも、ロラン・バルトと相性が悪い、というか、単に僕の頭脳の粗雑さゆえかもしれないですが、不幸な関係が20年来、続いていました。文庫版の日本論の「表徴の帝国」とか、「エッフェル塔」などの与しやすそうな、写真豊富なエッセーでもダメだったのです。何を読んでもさっぱり理解できない・・・・。 
 
  ところが、です。新たな住まいで改まった本棚を見ていると、一冊本当に小さなパンフレットに過ぎない程の薄さの本書「文学について」を見つけました。フランス語の原書です。パリの古書店で1ユーロくらいで買ったものでしょう。裏に張られた値札には25フラン、1989年とありました。出版されたのは1980年で、グルノーブル大学出版です。グルノーブルと言えばフランス南東部のアルプス山脈の周辺に位置し、スイスやイタリアにも近い位置にある地方大学です。日本で教鞭を執っている知り合いが以前、グルノーブル大学で日本語を教えていたこともあり、この大学は地味ながら様々なシンポジウムを開いたりして、文化的な発信をしている印象があります。本書も想像に過ぎませんが、パリから2人の知識人を招いて講堂で対談をした時の記録なのかもしれません(※)。1980年と言えばバルトが亡くなった年です。 
 
  本書を読んで僕のバルトへのアレルギーが少なくとも対談という形、話し言葉の形においては雲散霧消できたのは幸運でした。対談は「文学の危機」とはいったい何なのか、という話から入って、文学とは言語世界における単なる「反復」に過ぎないのか、それとも作者の創造世界なのか、みたいなところが導入にあり、ここでモーリス・ナド―が「作者の死」という、よく知られたバルトのテーゼに対して反論というか、突っ込みを繰り返し入れていくわけです。やはり、本書の価値はまったくもってモーリス・ナド―の突っ込みにあります。難解な文学用語や哲学用語は用いず、普通の言葉で質問を繰り返して、バルトの考えを明確に聞き出していくのです。「テクスト」という言葉にバルトが何を込めているかも、まったく明快に語られています。また、文学が快楽であり、倒錯あるいは退廃であるのは「それが子供を産まないセックスと同じような意味で、快楽であるから」と、これもまた非常に明快でした。 
 
  さらに言えば、バルトが文学に大衆的な面白さを一方で求めており、ブレヒトの演劇のような文学を求めていた事、あるいは19世紀のフランス文学がエミール・ゾラに代表されるように現実をかなり描いた多くの文学作品があり、そこにバルトが関心を抱いていた、ということ。どれをとっても、僕には興味深い言葉で、読み終えてみると、いったいなぜこの作家がこんなに長い間、日本で本を手にこそすれ読めなかったのか、ほとんど理解できないくらいです。実際に聴衆を前に、すぐに理解されないといけない言葉で語られるのと、時間をかけて読んで考えてもらうように書かれた書物との違いがあるのかもしれません。ネットでさっと見る限り、本書が日本で翻訳されている、という情報には未だ接していません。選集みたいな形でどこかに収録されているのかもしれませんが、少なくとも書店で目立つところにはないはずです。でも、本書は、もしかすると原文で読んだことがよかったのかもしれませんが、読んでおくとロラン・バルトの思想の核が非常によくわかる気がします。やはり、フランスには思想家だけじゃなくて、すぐれた批評家が存在したのだな、と思いました。40年遅れの読書です。本当、本書はロラン・バルトへの最良の入門書ではないでしょうか。 
 
 
※モーリス・ナド―の息子、ジル・ナド―(映画監督)へのインタビュー(父親モーリスの仕事をつづったノンフィクションの新刊書「文学ジャーナリズムの60年」を出した際) 
https://www.youtube.com/watch?v=k-ADKSSocxY 
  フランスの戦後屈指の編集者・批評家を招いた会。モーリス・ナド―はパリ解放当時、レジスタンスの「コンバ」紙で批評活動をしていたが、そこでカミユやバタイユ、ジュネ、アンリ・ミショーなどの作家や詩人らと交友していた。サドの作品の編集と再評価を行い、検閲には生涯、反対を続けていたようだ。もしかすると、批評家と言うより、文学ジャーナリストと言った方がよいのかもしれない。 
 
 
※「文学について」の注釈に、この対談は1973年3月13日にラジオ局のフランス・キュルチュールで放送されたものの抜粋を書き起こしたものであると書かれていた。「文学はどこへ行く?」というタイトル。対談した場所はスタジオなのか、会場なのかは不明。 
 
 
■フランスの哲学者マチュー・ポット=ボンヌヴィル氏のエッセイ集「もう一度・・・やり直しのための思索」を刊行します 
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