2020年06月28日13時33分掲載  無料記事
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アフリカ

」「西サハラ最新情報」西サハラ難民アスリート➅ サラーの家族に連座罰を与えるモロッコ  平田伊都子

「僕が亡命した後も、モロッコの虐待はおさまらなかった。彼らの命令に逆らう者に、モロッコは暴力で答える。故郷の西サハラに残った家族は、モロッコ占領当局の標的になった」と、フランスに亡命したサラーは、モロッコ占領地・西サハラで虐待される家族を語った。もしろ、モロッコ占領当局の虐待は、サラーの亡命後に熾烈化していった。 
 
1−家族に連座罰 : 
 2004年11月4日、フランスに亡命した時、サラーには5人の姉妹と3人の兄弟と両親がいた。サラーの支えは、丈夫で強い母親だった。「母は、僕をいつも引っ張ってくれる。良い時も悪い時も、母は僕の傍らにいる。母は、いつも僕と連絡が取れるようにしてくれ、僕が世界のどこにいようと、僕の調子をチェックしている。僕がどんな決断をしても賛成してくれた。そして、彼女のできる範囲で僕を援助してくれた。彼女は、驚異的なバネを持つ女(ひと)だ」と、サラーはアスリートらしい賛辞を、母親に送っている。 
「僕の家族は、僕を入れて11人だが、親族のメンバーはたくさんいる。僕たちは大家族で、いつも連絡を取り合っている」と、サラーは語る。その大メンバーが、サラーの亡命を巡って、次々に逮捕・尋問・拘束・拷問に曝されていった。最初の犠牲者は、左足を失くしたうえ糖尿病で衰弱していた父親だった。 
 モロッコの秘密諜報員はサラーの親族から、サラーがポリサリオ戦線・西サハラ独立運動組織の戦闘員であるという供述を取りたかった。そして、この一族に連座罰を加えたかった。が、サラーの一族はモロッコの拷問に屈しなかった。サラーはポリサリオ戦線の一員ではなかったからだ。2011年、ゲルニカ紙の記者が「ポリサリオ戦線の戦闘員か?」と聞いた時、「僕は、ポリサリオ戦線に属していない。故郷のモロッコ占領地・西サハラで、<ポリサリオ戦線>という言葉は禁句だ」と、サラーは答えている。 
 <連座>とは刑罰の一種で、罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を科すことを指す。江戸時代までは家族などの親族に対する連座は縁座と呼ばれ、主従関係やその他特殊な関係にある人に対する一般の連座とは区別して扱われていたそうだ。国際法では、ジュネーヴ条約の第4条約(戦時における文民の保護に関する1949年8月12日発令)第33条で、紛争当事者が被保護者(当事国・占領国の国民以外。すなわち他国・地域の占領下にある人間)に対して連座罰を科すことを禁じている。しかし、モロッコ占領地・西サハラでもイスラエル占領地・パレスチナでも、連座罰がまかり通っている。 
 日本でも日本国憲法第31条が、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と、定めている。 
 
2−サラーの弟・アバチカ : 
 「俺の毎日?、、、俺の毎日、って言われても、ムショから出てきたばかりなんでね、、」と、サラーの弟アバチカは記者の質問に答える。 
「俺は、これまでず〜とオマワリやモロッコ支配者たちともめてばかりいた。奴らとは、問題だらけだった。俺は、奴らにとって<お尋ね者サラー>の弟だからね。兄貴はフランスで政治活動をしている。俺たちアマイダン一家は、奴らの標的なんだ。俺は兄貴のように、足が速かった。奴らは俺を摑まえることができなかった。追いつかれたのは、たった一回だけだ」と、アバチカは逃げ足の速さを自慢する。 
 「腕の傷痕を見てくれ。モロッコのムショでやられた。看守よりも囚人仲間の喧嘩でやられた。ムショのなかは喧嘩だらけだ。看守は囚人を馬鹿にする。囚人は他の囚人を馬鹿にする。俺自身が馬鹿にされるのは我慢ならないが、他の人が罵倒されるのも許せない。そんなこと、やっちゃいけないよ! 俺は16才の時に、モロッコで最悪のインジガン刑務所に放り込まれた。俺の体にモロッコ人が触れるなんて、冗談じゃない!だけど、あんた、もし檻に入れられていて看守に殴られても、あんたは何もできない。むこうは何でもできるんだからね、、この傷は俺が自分でつけた、これは喧嘩のだ、これは看守にやられたもんだ」と、アバチカは袖をまくって、傷だらけの腕をカメラに見せた。 
 「兄貴3人は荒っぽくない。兄貴たちはアスリートだから、ガキの頃から家を出て寮生活をしていた。俺は両親に育てられ一緒に生活し、両親がモロッコ占領警察に虐められるのを、毎日目にしていた。それでも、兄貴たちのようにアスリートになりたかった。そん頃は、ちっちゃかった。<西サハラ大義>なんて知らなかった。ただ、西サハラ人だから、モロッコ人に虐められるんだと、悔しい思いをしていた。もうちょっと後になって、<西サハラ大義>などという理屈を知るようになる」と、アバチカはトレーニングの様子を撮らせたりしながら、西サハラ訛りのアラビア語で語った。 
 「俺が14才の頃だったと思う、奴らは母さんを殴った!今もはっきり目に浮かぶよ。土足で突然、家に踏み込んだモロッコ占領警察のオマワリたちが、母さんの腕を殴り骨を折った!!その時から、俺は変わったネ。俺は、母さんを殴った奴らとどう戦えばいいのか、奴らをどうやれば倒せるのか、、知りたかった。俺は人を殴る訓練を始めた」 
 アバチカは曇りのない目でまっすぐカメラを見つめ、自然体で話した。爽やかでカッコのいいハイテイーンだった。 
 
