2021年02月08日16時59分掲載  無料記事
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アジア

キリンの英断、ミャンマー国軍系企業との提携解消 企業の倫理責任重視は世界の潮流

 ミャンマーの国軍クーデターから1週間、民主化を求める市民と軍政の攻防がつづくなか、明るいニュースもある。キリンホールディングス(HD)が人権重視の立場から、国軍系企業との提携を解消した。キリンの英断を軍政反対デモに立ち上がった人びとがどう受け止めているのか知りたいし、これに見習う日本企業が出てくることを期待したい。まもなく始まるNHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一は「道徳経済合一」を説き、日本資本主義の基盤をつくったのではなかったか。(永井浩) 
 
▽クーデターは「人権方針に根底から反する」 
 キリンホールディングスが2月5日に発表したプレスリリースは以下の通りである。 
「キリンホールディングス株式会社(社長 磯崎功典)は、ミャンマーにおいて国軍が武力で国家権力を掌握した先般の行動について大変遺憾に思っています。今回の事態は、当社のビジネス規範や人権方針に根底から反するものです。 
 当社は、2015年当時、ミャンマーの政治体制が民主的な選挙により軍政から民政に変わり、世界に開かれた国家として今後の発展が期待される中、当社の事業を通じてミャンマーの人々や経済に貢献できると考え、当地への投資を決定しました。その投資先であるMyanmar Brewery LimitedおよびMandalay Brewery Limitedは、福利厚生基金の運用会社として国軍と取引関係のあるMyanma Economic Holdings Public Company Limited(MEHPCL)との合弁事業です。 
 両ビール会社を通じてミャンマーの経済や社会に貢献することは今後も変わらず当社が目指すところですが、現在の状況に鑑みるに、国軍と取引関係のあるMEHPCLとの合弁事業の提携自体は解消せざるを得ません。当社は、そのための対応を早急に開始します」 
 
 キリンのミャンマーでの事業は、現地で約8割のシェアをしめる収益力の高い事業となっている。同社はミャンマーから撤退はせず、事業は継続するが、外国企業は現地企業と合弁しなくてはならず、今後、非国軍系の提携先をさがすことになる。 
 
 キリンの発表にあるように、日本企業がミャンマーに進出しはじめたのは、2011年の軍政から民政への移管以後である。これを受けたオバマ米大統領のミャンマー訪問とともに米国は経済制裁を解除、EU(欧州連合)もこれにつづき、西側諸国からの投資、企業の参入が本格化した。人口5000万人超の市場規模や人件費の安さを背景に、ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と称された。 
 ミャンマー日本商工会議所の会員企業は、11年末には53社だったが、21年1月末時点で約8倍の436社に増えた。業種も建設業、製造業、金融業など幅広く、15年5月にはトヨタ自動車が完成車の組み立て工場の新設を発表した。在留邦人は3505人(20年12月現在)に上る。 
 だが先述のように、日本だけでなく外国企業は、ミャンマーでの事業展開には現地企業との合弁が義務づけられている。提携先にはキリンと同様、国軍系企業もふくまれる。なにしろ国軍は独裁体制下で、政治権力だけでなく巨大な経済利権を築き上げてきたからである。 
 
 ミャンマーを長年取材してきたジャーナリストの宇崎真は、2004年に独裁体制を確立したタンシュエ将軍のパワーの源泉は人事とカネであるとして、クローニー(軍政の取り巻き財界人ら)と将軍の関係をこのように報告している。 
「テイザー(トゥーグループ)はタンシュエ一族とのコネで巨万の富を得た。ミャンマー初の民間航空会社エアーパガンを設立、木材輸出、銀行、観光事業、道路や橋の建設、携帯電話サービスと手をひろげミャンマー有数の財閥を築いた」 
「日本留学経験のあるゾーゾー(マックスグループ)は軍政序列2位のマウンエイ、そして後にはタンシュエが寵愛する孫息子とのコネで建設業、観光、ゴムプランテーション、銀行、天然ガス事業で巨大な財を成した。タンシュエの孫息子の誕生祝いをセドナホテルに1千名の客を招待して行い、その全費用をゾーゾーが負担したことから特別のコネが作られたという」 
 こうした将軍と政商たちの蜜月の一方で、経済の実体は疲弊し、公共料金の大幅な引き上げなどで国民は窮乏にあえいでいた。朝の托鉢にまわる僧侶に在家の民衆がコメなどの食糧を差し出すのは、ミャンマーやタイなど上座部仏教国で見られる日常の光景だが、そのコメまで乏しくなってきた。僧侶は仏教の危機と判断した。 
 
