2021年02月07日18時54分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマーの軍政反対デモ、連日つづく 仏教の真実を求め、「諸行無常」を現体制否定の武器に

 ミャンマーの最大都市ヤンゴンで6日につづき7日にも、国軍のクーデターに対する大規模な抗議デモがあった。なぜ軍政に反対なのか。それは、強権により民主主義と人権を奪うことは、国民の9割が信じる仏教の教えに反するからだ。軍側は抗議行動の封じ込めに躍起になるだろうが、人びとは抵抗をつづけるだろう。「諸行無常」という仏教の世界観が、この国では現体制否定の支えとなってきたからである。(永井浩) 
 
▽政治的正当性の根拠としての仏法 
 6日の抗議デモには約1500人が参加、アウンサンスーチー国家顧問が率いる国民民主連盟(NLD)のシンボルカラーである赤いシャツやリボンを身につけて、「軍政を倒し、民主主義を勝利させよう」「スーチー氏を釈放しろ」などと叫びながら、市内を練り歩いた。僧侶らの姿も見られた。 
 ロイター通信によると、インターネットが遮断され、電話線の利用が制限されているにもかかわらず、7日の参加者は数万人にふくれあがり、抗議行動は国内各地に広がっている。 
 その市民らが解放を要求するスーチー氏は敬虔な仏教徒である。 
 
 彼女が1995年に6年間におよぶ最初の自宅軟禁から解放されたあと、最初にヤンゴンを離れて向かった先は東部カレン州の寺院ターマニャだった。同年から毎日新聞に連載された彼女の連載エッセイ『ビルマからの手紙』は、その紀行からはじまっている。そこは、「何十年も暴力が支配してきた土地の片隅に築かれた、たぐいまれな慈悲と平和の領地」として知られ、ミャンマー全土から何千人もの巡礼者が師ウー・ウィイナヤの説法を聴きにおとずれる。彼女もその巡礼者の一人となったのである。 
 同師に教えを乞うたあと、彼女はこう記す。「政治とは人間にかかわることであって、慈愛(ミッター)と誠実(ティッサー)がいかなる強制よりも人びとの心を動かすことができるということを証明した」 
 これが、彼女の政治哲学の基本姿勢であり、慈愛と誠実という仏教の教えは民主主義・人権と変わりないものとされる。 
 
 それを政治的文脈でとらえると、軍政は、ミャンマーのような途上国の経済発展には上からの強権が必要だとする開発独裁を正当化するが、軍政下で経済は悪化し、特権層と国民の貧富の格差の拡大しているではないか。すべての人間は平等であるとする、仏教の教えに背くものである。だがそれに異を唱えようとすると、軍政は暴力によって国民を弾圧してまで富と権力に執着する。ここでも彼らは、非暴力・不殺生(アヒンサー)という仏教倫理に反している。 
 いっぽう、民主化勢力がめざすのは、すべての国民の開発過程への平等な参加であり、それなしには健全な経済発展は望めないとされる。またわれわれはその目標を、あくまで非暴力によって実現しようとしている。 
 こうしてアウンサンスーチーらは、ミャンマーの伝統的価値観である仏教の教えを正しく実践しようとしているのは、軍事政権かそれとも民主化勢力のどちらであるかと国民に問う。つまり仏法(ダンマ)が政治的正当性の根拠とされる。 
 彼女は米国人僧侶アラン・クレメンツとの対話で、「民主主義のなかには、仏教徒が反対しなければならないようなものは、なにひとつありません」と言い切っている。また自分たちの運動を、ミッターを実践する「エンゲージド・ブッディズム」(Engaged Buddhism、社会参画する仏教)と呼んでいる。 
 民衆の日々の生活に根をおろした仏教の重さについては、軍政側も認識している。だから彼らも、自分たちが敬虔な仏教徒であることをアピールするパフォーマンスは忘れない。テレビの番組には、軍人が高僧のまえにひざまずいて説教を聴いている場面が登場する。ヤンゴンでその場面を目にしたとき、ミャンマーの知人は私に解説してくれた。「ここをご覧なさい。軍服の腰に着剣したままでしょう。本当の仏教徒なら武装したまま僧侶の説教を聴くなんてことはありえません」 
 