3−フランス・スポーツ連盟 : 
 2004年にフランスに亡命したサラーは、毎晩ラジオを枕元に置いて西サハラ難民キャンプのニュースや世界の出来事を聞きながら眠りについた。サラーにとってラジオは、世界の窓だった。サラーは。フランス・スポーツ連盟が主催するレースにフランス・チームとして参加した。ただ、国際試合には西サハラ人アスリートとして、名前を登録している。 
 フランス・スポーツ連盟もフランス・オリンピック委員会も、地方のスポーツクラブも、フランスでスポーツと名の付くものは全て、フランス・スポーツ省の管轄下にある。その頂点にいるのが、スポーツ大臣だ。近代オリンピックを創設したのはフランス人のクーベルタン男爵で、フランス人にはオリンピックは我がものという自負心が強く、誇り高い。ここで、東京オリンピックの次にパリオリンピックを控えているフランス・オリンピック委員会を、チラッと覗いてみる。 
 「昨日のオリンピックは、明日のオリンピックではない」 と、ギィ・ドゥリュ氏はオリンピックの改革を提唱している。ギィ・ドゥリュ氏は2020年4月26日のフランス公共放送で、「2024年オリンピックの招致国として提案した我々のプロジェクトは、もはや時代遅れです。過ぎ去ったものであり、現実とはかけ離れています」と、切り出した。それから、様々な機会を捉えて自論を展開している。「オリンピック成功の必須条件は、アスリートをちゃんと受けいれられることと、赤字を出さないことです」とし、「東京五輪の延期は予想以上に高いものにつく、、今や、一緒に新しい五輪モデルを創造する時がきています」と、東京に共催を呼びかけている。1976年のカナダ・モントリオール五輪で、110メートル・ハードルの金メダルを獲得し。シラク大統領のもとでスポーツ大臣を務めたギィ・ドゥリュ氏は、1996年から国際オリンピック委員会のメンバーで、フランス・オリンピック委員会の牽引者だ。クーベルタン男爵による<共生、博愛、尊敬>というオリンピック精神に、ギィ・ドゥリュ氏は心酔している。ギィ・ドゥリュ氏は、「オリンピック精神を、ユネスコの無形文化遺産に登録を」と、<パリ2024組織委員会>に提案し、受けた同委員会はマクロン大統領も誘って、IOCのバッハ会長に同案を提出した。 
 フランス人は意外と強引で、自己中心的で、金儲けを忘れません。東京オリンピックを控えた日本は、この提案を呑まざるを得ないのでしょうか? 
 
 サラーの弟アバチカに直接、尋ねたいことがたくさん出てきて、サラーに連絡しました。 
「アバチカはフランスのアヴィニヨンで暗殺された。2012年9月30日、まだ22才だった。フランス当局は現在に至るまで犯人の捜査をせず、迷宮入りの扱いをしている」と、サラーから返事がきました。 悔しいです! 
 
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*難民アスリート・サラーの最新ドキュメンタリーがYoutubeにアップしました。 
https://youtu.be/jz7lFr2c_Jk スペイン語ですが、西サハラ難民キャンプが見られます。 
*占領地からの脱出―「アリ 西サハラの難民と被占領民の物語」只今発売中です。 
著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、 
造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁 
発行人:松田健二、 
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861 
2020年2月3日 初版第一刷発行  定価 税抜き2,000円 
*1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。 
YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I 
Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。 
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc 
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU 
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。 
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo 
「Last Colony in Africa]  英語版URL:  https://youtu.be/au5p6mxvheo 
 
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2020年6月28日 
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子 


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