 将軍と結託したクローニーたちの国軍系企業は、民政移管とともに民主化が徐々に進み、2016年にアウンサンスーチーの国民民主連盟(NLD)が率いる文民政権が発足してからも基本的には健在だった。だが民主化の進展によって国民の国軍系企業への目もきびしさを増してきた。くわえて、2020年11月の総選挙でNLDが圧勝をおさめ、国軍系の連邦団結発展党(USDP)が惨敗したことに国軍は危機感を強めた。現行憲法で定められた軍の特権的地位だけでなく経済利権も、NLD政権の改憲圧力によって包囲網が広げられていくのではないか、と。彼らが巻き返しで出たのが、2月1日のクーデターだった。 
 それから数日して打ち出されたのが、キリンの新しい経営方針だった。 
 
▽日本企業の経済活動と人権、民主化問題を考える好機に 
 企業の社会的責任を問い、企業は利益を追求するだけでなく、法律の遵守、環境への配慮、人権尊重などの倫理、コミュニティーへの貢献などをもとめる声は、1990年以降、国際的にたかまってきた。 
 アウンサンスーチーが1995年に最初の自宅軟禁を解かれたあと、軍政があるていどの政治的、経済的自由化政策に転換するのではないかという期待感が高まると、欧米などの大企業にミャンマー進出のうごきが出てきた。だが欧米やアジアのNGOなどの市民団体は、人権よりビジネスを優先して軍事政権下の独裁国家に進出する自国企業のうごきに待ったをかける運動を展開してきた。米国の市民団体は石油会社ユノカルや清涼飲料水のペプシコーラ、英国の市民団体はブリティッシュ・アメリカン・タバコ、オランダのビール会社ハイネケンの撤退要求と製品の不買運動を展開した。批判の矢面に立たされた企業はいずれもイメージダウンをおそれて進出を断念した。 
 
 日本でもスズキなど一部企業がミャンマー進出を加速させようとしたが、大きな反対運動は起きなかった。企業も人権には無神経だった。丸紅が同年、ダイアモンド社から出した本には、「いまミャンマーは、アジア最後のビジネスフロンティアとして、世界の脚光を浴びている」と書かれ、1988年に軍政に反対して広範なミャンマー国民が立ち上がった民主化運動は「暴動」とされていた。 
 しかし、軍政下の経済悪化によってミャンマー進出の期待は裏切られ、日系企業の撤退が相次ぐようになる。本格的な大量進出は、2011年の民政移管まで待たねばならなかった。そして、それから10年後のキリンの決定である。 
 
 ミャンマー国民はもちろん、日本企業の活動が自国の経済発展に貢献してくれることを期待している。国軍系企業と提携しているからといって、日系企業の撤退を求めたりすることはありえないだろう。だが国軍系企業と手を切る企業が増えてくれば、日系企業への信頼とともに親日感情もたかまることは間違いないであろう。 
 また私たち日本国民の一人ひとりも、キリンの決定を機に、クーデター後の日本企業の操業や家族、従業員の安否などを気にするだけでなく、日本の海外での経済活動とミャンマー国民の人権、民主化の問題がどのような関係にあるのかを立ちどまって考えてみたい。 
 企業の論理としては、それほどたやすく国軍系企業とのパートナー関係を解消することはできないであろうが、私はキリンにつづく企業が少しでも増えてくるのを望みたい。 
 
 そういえば、私がまだ若かった1970年代に三船敏郎を起用したCMが大ヒットした。 
「男は黙ってサッポロビール」 
 それから半世紀たったいま、ミャンマーの民主主義の勝利を願いながら、今宵は「黙ってキリンビール」といきたい。 


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