 
 この国における仏教と政治の不可分の関係を国際社会に強く印象づけたのが、2007年9月に起きた10万人規模の僧侶たちの反政府デモである。 
 ヤンゴンの目抜き通りを徒歩行進する僧侶たちが口にしていたのは「軍政打倒」のシュプレヒコールではなく、「慈経」の詩句だった。人間の宗教的実践、基本的原理として慈悲の大切さを強調する、仏教初期の経典は東南アジアの上座部仏教圏では現在も重要視され、「慈しみ」は結婚式で僧侶が新郎新婦におくる祝福と説教のことばのひとつとなっている。 
 僧侶たちは軍事政権に道徳的忠告をしたのである。 
 この僧侶の運動は欧米のメディアでは、僧衣の色から「サフラン革命」と名づけられた。東欧のオレンジ革命やグリーン革命になぞらえたのである。 
 僧侶たちの隊列が、3度目の自宅軟禁下にあるアウンサンスーチー邸にさしかかると、彼女は家の門をすこし開き、僧侶たちに両手を合わせた。その姿が市民の携帯電話におさめられ、軍政のきびいしい情報統制をかいくぐり国内外に発信された。軍政批判と民主化支援の国際的な世論がさらに高まった。 
 僧侶はミャンマーで、世俗を離れて日々、仏法をきわめようと精進する聖なる存在とされている。だが軍事政権は、その僧侶たちの隊列にも容赦ない暴力をふるった。軍政の権威はいっきょに失墜し、国民の軍政批判を加速させた。 
 ミャンマーでも隣国のタイでも、朝、托鉢にまわる僧侶に在家の人びとがご飯や野菜、果物などの食糧を与える。僧侶はそれを黒い鉢に入れると、無言で去っていく。在家の人びとにとってその行為は、来世のために功徳を積む行為とされている。ところがサフラン革命の弾圧後、軍人からの布施を拒否する僧侶たちが出てきた。鉢を逆さまにする「覆鉢」である。在家にとっては、功徳を積む機会を奪われることであり、仏教徒としては大きな屈辱を意味する。 
 
 2日連続でおこなわれた、今回のクーデターへの抗議行動はサフラン革命以来の規模とロイター通信は伝えている。 
 
▽「今日と精いっぱい向き合おう」 
 軍政はサフラン革命後も、粘り強い抵抗をつづける人びとへの弾圧の手をゆるめようとしなかったが、民主化勢力は屈しなかった。 
 彼らの精神的拠りどころとなったのが、諸行無常の世界観である。 
 諸行無常といえば、私たち日本人がまず思い浮かべるのは、方丈記の「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という冒頭であろう。「世の中にある、人と栖と、またかくのごとし」とつづき、人の世のはかなさと無常観をあらわすものと考えがちである。 
 だがミャンマーでの諸行無常は、もっと前向き、積極的なとらえ方をされている。 
 
 この仏教の言葉は、「あらゆる現象は変化してやむことはなく、人間存在もふくめ、作られたものはすべて、瞬時たりとも同一でありえない」という理法を述べたものとされる。これを、この世はつねに生成と破壊を繰り返していると解釈し、現体制を「過ぎ行く相」として否定する考えが生まれ、英国の植民地体制を打倒するイデオロギーの基盤となった。大英帝国の支配は未来永劫つづくわけではなく、いずれ終わらざるをえないとして、多数の青年僧が民族主義運動に参加した。独立を勝ちとれば、仏教の説く支配や搾取、貧富の差が否定された、現世の苦痛を克服する新しい世界が実現するであろう。 
 ただし、世の中は自然に変わっていくのではない、よりよき未来をつくりだすには一人ひとりが現在の一瞬一瞬を大切にしてできるだけの努力を怠ってはならない。それが正しい仏教の行為であるという考え方が生み出され、一般民衆にも受け入れられていった。 
 じじつ、諸行無常の世界観による闘いによって英国の植民地支配と、それに取って代わろうとした日本帝国主義のビルマ侵略の企ても終わりを告げた。軍事政権の支配もおなじようにいつまでも続くことはありえないが、その終焉を一日でもはやめるには、われわれ一人ひとりが過去にとらわれず、現在の一瞬一瞬をおろそかにせず新しい未来の実現にむけて働きかけねばならないのである。 
 
 アウンサンスーチーは3度目の自宅軟禁から解放されて自由の身になり、『ビルマからの手紙』を再開した2011年元旦に、「今日と向き合おう」というタイトルで、「亡き夫がこよなく愛し、色あせない英知として私も胸にしまっている」という詩を紹介している。 
 
 昨日はただの夢であり 
 明日は予感にすぎない 
 今日をしっかり生きたらば 
 昨日という日は理想となり 
 明日という日に希望を開く 
 だから、今日と精いっぱい向き合おう 
 (インドの詩人カーリダーサ作『暁への讃歌』の一節より) 


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