2021年03月01日12時09分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー国軍の武力弾圧激化、日本政府の新規ODA停止は民主化逆行の歯止めになり得るか 問われる人権への本気度

 民主化デモに対するミャンマー軍政の武力弾圧が激化してきた。治安部隊の各地での発砲による2月28日の死者は、国連人権高等弁務官事務所によると、18人。日本政府は国軍のクーデターを受けて、同国への政府開発援助(ODA)の新規案件の採択を当面停止する検討に入ったとされるが(朝日新聞2月25日)、米欧のような「制裁」とは一線を画し、国軍とのパイプを生かして独自に民主的な解決を働きかける対話路線を継続するという。日本の独自路線が、果たして事態の悪化に歯止めをかけられるのだろうか。日本の人権と民主化への本気度を問うためには、軍政とODAの浅からぬ関係を検証してみる必要があるだろう。(永井浩) 
 
▽日本はミャンマーへの最大援助国 
 外務省によると、2019年度の日本の対ミャンマーODA実績は1893億円(内訳は円借款1688億円、無償資金協力138億円、技術協力66億円)で、支援額を公表していない中国を除けば先進国で日本は最大の支援国となる。 
 日本のミャンマーへのODA供与は1962年にクーデターで軍事独裁体制を築いたネーウィン政権時代にさかのぼる。日本は同政権に対して多額の経済援助を開始し、ビルマ(ミャンマー)の受け取るODAの8割は日本からだった。 
 日本政府は、2011年の民政移管後もミャンマー政府へのODA供与をつづけ、2017年の累計で1兆1368億円の有償資金協力、3229億円超の無償資金協力、984億円超の技術協力を実施している。2013年には過去20年の債務の遅延損害金1761億円が免除されたほか、円借款の再開にあたり延滞債務の債務免責として、1989億円の借り換えを支援するなどの支援をおこなった。(特定非営利法人・メコンウォッチ資料) 
 
 ODAは途上国の経済開発や福祉向上のために先進国がおこなう資金や技術援助であり、私たちの税金が投入される。 
 だがネーウィン政権は経済発展に失敗し、資源豊かな自国を世界の最貧国のひとつに突き落とした。それに対する国民の不満が引き金となって、1988年に軍事独裁政権の打倒をめざす民主化要求運動が全国的な盛り上がりをみせる。そのなかから民主化運動の中核組織として登場したのが、アウンサンスーチー氏が書記長をつとめる国民民主連盟(NLD)だった。この国民の民主化要求に対して、軍は同年9月にクーデターで応え、軍事政権を樹立するとともに、非武装のデモ隊に無差別発砲をくり返した。軍は死者を348人と発表したが、西側外交筋によれば1000人以上とされた。NLDは徹底的に弾圧され、スーチー氏は翌89年から自宅軟禁となった。 
 民主化運動を血の海に沈めた残虐行為に抗議して、西側諸国はいっせいに軍事政権への経済援助を停止した。日本は援助停止に二の足を踏んだあ げく、しぶしぶ国際世論に歩調を合わせて新規援助を停止した。 
 
