2021年02月13日10時14分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー軍部のクーデター体制と支配は揺らいでいるか 下級警察官の「反逆」は亀裂の予兆 宇崎真

 国軍のクーデターから10日以上が経ち、ミャンマー国民の抗議運動は拡大し続けている。8割の民意を踏みにじる暴挙は当然の国民的な反撃をうけている。軍部による民主運動大弾圧は1988年、2007年にあり、その忌まわしい歴史をミャンマーの人びとは決して忘れてはいない。だが軍部は、これまでと異なりまだ前面に出てこない。この事実は何を物語るのか。 
 
▽軍の出方を固唾をのんで窺う市民 
 2007年9月27日ヤンゴン市中心部で、白昼万余の民衆の目の前で起きた軍部の狙い撃ちを含む弾圧作戦の現場に筆者はいた。現場で取材活動をしていた日本の報道人は射殺された長井健司カメラマンと私の二名であった。 
 その日はヤンゴン市民の誰もが「今日は何かが起きる。軍隊が襲ってくる」と緊張し身構えていた。前夜には僧院が襲われ、僧衣を剥ぎ取られた仏教僧が次々に検挙されていた。スーレーパゴダに向かう目抜き通りの有刺鉄線の厳重なバリケードが前日よりもデモ隊の側に接近して置かれた。明らかに軍部は「臨戦態勢」を取っていた。 
 その弾圧事件から9か月後に入手した「軍機密指令」によれば、当日現場の軍隊には「デモ参加者のなかのカメラや録音機で記録を取っている者には警告を与え従わない場合には銃撃すること」と明記してあった。(TBS報道特集と毎日新聞で事件から一年にあたり発表) 
 軍が民衆弾圧にいつどのように乗り出してくるか、ミャンマー国民はその恐怖の経験から鋭い感覚をもっている。今回のクーデターとその後の軍部の動きはどう国民の目に映っているのだろうか。 
 
 クーデター後の4〜5日は比較的静かに過ぎた。固唾をのんで様子を窺っていた時間だった。夜間に「悪霊払い」としてナベをたたき、医療関係者が抗議集会などの動きがでたものの全体としては波乱なく過ぎた。そして軍部の警戒と弾圧の態勢が整っていないと感じたひとびとは意を決して街頭に出て抗議の声をあげた。警察の機動隊は出動してきた。夜間外出禁止令、5人以上の集会禁止令をだしたが、軍は背景に姿を見せても前面には出てこない。抗議の声はうねりを見せ始める。最大都市ヤンゴンで6日に数千人の抗議デモ、それが8日には十倍規模にひろがった。 
 大きな都市部だけでなく、地方の市や町でもデモ参加者は急増してきている。例えば、タイと国境を接するミヤワディ(タイ側はメソット)では7日に千名規模の集会デモ、官憲が出動し14名が連行されたが翌日は一万人に膨れ上がる。州都パアンからトラック30台に満載した機動隊が派遣されたが抗議の声に押され拘束した全員を釈放せざるを得なかった。 
 
 注目すべきはこの一両日で警察官が制服姿で反クーデターのデモに加わってきたということである。東部のカヤ―州(州都ロイコー)、中部のマグウエイ管区(最大都市パコック──ここは2007年の全国を揺るがす大運動の起爆となった僧侶決起の場でもある)、イラワディデルタ(最大都市パテイン)でそれぞれ3名から数十名の制服警察官が「反クーデター」「反独裁」を叫んだとローカルニュースが伝えている。 
 
▽軍の「パイの拡大」は思惑外れに 
 思い起こすのはタンシュエ軍事独裁の末期の頃の下級兵士の難民化現象である。’07からの弾圧を逃れ国境を越えてタイ国内に政治難民としてやってくるひとびとを筆者は繰り返し取材した。その難民の群れのなかでも最も疲弊し憔悴していたのは前線逃亡してきた下級兵士らであった。彼らの給料は月3〜 4米ドル、みな一様に押し黙り怯えていた。武器を捨て軍服を脱ぎ、軍紀違反による逮捕を免れようと農民を装いみじめな恰好で逃げてきた。 
 かれらの証言からは、前線における戦闘の実相が伝わってきた。国軍は下級兵士の前線逃亡、サボタージュ、命令への拒否と抵抗にあい頻繁な処罰と投獄で対処、少数民族武装勢力との戦闘も失敗か敗戦続きだというのである。無理もない。最高幹部らはあらゆる利権の機会を逃さず巨額を懐にしまい込んでいる、そんな連中の命令で生命の危険を冒すなんてまっぴらだという必死のだが当然の決断、逃げてくるのもまさに命からがらである。 
 特に激戦多発のシャン州の司令官らの提起で国軍幹部会議が開かれ「このままでは国軍はもたない。前線兵士の大幅待遇が緊急に必要だ。だが人件費に充てる軍の予算がない。国庫に確実にカネが入る仕組みが要る」との方向性がだされる。当たり前のことだが、それまで軍部は利権と直結する武器購入や汚職で人件費は生命維持も可能かどうかの線でしかなかった。 
 
 経済制裁を解除→合法の貿易拡大と外資導入。これは民政移管を前にあらゆる利権の争奪と分配を終えた軍幹部とその取巻き(クローニー資本家ら)にとっても都合がよい路線であった。一旦パイは分配し終わったら、今度はそのパイを広げる。それなくして内部矛盾と衝突は避けられない。かくして国際社会からの民主化要求と軍部の問題解決の欲求が一致したのである。だから2011年に大統領となったテインセインは確固として改革路線を推し進めることが可能となった。 
 2015年の総選挙でアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝。軍部はそれもすんなりと受け入れた。2008年憲法による軍部優先、特権保証、非常時の全権掌握があるし、経済の根幹はクローニー資本家と組めば完璧に抑えられると踏んだ。だが、その目論見は次第次第にはずれていく。期待したほどアウンサンスーチー政権の5年間は「パイの拡大」をもたらさず軍部+クローニー勢力の内部矛盾は深まってきた。そして新型コロナのパンデミックが襲った。 
 
 各地の下級警察官の「反逆」はクーデター体制のほころびであり、崩壊への前兆とみてよいと筆者は判断する。 
 その警察官らは処罰やクビになるかもしれないが、命が虫けらの如く扱われている訳ではない。故郷や家族を捨てる覚悟で越境をめざすわけでもない。公衆の面前で反逆し市民の拍手喝さいを受けている。大いに前線逃亡兵士と条件はことなるが、重大な共通点をももっている。それは独裁体制の土台に重大な亀裂が見つかったということである。 
 
 この「反逆」は表面化した亀裂である。では軍部が前面に出てこない局面をどう見るかである。まだそこまで深刻な事態ではないから「待機」しているということなのか。つまりこの先に大弾圧計画が姿を現すのか。それとも「出てこれない」事情があるのか。筆者はここが最も気になるポイントであり、重要な分析ポイントではないかと見ている。 
 いくつかのソースを辿っていくと、後者、つまり軍部による暴力的抑圧は強力なブレーキ作用がかかって発動できない状態にあるようなのだ。 


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