2021年02月01日17時43分掲載  無料記事
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欧州

自由を手に入れるために、島を造った男〜チャオ!イタリア通信

 コロナウィルスのために映画館が閉鎖され、我が家はもっぱらネットフリックスやAmazonプライム・ビデオで映画を見ています。イタリアはほぼ1年間映画館が閉鎖されっぱなしなので、新作映画はこういった動画配信サービスを利用して公開されています。 
 最近、ネットフリックスで見たイタリア映画「L'ncredibile storia dell'isola delle rose」(訳「ローズ島の信じられない話」)は、タイトル通り本当に”信じられない”と思わず口走ってしまうような、でもイタリア人らしいような、本当に起こった話です。 
 
 映画は1968年11月のストラスブールから始まります。イタリア人エンジニアがストラスブールにある欧州評議会にある書類を持ってきたことから、物語が語られて行きます。自分が造った島を救うために欧州評議会の援助が必要だと言うのです。 
 エンジニアの名前はジョルジョ・ローザ(1925〜2017)。ボローニャ出身で、映画の中でジョルジョのお父さんはモーターバイク製造で有名なドゥカティで働いているシーンがあるため、エンジニアの家系ということが分かります。映画の最初のシーン(1967年)で、ジョルジョは自分で造った車に女友達ガブリエレ(後の妻)を乗せて走り、ナンバープレートをつけていなかったため警官に捕まってしまいます。そのことがきっかけで、お父さんには「普通に生きるように」と言われたり、ガブリエレには「自分の世界だけで生きている。世界は自分のためにあるんじゃない。世界は車を造るようには造れない」と言われます。その言葉から、ジョルジョは自分の世界(国)を造ろうと考え始めるのです。 
 
 実際には、ローザ氏が島の製造を考え始めたのは1958年からだそうです。アドリア海に面するリミニ市の海岸から約12キロ離れたイタリア海域外(いわゆる国際水域でどの国にも属さない)に造り始めました。この人工島は、石油プラットフォームをモデルとして鋼鉄で造られた、400メートル平方の小さな島です。技術的な問題や財政的な問題などで中断をしながらも、1967年5月には島の床280メートル下から淡水を発見し飲料水を確保することができるようになり、同年8月には一般に公開されました。そして、1968年6月にローザ氏を大統領として独立国を宣言し、「ローズ島共和国」となります。公用語はエスペラント語、そして島独自の通貨や切手を作りました。実際、島に住んでいたのは遭難して島にたどり着いた人だけだったそうです。ただ、イタリア政府は独立宣言後すぐに島の周りをパトロールし始め、誰も島に近づけられないように海上封鎖をします。 
 
 映画では、夏のバカンス地として有名なリミニ市から近いため、島にバールを作り、若い旅行者が訪れて飲んだり食べたり踊ったりというシーンがあります。それを見て、ガブリエレがジョルジョに「自由な世界を作ったんじゃなく、ディスコを作っただけだ」と批判します。それを機にジョルジョは、島を国として認めてもらおうと国連に書類を送ります。 
 
 つまり、ローザ氏は「島を造る」と考え始めてから試行錯誤しながら10年後に完成させ、小さいながらも自分の「世界」を造り上げたのです。 
2010年に撮影されたローザ氏へのインタビュー映像では、「島を造るというアイデアはどこから来たのか」という質問に、「もう忘れてしまったが、自分はいつも自由な人間だった」と答えています。国際水域に島を造るというのも思い付きからではなく、法的に問題がないかを国際法学者に問い合わせて確認したそうです。そのため、島が完成する間は誰もこのプロジェクトに手を出すことはできませんでした。誰かが作った法律や決まりに縛られないで自由に生きたいというのは、誰もが考えることですが、それを実際に現実にしてしまおうと考える者は中々いません。インタビュー映像を見ると、ローザ氏は80歳すぎですが、受け答えはしっかりとしていて、穏やかで可愛らしい印象のお年寄りでした。 
 
 映画では、独立宣言をして、国連からイタリア政府に連絡が入り、事が公になります。それからイタリア政府は秘密情報機関の要員を島に送ったりと、この独立国に対立する行動に出ます。そして、1969年2月にイタリア海軍により爆破され、この独立国は消滅しました。 
 
 結局、「ローザ島」の出来事により、国連は各国の領海域を6キロから12キロに変更しました。そして、映画の最後に「イタリア共和国が唯一他国を侵入し戦争したのは、ローザ島共和国の破壊だった」というタイトルロールが流れます。イタリア政府は、同じように行動する人たちが出てきてしまうことを心配したのでしょう。またアドリア海に造られた島は当時のユーゴスラビアとも近接しており、東側諸国と近いということも要因の一つだったようです。1968年といえば、チェコの「プラハの春」やフランスではインドネシア戦争、ベトナム戦争に反対する急進的な学生運動などが起こっていた時期でした。若者の自由を求める行動が政府にとっては、「危険な動き」として映ったのでしょう。 
 
 今回のこの映画で知った「ローザ島」の出来事は、私にとってはレオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイなどの自由を求めて人間の可能性を追求するイタリア人の系譜の上にあるような気がしました。 
(サトウ・ノリコ=イタリア在住) 


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