2020年06月20日11時36分掲載  無料記事
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石川美子著 「ロラン・バルト 〜言語を愛し恐れつづけた批評家〜」(中公新書)

  フランスの批評家で、記号論でも知られたロラン・バルトについては最近はあまり書店でも関係する本を目にすることが少なくなった。けれども私個人では、先日も書いた通り、20年来、親しむことができず、10数冊棚に積んでおくだけだったロラン・バルトの世界にあるきっかけで突然、爆発的に親しみを感じるようになった。それはグルノーブル大学出版が出した「文学について」を読んだからで、これは批評家・ジャーナリストのモーリス・ナド―とロラン・バルトの対談の書き起こしである。「文学について」は薄っぺらい本で、パリの古書店の恐らく通りに面した安売りセールの棚で1ユーロくらいで買ったものだと思う。この本は、引っ越しで処分してしまったバルトの本の中で、例外的に薄っぺらかったことが幸いして未読のまま新居に持ち越されていたのだった。 
 
  私はその時、日本でこのような本に出会ったことがない・・・みたいなことを書いてしまったかと思うのだが、ナド―との対談本がきっかけになって新たに生まれた関心から、石川美子著「ロラン・バルト 〜言語を愛し恐れ続けた批評家〜」という中公新書に出会った。これは「文学について」に劣らず、素晴らしい本だった。前言を反省して撤回したい。石川美子氏の「ロラン・バルト」のどこが素晴らしいかと言うと、バルトの思想的発展の段階を時系列で追っているのだが、その手際が鮮やかで、理解が深いということだ。私は「ロラン・バルト」を読んで、なぜバルトに長い間、親しめないでいたかもわかった。それはバルトがデビューから、次々と思想的に進化したからであり、時代時代で書くものがかなり変化しており、おそらく画家のピカソといい勝負をしているように思われた。 
 
  だから、手元の本がどの時代のバルトによって書かれた本であるかを理解しているのと、していないのとでは恐らく読書のポイントを置く上で大きく違ってくると思う。私の過去の失敗は書棚に未整理のまま、様々な年代のバルトの本が混交しており、つかみどころがなかったことにあった。石川美子氏の素晴らしさは、それぞれの本の形成過程が、いつ書かれた何篇の論文やテキストから何年に本として構成されたのかを、研究者レベルで書き記していることだ。そして、その時々のバルトの関心事項を端的に解説しているのである。だから、それぞれの本の読みどころが明確になる。 
 
 それと同時に、そうした経年変化の中で、バルトの生涯を一貫して流れるものとして、押しつけがましいものや家父長的なものに抵抗してきた作家である、ということを示していることである。そのことはバルトがなぜ、ブレヒト演劇を愛したかにも通底する。ブレヒト演劇とは押しつけがましい演劇への批評と見ることもできるからだ。ナド―との対談ではブレヒトになぜそこまでのめり込んだのか、わからなかったが、石川氏の本をよんではっきりと理解することができた。 
 
  また青年時代に結核で学業的には実力を示すことができなかったロラン・バルトを初めて世に送り出したのが、「コンバ」という新聞で当時、文芸主幹をつとめていたモーリス・ナド―だったことも興味深かった。当時未だ、どこの馬の骨かもしれない無名の新参者のバルトのテキストに<なにか新しいことを言おうとしている>と直感して、ナド―は勇気をもって掲載したのである。論文は難解で読者にとっては理解しづらかったと本書で書かれているから、今の日本でなら<アウト>だったかもしれない。だが、ナド―という慧眼の存在により、バルトはデビューを飾った、このことは歴史の事実である。そして、そのテキストこそのちにデビュー作でもあり、代表作の1つでもある「零度のエクリチュール」に結実するのだ。生まれた直後に父親を失ったバルトにとって、ナド―は大切な存在だっただろう。その意味で、ナド―との対談「文学について」が手元に残っていたのは幸運以外の何物でもない。 
 
  私はバルトが書いた本はもう手元に残念ながらほかにも2冊のうすっぺらい原書があるだけで、1つはラシーヌ論、1つはコレ―ジュ・ド・フランスの就任演説の「授業」である。しかし、今、一番読んでみたいのは「神話作用」(「現代社会の神話」)という本だ。 
 
  「結局、『現代社会の神話』とは、無意識のうちに信じこまされている『神話』をあばくという興味深い時評集であっただけでなく、『神話』という語に新たな意味をあたえ、さらには記号学的な批評の道をひらいたという点で、意義ぶかい本だったのである」(石川美子著『ロラン・バルト』から) 
 
  本をばっさり処分してしまったことが悔やまれる。バルトはむしろ、今、日本で最も読まれるべき作家ではないのだろうか。あまりにも多くの神話で固まっているからだ。そして、あまりにも家父長制的なおしつけがましさと重さに満ちているからでもある。 
 
  石川氏の本に感動してしまってべた褒めになってしまったが、1つだけ残念に思うのは副題が今一つ、目に飛び込んでこなかったことだ。副題など、今更どうでもいいことなのだが。まじめに書いたらそういう副題になるかもしれないのだが、「言語を愛し恐れつづけた」というのは、バルトでなくとも、どの作家でも基本はそうではないかな、と思えることなのだ。 
 
 
※ロラン・バルト(1915-1980) 
「零度のエクリチュール」「ミシュレ」「神話作用」「エッセ・クリティック」「エッフェル塔」「モードの体系」「表徴の帝国」「サド、フーリエ、ロヨラ」、「S/Z−バルザック『サラジーヌ』の構造」、「テクストの快楽」「恋愛のディスクール・断章」「記号学の冒険」など著書は多数。 
 
 
村上良太 


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