▽突出した日本政府の人権音痴 
 95年にスーチー氏が6年間におよぶ自宅軟禁から解放されると、これを民主化への前進と評価してまっさきに援助再開を表明したのは日本だった。「事態はなにも変わっていない。人権と民主化の保障されていない現在のビルマに援助しても国民の生活向上に結びつかない。投資も民主化が実現するまで控えてほしい」というスーチー氏ら民主化勢力の訴えに応えて、欧米諸国は援助再開を見合わせるとともに経済制裁などの軍政にたいする締めつけを強化した。日本は民主化の進展に合わせて段階的に円借款の凍結を解除する方針だったが、民主化が進まないために凍結状態がつづいた。 
 しかし、人道目的とされる日本の援助は少しずつ増えた。98年にヤンゴン国際空港の補修のために資金供与が決定された。これは88年の民主化運動弾圧以前に供与が決まっていた額の一部にすぎず、補修は着陸する航空機の安全を確保するために不可欠なものと説明された。 
 これに対してスーチー氏は、『ビルマからの手紙』でこう反論した。 
 「私の聞くところでは、ICAO(国際民間航空機関)は日本の資金が使われる安全装置は必要不可欠なものではないという見解であるという。だとすれば、日本政府の決定は理解に苦しむ。ビルマへの援助は88年以後、軍事政権が人権を侵害しているとの理由で停止された。援助の再開はいかなる形態のものであれ、ビルマの人権が向上したとする主張を裏づけるものとして、既得権益をにぎっている連中たちに利用されるのは疑いなかろう」 
 彼女は依然としてつづくNLD党員や支持者らの逮捕、投獄、獄死や政治活動への容赦ない弾圧の実例をあげ、「日本政府の決定には深い失望を禁じえない」とし、「国連の世界人権宣言の50周年にあたる今年、それは人権をないがしろにする決定である」と批判した。 
 
 日本政府の国際社会における突出した人権音痴の極めつけが、2003年5月に起きたディペイン虐殺事件への対応だった。NLDの党員や支持者らとサガイン管区のディペインを遊説していたスーチー氏一行が、軍政の翼賛組織の暴漢らの襲撃を受け、多数の死傷者がでた。彼女は車のなかにいて危機一髪で命びろいしたが、その後、3度目の自宅軟禁となった。 
 米国は事件発生直後に現場に係官を派遣して真相究明にあたらせ、これが軍政側により事前に仕組まれた襲撃計画であることを明らかにするとともに、軍事政権に対する制裁強化を打ち出した。欧州連合(EU)も同様の方針を表明した。欧米の強硬姿勢をうけて、東南アジア諸国連合(ASEAN)も6月、プノンペンで開かれた外相会議で、スーチー氏の早期釈放を求める共同声明を発表した。加盟国の内政不干渉を原則とするASEANとしては異例の措置だった。 
 小泉政権の川口順子外相は事件直後、ミャンマーの現状をふまえて今後の対ミャンマー政策をどう考えるのかという報道陣の質問にたいして、こう答えた。 
 「まず(人権状況が)悪化していることはないと思います。今回のことはありますが、政治犯の釈放を見ますと、ずっと進んでいて、民主化に向けて進展してきたというなかで今回のようなことがありました。いまの段階で日本の政策を変えることは考えていません」 
 軍政は衝突の責任はスーチー氏側にあると発表していたが、欧米諸国や各国のNGOなどはすでに事態を深刻に受け止め、あいついで軍事政権批判をつよめていたさなかの発言である。日本政府は、事件から1ヶ月近くたってからやっと、スーチー氏らが釈放されるまで新規のODAの実施を凍結する方針を固めた。 
 
 国際社会とのずれが指摘されるごとに、日本政府が自己弁護の弁明としてくりかえしてきたのが、我が国は米欧と異なり軍政とスーチー氏ら民主勢力の双方にパイプをもっており、民主化の前進にむけた独自の努力をつづけているという主張だった。欧米のような強硬策一本槍ではかえって軍事政権をかたくなにさせ、民主化を遅らせることになりかねない。だから日本は、ODAをつうじて徐々に軍政に民主化への転換をうながしていくというのだ。政府はそれを「積極的関与」政策と呼んだが、軍政の軟化につながる成果はまったく挙げられなかった。 
 日本の独自路線なるものが、メディアをつうじた国民へのプロパガンダにすぎなかったことは、私が今回のクーデターが発生した2月1日の本サイトの記事「日本政府は今度こそ民主化支援を惜しむな」であきらかにしたとおりである。外務省はスーチー氏の連続エッセイ『ビルマからの手紙』を掲載する毎日新聞に対して、「日本・ミャンマー関係がこじれる。ひいては日中関係にも悪影響をおよぼす」と再三にわたり連載の中止を要請してきた。日本政府のいう双方のパイプという主張は真っ赤なウソ、つまり外務省の顔は軍事政権にしかむけられず、ミャンマーの国民の人権などどうでもよかったのである。 
 そしてふたたび、国軍クーデターに対する日本の独自政策というフレーズの登場である。 
 
