2021年02月23日10時43分掲載  無料記事
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アジア

「おなじ人間として」の灯を受け継ぐために 「3・11」とミャンマー民主化をつなぐもの

 「民主化の灯を消さないために支援してください」と訴え、国軍クーデターに抗議する在日ミャンマー人らのデモが日本各地でつづいている。その声は私に、「3・11」の東日本大震災に寄せられたアウンサンスーチーさんの日本の人びとへのメッセージと、被災地への救援に立ち上がった在日ミャンマー人ボランティアのすがたを思い起こさせる。現在のミャンマーと10年前の日本をつなぐものは、おなじ人間として苦境にある人たちに支援の手をさしのべるために、私たち一人ひとりに何ができるかという問いであろう。(永井浩) 
 
▽「最大の力は人間の精神」とスーチーさん 
 スーチーさんは、「日本のみなさまへ」と題して毎日新聞に連載中の『ビルマからの手紙』(2011年4月23日付)で、東日本大震災をこう表現している。 
 「大地、水、火、そして大気。世界を形作る四つの要素すべてが一塊になり、日本に大惨事をもたらした。大地はとどろき引き裂かれ、海からは葛飾北斎が描いたようなとてつもない大波が押し寄せ、強震に見舞われた海岸線に容赦なく襲いかかった。そして街をむさぼるような炎。四重苦の最後は、放射性物質を運んだ大気だった」 
 そして、被災した人びとが破壊された家々や街を黙々と再建しようとしている姿を世界の人びとが同情と称賛のまなざしで見つめるなか、彼女は、逆境に打ち勝つのに「最大の力を発揮させるものは人間の精神なのだ」として、シェークスピアの作品を引く。 
 
 逆境が人に与えるものこそ麗しい 
 ガマガエルに似た醜く毒があるが 
 頭の中に貴重な宝石を隠している 
 (『お気に召すまま』より) 
 
 「ガマガエルの頭の中の宝石こそ、試練の中で磨き研がれた光沢と輝き、つまり人間の精神なのだ」 
 また「人の心と感情を揺さぶるのが人間の精神ならば、遠く離れた文化の違いを埋めてくれるのも人の精神」と信じる彼女は、東日本大震災の一報を聞いたとき、まず自分のことのように日本の被害に心を痛め、私たちにこの苦しみを乗り越えるための力添えになることがあればと考えた。ただ悲しいことに、ビルマには他国へ救援物資を送る余裕がない。 
 「でも、私たちは知っている。日本人の強さには剛と柔の両面性があり、逆境に立ち向かう際に見せる強靭な精神力だけでなく、繊細な美意識や詩歌をめでるしなやかを合わせ持つことを。だから、物資の代わりに、詩を寄せ合うことにした。ビルマ人の精神を示そうと」 
 詩を寄せたひとり、彼女が率いる国民民主連盟(NLD)幹部のウー・ウィッティンは、政治犯として約20年間投獄され、79歳の誕生日をまえに2008年9月に釈放された。彼は日本の天災被害とビルマの悪政被害との相似点を迫力ある筆致で表現し、人間社会と自然界がはらむ残忍さと慈悲深さ、辛苦と人情をつづった。 
 またウー・ニェインティンはこう記した。 
 
 夜明けを予感させるもの 
 それは漆黒よりも暗い闇 
 真実は闇の中から現れ 
 ああ世界よ…… 
 勇気を出して手を伸ばし 
 闇の底からはい上がろう 
 
 「日本が立ち上がる時、私たちの詩が支えになればと願う」と、スーチーさんは結んでいる。 
 
▽人助けに「日本人も外国人も関係ない」 
 被災地支援のボランティア活動に参加した在日ミャンマー人たちの多くは、祖国の民主化運動に参加して軍政に追われたため日本に逃れてきた若者たちだった。彼、彼女たちは日本で難民認定を受けた者もそうでない者も、慣れぬ異国で低賃金の労働で日々の生活費をやりくりしながら、民主化活動をつづけていたが、その乏しい稼ぎのなかから資金を出しあって東北の被災地に車で何度も生活必需品などを届けた。地元で手作りのビルマ料理もふるまった。 
 私は当時、彼らと日本の市民が力をあわせてビルマ民主化の日を一日でも早めようとめざす小さなNGO「ビルマ市民フォーラム」(PFB)のメンバーだったが、その機関誌「アリンヤウン」(ビルマ語で「光」の意)には、こんな言葉がならんでいた。 
 東京から遠路、宮城県石巻市まで行った理由を、タウンミィンウーさんは「おなじ人間として困っている人を助けたい想い」、ケーティさんは「日本人も外国人も関係ない。何かできることをやりたい、と思った」と述べている。 
 同様に日本人のわたしたちは、おなじ人間として軍政下の非道に苦しむミャンマーの人びとを見捨てていいのか、という素朴な義憤にかられてPFBにくわわった。私も、その一人だった。 
 
 それから10年、ミャンマーでは2011年の民政移管後、民主化が少しずつ進み、外資の参入によって経済も発展してきた。16年の総選挙でNLDが圧勝して、翌16年にアウンサンスーチー政権が発足した。この間、日本にいた民主化運動の活動家たちにも何十年ぶりかに祖国にもどる者が増えてきた。日本とミャンマーの人の往来もビジネス、観光などで飛躍的に活発になった。いま東京、大阪、福岡などの各地で日本の人びとに母国の民主化支援をうったえるミャンマー人たちのほとんどは、軍政下で民主化運動に参加した人たちより若い世代であろう。 
 彼らは、まさかふたたび自分たちの国が軍人支配の暗黒時代に逆戻りするとは思っていなかった。それだけに、驚きはすぐさま巨大な怒りのうねりとなった。 
 いっぽう、日本人の大半は東南アジアの隣人たちがどれほどの政治的苦難に耐えてきたのかも、アウンサンスーチーという民主化指導者の解放をかくも多くの内外のミャンマー人たちが要求する理由も、今回のクーデターが起きるまではほとんど知らなかったのではないだろうか。「3・11」に寄せられたミャンマーの人びとの精神的、物質的支援も、知らないか忘れられてしまったであろう。 
 だがいまこそ、私たちはこのような歴史を学び直し、おなじ人間としての灯を受け継いでいくにはどうしたらようかを考えてみたい。できれば、身近にいるかもしれない在日ミャンマー人といっしょに、「人間の精神」を発揮しながら。 
 被災地支援に立ち上がった在日ミャンマー人の民主化活動家が言っていた。「民主化というと難しそうに聞こえるかもしれないけど、ようするに私たちも日本人とおなじように平和で自由な社会で暮らし、自分たちの国を発展させたいんです」 


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