2021年02月20日13時48分掲載  無料記事
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アジア

日本の近代サッカーの「父」はビルマ青年だった 軍政後に祖国で消息不明に 宇崎真

 3月25日に横浜で開催予定だったW杯アジア2次予選の日本とミャンマーの試合が延期された。クーデター後の民主化運動で混乱がつづくミャンマー側からの求めによるものという。残念なニュースだが、この機会にサッカーをつうじた両国の浅からぬ関係を思い出してみたい。日本の近代サッカーの「父」はビルマ青年だったのである。「父」チョーディンは、帰国後に祖国の工業化にも貢献するが、1962年のネーウィンの軍事クーデター後に消息不明となったままである。 
 
 私は高校でサッカーに夢中になり、それが昂じてハノイ特派員時代戦時下に北ベトナム外務省に無理を頼みサッカーチームに加えてもらったりもした。圧倒的な野球人気のまえにサッカーはまだマイナーなスポーツだった。それでも日本のサッカーといえば釜本邦茂、杉山隆一、古くは鈴木重義、竹腰重丸が、そして東京オリンピック時は西ドイツのクラマー監督らが日本サッカーを育て代表してきたと思っていた。 
 それが、「日本の近代サッカーの父はビルマ青年だった」と知ったとき私は衝撃を受けた。戦前のことだ。身長180cm走高跳の選手のチョーディンはサッカーの名手でもあった。英国植民地のビルマはショートパスを重視するスコットランド戦法で訓練されたサッカー先進国であったのだ。一方日本はロングパス主体、根性重視のサッカーだった。 
 
 1921年チョーディンは東京工業高等学校に留学する。グラウンドで早稲田高等学院サッカー部の練習を目にして思わず教えたくなってしまう。その実技も理論も日本の選手には斬新なものだった。やがて同行の正式にコーチとして呼ばれる。そして見事同校はインターハイ(全国高校選手権大会)を制する。それが評判を呼び全国から次々と招請の声がかかるようになる。 
 1923年関東大震災で留学先の校舎が崩壊、学業中断となる。チョーディンは全国にコーチ行脚の旅にでる。そのときの教え子から上記の鈴木、竹腰ら優秀選手が輩出する。そして日本代表チームは1930年極東選手権大会で優勝、1936年ベルリンオリンピックで強豪スエ―デンを破る殊勲を記録した。ヒットラーの祭典でイタリアサッカーが優勝し、アジアから新興日本が奇跡を起こした。なにやらその後の日独伊三国協定を想起させるような展開ではある。 
 
 チョーディンは日本サッカーに多くの種をまき、1924年に帰国しその後ぷっつりと消息を絶った。その足取りを追うのは不可能に見える。だが、この幻の人を追って埼玉のミニコミ誌「バダウ」発行人の落合清司氏がミャンマーに足を運び「二年間チョーディンの指導を受け工場勤務をした」というひとに出会う。そのウ・ミンウエイ氏(ミャンマー元日本留学生協会会長)によると、チョーディンは帰国後日本で習得した知識技術を活かしある民間工場で働く。その工場はカチン族リーダー、サマドゥアスィンワナウン所有で国の工業開発のモデルにもなり、製鉄釜、金型など工業化の土台を築く役割を果たしていたとみられる。62年ネーウィンの軍事クーデターが起き「ビルマ式社会主義」標榜のもと国有化が推進される。卓越した技術者であり指導者であったチョーディンは「国有化」とともに姿を消してしまう。 
 噂では、国を離れ外国に移住してしまい音信不通となった。 
 
 1948年独立でビルマ連邦が成立、その国家理念は民族、宗教の相違を超えた連邦国家であった。だから初代大統領はその象徴としてシャン族リーダー、サオシュエタイであったし二代目にはサマドゥアスィンワナウンの名があがっていたという。 
 断片的な情報ではあるが、それらをつないでいくと、チョーディンは日本サッカーの大恩人であっただけでなく、ミャンマー工業化の礎を築いた非凡な人物であったといえそうだ。 
彼の技術と経験はミャンマー国産ジープにも受け継がれているともいう。 
 日本サッカー協会は多大な功績を残したチョーディンを称え2007年彼の殿堂入りを決めた。ミャンマーサッカー協会も遺族や子孫が名乗り出ることを期待し消息を尋ねる広告を出した。だが、いまのところ反応はどこからもない。翌08年ミャンマー軍部とクローニー資本家らは巨額な財をもとにサッカープロリーグを創設した。私はその二つのニュースをいずれも窮乏と激動のヤンゴンで知った。 


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