2020年05月16日18時08分掲載  無料記事
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ミテフスカ監督の映画「ペトルーニャに祝福を」を見る  宇波 彰(うなみ あきら):明治学院大学名誉教授

  かなり時間が経過してしまったが、去る2020年1月14日に,私はミテフスカ監督の映画「ペトルーニャに祝福を」(2018年)を試写で見た。北マケドニア、フランス、ベルギー、クロアチアの合作映画である。ヘミングウェイに「Men without women」という作品があり、「男だけの世界」と訳されている。この映画は、「男だけの世界」であると規定されていたらしいキリスト教の行事に、ペトルーニャという女性が「侵入」するという物語である。 
 
  聖なる川に青年たちが入って、司教が投げ込む小さな木の十字架を競って取ろうとする。そこへペトルーニャが突然に参入し、その十字架を手にする。さてどうなるか?彼女はフェミニズム思想の宣伝をする人ではなく、普通の女性である。年は30を越えたが、仕事がなく、その日も就職活動にでかけでいた。彼女を送り出した母親は「年は24というのだよ」と教える。しかし、縫製工場で秘書の仕事を求めた彼女の「就活」はうまくいかなかった。もっとも、面接の失敗が、十字架奪取という彼女の行動と繋がっているわけではない。彼女に「十字架奪取」をさせたものは何か?それがこの映画の中心にあるテーマだと私は思った。 
 
  それにしても、この映画には、私の好奇心をそそる多くの論点がある。第一、なぜこの映画は「北マケドニア、フランス、ベルギー、クロアチア合作」なのか?想像するならば、フランス、ベルギーは資金の面で協力であろう。クロアチアは、旧ユーゴスラビアでは北マケドニアと同じ国に属していたから関係がないとはいえないであろう。それにもともとマケドニアは多民族地域である。 
 
  Barbara Jelavoch, History of the Balkans,Cambridge University Press,1983 によると、マケドニアに住む民族は、トルコ人、ブルガリア人、ギリシア人、セルビア人、アルバニア人、ワラキア人、ユダヤ人、ロマである。したがって宗教もキリスト教、ユダヤ教、イスラム教に分かれることになる。ついでながら、「ワラキア人」(Vlacks、ヴラフ人とも表記される)は、マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(伊藤新一、北条元一訳、岩波文庫、1954,p.63)にも、ちょっと登場する。ネットで調べると、ムルナウが「ノスフェラトゥ」として映画化した、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』にも出てくる民族である。 
 
  てもとにある古いアメリカの百科事典『Americana』(1965年版)のMacedoniaの項目をみると、そこにはマケドニアの地図がありはするが、どこまでががマケドニアという地域なのかがわからない、境界がぼかしてある地図であった。(またmacedoineを『小学館プログレシブ仏和辞典』(1993)でひくと、「1 <料理>マセドワーヌ 賽の目切りの茹で野菜のサラダ 2 こたまぜ」と書かれてある。多様な材料が使われているので付けられた料理の名と、「混在」という二つの意味があることばである。) 
 
  かつてのマケドニアの中心地はテッサロニキ(サロニカ)であった。パウロの書簡とも関連する。1990年頃、私はテッサロニキに行ったことがあり、そこで買い求めたこの都市の写真集がある。フレッド・ボワソナス(1858-1946)の『テッサロニキ』である。(Fred Boissonas,Thessaloniki 1913~1919,Museum of Macedonia,1988、ギリシア語、英語、フランス語による説明がある)買ったときはその写真家のことも何も知らなかったが、あとで調べるとスイスの有名な写真家だった。また、刊行したのが「マケドニア博物館」であることもあとで気づいた。これは非常に面白い写真集である。そこで写されているのは、城塞の廃墟の近くでテント生活をしているロマたち、モスクとミナレット、トルコ人の街と墓地、いくつかのキリスト教会、1919年テッサロニキ市街と港などであって、この写真集そのものが、テッサロニキのマケドニア的混沌を示しているからである。また同時に買ったもう一冊の写真集Elias Petropoulos,Old Tesalonika,Kedros,1988には、1916年にテッサロニキを空襲して爆弾を落としたが、墜落したドイツの飛行船ツエッペリンの残骸の写真もある。 
 
 男性だけしか参加できないとされてきた宗教行事に、女性が参加するというのは、多様なものを内包するマケドニア的な行動であったともいえる。川に十字架を投げ込むという行事は、ロシアにもあったらしい。ピヨートル・クロポトキンの『ある革命家の手記  上』(高杉一郎訳、岩波文庫、1974)に次のような一節がある。「毎年の一月六日には、ロシアでは、なかばキリスト教的な、なかば異教的な、川を清める儀式が行われる。………十字架が川のなかに投げ入れられるのである。このとき、桟橋の上やネヴァ川の氷の上には何千という人々が集まって遠くの方からこの儀式を眺めている。」(p.194)十字架を川に投げ入れるのは、「川の浄化」という宗教的儀礼であったということらしいが、クロポトキンは、それを「なかばキリスト教的、なかば異教的」と説明している。「異教的」とはどういう意味なのか? 
                  (2020年5月13日) 
 
宇波 彰(うなみ あきら):明治学院大学名誉教授 
 
初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2020.5.13より許可を得て転載 
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-351.html 
 
ちきゅう座から転載 


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