2020年08月10日10時10分掲載  無料記事
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コラム

メディアのエコロジー  荒鷲からフンコロガシまで

  筆者がこのインターネット媒体、日刊ベリタに初めて記事を書いたのは2009年8月のちょうど今自分で、かれこれ丸11年になります。その頃、取っていた新聞は朝日新聞だったのですが、そこにインターネット新聞が苦境にあることが書かれた記事が掲載されたことがありました。日刊ベリタの編集長になって間もない大野和興氏のコメントも添えられていました。その記事の核は日刊ベリタではなくて、たしか同様のインターネット新聞だったジャンジャンが廃刊になったことだったと記憶しています。ジャンジャンの編集長が市民記者を育てようとしたけど、ギャラの配分でお金が不足し、経営が維持できなくなった旨が書かれていました。日刊ベリタが存続できているのは書き手が無報酬でやっているからです。 
 
  あの頃は日刊ベリタを含めて3つの「市民ジャーナリズム」を標榜する試行錯誤のネット新聞が併存していたようですが、日刊ベリタを除くと他はなくなってしまったようです。もちろん、その後もいろんなインターネットメディアが生まれていますので、3つの媒体がなんだったかなどは今更大した意味がないのですが、何を言いたいかと言うと、紙の大手新聞がインターネット新聞を取材したのは廃刊になった時だけだったということなんです。その後、日刊ベリタで様々な記事が書かれましたし、首相との新聞社幹部の会食批判も多数書かれました。しかし、そういう面では大手メディアはまったく黙殺です。もしかすると大手新聞がデジタル新聞について書いたものにはほかにもあったかもしれませんが、とはいえ、インターネット新聞を正面から扱った記事はあまりなかったのではないでしょうか。 
 
  本当にインターネットメディアの発展を考えていたのなら、大手新聞の視点もきっと違っていたでしょう。まずインターネット新聞か、マスメディアかという二項対立的な発想が間違っていると思います。先述しましたように資金ゼロで営まれているインターネット新聞の場合、取材費も交通費も出ません。せいぜい、世界で発信されている記事やニュースなどから「これは」と思うものを見繕って、かいつまんで紹介するくらいが多いのです。もちろん、時に自腹で遠方まで行って実際に取材して書かれる記事もあります。いずれにしても給料で暮らしているマスメディアの記者と同じものを書き続けるのは基本的に無理です。しかし、それならなんで存在するのか?ということですが、もちろん、調査報道を主体的にやる人も出るかもしれませんが、仮に新聞やニュースの紹介程度だけだったとしても、それはそれなりに意味があると思うのです。というのも 
たとえばTVで言えば視聴率10%なら放送局は喜ぶことが多いのでしょうが、国民的な見地からすると視聴率10%と言っても国民あるいは住民のごく一部でしかありません。ニュースが発信されることと、そのニュースが浸透することとはまったく別なのです。そして今の時代、山のように情報が全方向に放たれていますから、その中で「これは」と思う記事やニュースを紹介することには意味があると思うのです。 
 
  メディア界もまたエコロジーの視点で見る必要があると思います。潤沢な資金でプロフェッショナル的に動く媒体もあるでしょうが、良い記事や疑わしい記事を紹介するミニ媒体もあってよいのだと思います。オルタナティブは調査報道でないといけない、という風には考えていません。もちろん、調査報道ができたらよいのでしょうが、そのためには資金などいろいろなものが必要です。自然界には小さなフンコロガシみたいな虫も生きています。フンコロガシにも何がしかの機能があるのです。 


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