2020年08月15日12時24分掲載  無料記事
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ジャック・リヴェット監督「美しき諍い女」(La Belle Noiseuse) 女性を素っ裸にして「真実」を吐き出させようと挑む老画家

   ジャック・リヴェット監督の「美しき諍い女」(La Belle Noiseuse) という映画は1991年に作られたもので今から30年近く前になる。この映画はエマニュエル・べアールが素っ裸のモデルとして、ミシェル・ピッコリが演じる老画家の前に立つということで話題を呼んだ。老画家は彼女に肉体的に苦しい変なポーズばかり強いるのだ。だからと言って、若い裸の女を手籠めにするわけではない。老画家は筆一本で白い画布にそれを描くだけだ。とはいえ、若かった私にはこうした映画は理解不能と言ってよかった。というより、このような趣向に嫌悪感すら感じたのだった。 
 
  30年近いときが流れると、今ではミシェル・ピッコリに年齢としては近づいた私にこの映画は当時とは違って見えた。まずエマニュエル・べアールが素っ裸であることに、さして翻弄されないようになった。そして、裸であるかどうかにとらわれず、この映画を普通の映画として受け入れることができるようになった。そこには主題がある。この映画は画家が女性の肉体を描きながら、肉体ではなく、その魂、その本質を描こうとしているのだ。それは恐らくは映画における女優と監督とのメタファーでもあるだろう。通り一遍の演技ではない、もっと深い本質を見ようとする監督とピッコリは同じ存在である。そして、彼は何年も前に一度、ジェーン・バーキンが演じる妻をモデルに挑んだが完成させることができなかった。あまりにも愛していたのだろう。彼女からむき出しの真実を引き出すことが画家にはできなかったのである。かつて絵を中断してしまった原因に妻の顔を描いたことが関係していることがわかってくる。顔を描いたことによって、画家は絵の狙いを貫徹できなくなってしまったようなのだ。 
 
  時を経て、画家はもう一度、エマニュエル・べアール演じる若い女性で挑む。しかし、今回も一度は途中で筆を投げ出してしまう。しかし、最初はモデルになるのを嫌がっていたはずの彼女が画家に続けるように促すのだ。バーキンが演じる妻とべアールが演じるモデルとの水面下の闘いもそこにはある。べアールが演じる女性はなんとしても自分で作品を完成させたいという意欲にとらわれるのである。一方、バーキンが演じる妻は昔、画家が絵を中断したことに不満を抱いている。そのことが夫婦の関係の傷になっている。時を経て、この映画を見た時、肉体を通して「魂」を描きつくす、あるいは「真実」を描きつくそうとする画家の方法論は可能なのか?とも思える。しかし、それが造形芸術なのだ。 
 
  このようにこの映画を俯瞰してみることができるようになると、画家、画家の妻、モデルとその恋人、画商らの人間関係がこのテーマをうまく転がしていることがわかる。モデルの恋人は画家であり、彼自身がかつてのピッコリのような真実を追い求めている芸術家であることもわかる。だから、彼はつい恋人をモデルとして老画家に差し出してしまったのだが、それが意味する重大さに気づいて後悔し、鼻血を出してしまう。老画家は3日間の格闘の末、頂上についに立ち、絵を完成させた。しかし、その「真実」は残酷で冷徹なものだったがゆえに、老画家はそれを密かにれんがの壁の中に隠し、画商には七合目まで上った段階の絵を渡すのである。それが完成作品ではないと知っているのは妻とモデルである。しかし、妻は夫のそうした行動を好感を持って受け入れる。大変、興味深いテーマだし、アトリエという密室におけるそのドラマは大半が素っ裸の女優と老男優で作られているのだから大したものだ。画家とモデルは葛藤しているが、しかし、二人は「真実」と言う山の頂上を目指してともに登ろうとするのである。 
 
  この映画は最近、私が翻訳して出版したばかりのマチュー・ポット=ボンヌヴィル著「Recommencer」(もう一度・・・やり直しのための思索」と通底するものだと気づいた。人が途中で投げ出したものをどうもう一度再開するか、あるいはやり直すかを論じた哲学エッセイである。この映画でも一度目の失敗をどう乗り越えるかが物語に深く関わっている。それを象徴するのが妻のジェーン・バーキンであり、彼女は見事に難しい役をこなしている。自分ではもう画家のモデルを果たせないことを知っている。それに傷つきながらも画家に描かせようとする。そして老画家は悔恨を乗り越えて、2回目に見事に成し遂げた。だが、その背景には妻とモデルとの協働が存在したのである。 
 
 
※映画のtrailer 
https://www.youtube.com/watch?v=f4D4Ch-2rTg 
 
 
村上良太 
 
 
 
■「Recommencer」(もう一度・・・やり直しのための思索)のマチュー・ポット=ボンヌヴィルと国際哲学コレ―ジュ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202005090903516 
 
■マチュー・ポット=ボンヌヴィル著「もう一度・・・やり直しのための思索」(原題はRecommencer)と本に収録できなかった講演 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202004261156250 


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