2020年07月14日11時16分掲載  無料記事
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ハンナ・アレント著 「政治の約束」(ジェローム・コーン編集版)

  ハンナ・アレントと言えば「全体主義の起源」が主著として聳え立っていますが、ファシズムや全体主義批判の主著の流れと通底するテーマとして、政治学あるいは政治哲学のより広範かつ基礎的な研究内容の物も多数書いています。ちくま学芸文庫から出ている「政治の約束」はアレントのテキストをアレントの助手だったジェローム・コーンが編纂した政治論集です。 
 
  今日の日本の政治を振り返ると、多くの有権者は投票するだけの存在になっています。しかも、投票率も半分程度でしかなく、投票にすら参加しない人が夥しい数に上っています。このことは単に与党や野党、あるいはメディアの問題というだけではなく、政治とは何か?という根源的な問いかけの必要性を投げかけてすらいるように思います。 
 
  「政治の約束」はそうは言ってもなかなか要約しがたく、中身が深いために簡単に紹介文を書くことができません。ただ、1つ言えることはアレントは古代のギリシアとローマの古典を参照しながら欧米の民主主義をめぐる言説を分析し、政治の起源あるいは民主主義について考察していることです。この考察は実に驚くべき中身を持っており、私たちが日本で聞いたことがないような言説に満ちています。たとえば以下のような文章です。 
 
  「だから、たとえ世界が袋小路に陥っている結果として私たちが奇跡を待望しても、そのような期待は、本来の意味での政治的領域から私たちを追放するものでは断じてありえない。もし政治の意味が自由であるとするなら、それは政治的領域において-しかも政治的領域においてのみ-私たちは奇跡を期待する権利を紛れもなく有しているという意味なのである」(第六章 政治入門 ) 
 
  政治と奇跡という言葉は今まであまり結びつけて考えたことが私にはありませんでした。アレントは間違いなく、政治こそが人間に奇跡をもたらす、と考えているのです。その理由は政治が自由を意味するから、というわけです。まあ、これだけ取り出して読んだら、謎だらけです。 
 
  そして、そのような政治の思想の原点に、古代ギリシアでは政治と言う言葉が、そもそも新しいことを「始める」という意味でもあったことが語られています。だから、政治家あるいは統治者は政治というプロジェクトを最初に始めた人々であったとしています。つまり最初に自分たちで「政治」というシステムを築き上げ、その支配者になった。民衆はそれと気がつかぬうちに「政治」というプロジェクトに参加を余儀なくされていたのだ、と。これは昨今のIT産業みたいに、最初に立ち上げて成功したものが大きなシェアを握ってその後も市場を独占的に支配する・・・そんなイメージでしょう。 
 
  私がこの「政治と約束」を手にして読んだのは今年、フランスの哲学者マチュー・ポット=ボンヌヴィルによる「Recommencer」(※「もう一度・・・やり直すための思索」社会評論社)を翻訳出版した直後でした。マチュー・ポット=ボンヌヴィルのこの再開をめぐる思索の中でアレントのキーワードの1つ、「アルケイン」(archein)という言葉が紹介されており、この言葉こそが「始める」という意味を含んでいた統治するという意味のギリシア語だとされているようです。古代ギリシアにおいても、自分たちが「政治」あるいは「統治」というシステムを最初に築いて、それを民衆に強いた事実が反映したこの言葉は統治者にとってはバツの悪いものだったために、早い段階で「始める」という意味の方は取り除かれていったというのです。昔からずっとこうだったし、昔から自分たちは正当な統治者だったと民衆に信じさせようとするためです。 
 
  しかし、政治がその根源の意味として、プロジェクトを始める、という意味であるなら、まさに政治が新しいことを始めるという意味において奇跡を成し遂げる可能性もまたそこにあります。今までとは違ったプロジェクトを自分たち自身で「始める」、という意味において。幾分かは前のプロジェクトを引き継ぎながら。そして、それはRecommencer=再開することでもあります。 
 
  民主主義もファシズムも絶対王政も、いずれにしても人々はそこに生まれながらに巻き込まれていて(大衆化を基盤とするファシズムの場合は自身も加担してしまうのかもしれませんが)、始まりがあったことを忘れてしまっています。国家に生まれながらに巻き込まれています。政治とは何か?誰が何のために始めたのか?政治は必要なのか?・・・それは自由とどう関係するのか?本書は一度、今行われている政治から距離を置いて、政治について考えてみるヒントを私たちに与えてくれています。 
 
 
※再開のための哲学  マチュー・ポット=ボンヌヴィル著「もう一度・・・やり直しのための思索」(Recommencer) 
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