2020年10月06日13時12分掲載  無料記事
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コラム

スガ政権の学術会議人事介入問題、論点をすり替えてはならない。 澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士

(2020年10月5日) 
 
スガ政権は、日本学術会議が推薦した新会員候補6名の採用を拒否した。これは、一大事件である。個々の被推薦者にしてみれば、「研究内容による思想差別」であり「政府批判発言による差別」であるが、大局を見れば「学術会議の独立性の侵害」であり、とりもなおさず「学問の自由の侵害」にほかならない。その本質は「権力による科学や研究の統制」なのだ。こういう権力の動きには敏感に反応し反撃しないと、少しずつ「自由の陣地」が狭められて、気が付いたときには取り返しのつかないことになる。いつか来た道のように、である。 
 
こういうときには、必ず親体制派・親政権派のデマゴーグが頭をもたげる。「過剰反応だ」「騒ぐほどのことはない」と言い、さらに必死になって「論点すりかえ」を試みる。 
 
1970年のあのときを思い出す。札幌地裁の平賀健太所長が、憲法9条の解釈に関わる長沼ナイキ基地訴訟を担当していた福島重雄裁判長に、執拗に判決を誘導する「助言」を行った。いわゆる「平賀書簡問題」である。平賀の所為は、明らかに「裁判(官)の独立」への侵害である。札幌地裁の裁判官会議は平賀所長を厳重注意とした。 
 
ところが、その直後に、鹿児島地裁所長の飯守重任が「非は平賀にではなく、反体制的組織である青法協に加入している福島裁判官にある」との発言が大きな転換点となった。これを機に「裁判(官)の独立侵害」問題が、「裁判官の政治的中立性」や「青法協の政治性の有無」へと問題がすり替えられた。 
 
同様に、23期司法修習生7名の裁判官任官志望者に対する任官拒否も、「差別」「統制」「裁判官人事を手段とする「司法の独立の侵害」という本質を、裁判官の資質としての「公正らしさ論」に問題がすり替えられ、世論への一定の影響を与えた。 
 
学術会議に対する人事介入問題については、メディアは問題を「批判を嫌う政権が、批判の発言をした研究者を排除した」「尊重すべき学術会議の独立性を、政権が侵害した」と捉えている。この「学問の自由」侵害という本質の論点をすり替えてはならない。 
 
すり替え論の典型例が、「学術会議こそ新規会員推薦基準を明確化せよ」「そもそも政府内の機関が独立性を保てるのか」「政府から予算をもらって政府批判を繰り返しているのが学術会議ではないか」という類い。このような「論点ずらし」に引っかけられて、本質の論点を見失うようなことがあってはならない。 
 
なお有益な資料一点(抜粋・一部分かり易く表現を変えている)をご紹介する。日本天文学会が発行する月刊誌「天文月報」2019年7月号に、「日本学術会議と日本の天文学」という記事があり、下記アドレスで読める。筆者は、著名な天文学者だった故海部宣男さん。 
 
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2019_112_07/112-7_494.pdf 
 
「…よく知られていないこともあるようなので,日本学術会議の変遷を直接経験した世代として,「歴史的解説」をしてみる.」との前書きがあって、その一節に下記の記事がある。 
 
運営費を国から貰う事と意見する事について 
 
< 日本学術会議は,法律で「政府から独立して」提言や勧告等をすることができると定められている.これは第二次世界大戦前の大学や学問への政治介入への反省から来ていて,世界的にも先進諸国ではそのように社会的な了解が得られている.実際,かつての原子力発電の日本導入時に米英からの直接輸入を唱えた政権に対して,湯川秀樹氏・朝永振一郎氏たちが日本での基礎・開発研究を重視し,まず日本で実証炉段階くらいまでやるべきと主張した.時の政権はこれを無視し,結果として日本の原子力利用研究が極めて脆弱なものになってしまった.福島原発事故とその対応,数々の原子力政策のお粗末さなどで,それが露呈している. 
 国から運営費を貰っているから政府と対峙できないということにはならない.《時の「政府」》と《国民全体が支える「国」》とは異なることをはっきりさせる必要がある.時の政府に対しては,運営費をもらっている大学であろうが研究費をもらっている研究者であろうが,批判することはもちろん,「対峙」することもあり得る.例えばトップダウンの大学改革に対しては,ほとんどの研究者が批判的なのではなかろうか.大学に改善すべき点が多々あることは認めるとして. 
 学会とともに様々な課題の克服に向けて働く私自身はこの問題について,科学の自律の大切さを理解しない日本の政治の未成熟さと,科学者自身の自分の分野を守ろうとする狭さとの,両方の克服が必要と考えている.> 
 
国家から予算の配分を受けていても、国家におもねって批判すべきを躊躇してはならない。それが、研究者・研究機関としての当然のありかたであり、時の政権ではなく、国民の利益にかなうことである、ということなのだ。海部さんは、このことを「科学の自律の大切さ」と表現し、これが十分に理解されない現状を、「日本の政治の未成熟さ」と嘆いている。 
 
今、スガ政権は「日本の政治の未成熟さ」を露わにしたどころではない。「日本の政治反動の恐怖」を露呈しているというべきであろう。 
 
澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士 
 
 
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.10.5より許可を得て転載 
 
http://article9.jp/wordpress/?p=15747 
 
ちきゅう座から転載 


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