▽いまこそ新ODA大綱の国際公約を実現する好機 
 2011年の民政移管後に3度目の自宅軟禁から解放され、国政への参加がゆるされるようになったスーチー氏と彼女が率いるNLDが16年には文民政権の座に就いた。国軍はその後も大きな実権を維持してきたものの、民主化の進展とともに政治的特権と経済利権を脅かされるとの危機感を強め、時計の針を逆戻りさせる暴挙にでたのが、第2次スーチー政権の発足直前の今回のクーデターによる権力奪取だった。 
 もちろん独自政策はあってもよい。何事にも米国に右へ倣えの日本政府が、ことミャンマーにかぎってはホワイトハウスとは一線を画した民主化政策をもちあわせていて、それを本気で実行に移そうとするなら歓迎すべきであろう。西側先進国のなかで最大の対ミャンマー援助国の日本が、それを武器に国軍に誤った姿勢を正させることを期待したい。米国の人権を基本的価値観とする国軍幹部らの資産凍結などの「制裁」の段階的実施、英国とカナダの軍幹部の資産凍結の「制裁」実施、ニュージーランドの政治、軍事面での接触の一時停止、EUの国連安保理と国連人権委員会での議論リードなどの努力と連動して、日本も軍政を退陣に追い込むことに貢献できるかもしれない。 
 だが朝日その他のメディア報道をみるかぎり、日本政府にはそのような気概は感じられないし、腰も定まっていないようだ。 
 
 茂木敏充外相は2月26日の記者会見で、ミャンマーへの新規ODAの決定は見合わせる方向で検討に入ったとしながらも、「今後、情勢も見ながら対応を決定したい。どういった形でミャンマーを動かすことができるのか、こういうことから検討していきたい」と述べた。軍政へのきびしい対応はミャンマーの中国への接近を招く懸念があるものの、「いまミャンマー政府への経済援助をおこなえば、軍事政権を認めることになってしまう」(政権幹部)というジレンマに立たされているという意味であろう。メディアに登場する識者らもおなじような見解をしめしている。 
 しかし、ミャンマーが中国に接近するかしないかは同国民とその民意を代表するスーチー政権の判断にゆだねるべきであり、現時点で私たちに問われている最も重要なことは、平和と民主主義を尊重するはずの私たちの国の政府が、非民主的な軍政と民主主義を推進しようとする国民のどちらを優先すべきなのかという選択である。 
 2015年に閣議決定された開発協力大綱(新ODA大綱)は、国益への貢献とともに、普遍的価値の共有、平和で安全な社会の実現をうたい、「質の高い成長」による安定的発展の実現をめざすとしている。そのためには、一人ひとりの権利が保障され、人々が安心して経済社会活動に従事し、社会が公正かつ安定的に運営されることが不可欠であるとして、発展の前提となる基盤の強化の観点から我が国は、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値の共有や平和で安定し、安全な社会の実現のための支援をおこなうことを、世界に宣言している。 
 
 ミャンマーの民主主義の危機という現在の事態に直面した日本政府は、これまでの人権小国の汚名を返上するためにも、この世界への公約に忠実でなければならない。同盟大国のバイデン米政権の顔色をうかがいつつ、ミャンマーの軍政との過去のしがらみを断ち切れず、「独自路線」という洞ヶ峠を決め込むことは許されない。 
 また私たち国民の一人ひとりも、自分たちの税金が正しく使われているのかそうでないのかに目を光らせる義務と責任があろう。 
 1988年のミャンマーの惨劇をくりかえさないために、私たちの政府と国民に何ができるのかを、軍の弾圧に屈せず民主化デモをつづける同国民の声とそれを支援する国際社会のうごきに伴走しながら、真剣にかんがえていきたい。アジアの隣人たちの苦境にどう向き合うかは、私たちの足元を見直すことにもつうじることなのだから。 


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