2021年03月24日10時43分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマーの軍部クーデターと農村の疲弊 多重債務で軍政への不満充満 宇崎真

 ミャンマーの政権を簒奪し連日殺戮行為をつづける国軍は、最大都市ヤンゴンに戒厳令を敷き恐怖の抑圧を拡大している。それに抵抗する国民の大多数はゼネスト続行、支持という明確な意思を表明している。だがここ数日は銃撃の標的にされる危険を感じ街頭デモに出る人々は減少しているという。しかし確実にいえそうなことは、総選挙で示された8割の国民の支持を蹂躙する国軍への反感と抗議の意思は深まりこそすれ薄まることはないということだ。それともうひとつ、この国は基本的に農業国であることを忘れてはならない。私たちの関心は都市部のニュースに集中しがちだが、いま農村でなにが起きているのかも見逃せない。 
 
▽日々の収入減より市民不服従を優先 
 今回の市民不服従運動(CDM)のひろがりと深さは1988年、2007年の民主化要求大デモを大きく上回るものとなっている。そのマグマはどこからきているのだろうか、ここでは特に経済面、民衆の日常の暮らしのなかから見てみよう。 
 
 クーデター後まず国軍経営の銀行(ミヤワディとインワの2行)に対する預金引き出し騒ぎが始まった。それが現在では多数の銀行が行員による組織的なCDMで閉店状態を引き起こしている。業を煮やした軍部はミャンマー中央銀行(CBM)とミャンマー経済銀行(MEB)を通じて各民間銀行に「平常業務を再開しなければ、当該銀行の資産差し押さえ、預金保有高を全てCBMかMEBに移せ」と恫喝している。 
 筆者の得た情報では、現金不足に困った軍部は中央銀行に紙幣増刷を命じたが職員が従わないという事態が起きているという。公務員(現役、退役)の給料、年金の支払いは通常MEBの口座引き落としなのだがそれが不可能となってきている。継続するCDMは国民の大多数がなけなしの収入の不都合があっても今回のクーデターは断じて許せないとの決意の表れとみていい。 
 開いている銀行の現金引出し(預金する者はいない)は一人50万チャット(約3百米ドル)、企業団体の口座だと14,000米ドル上限だという。デジタルバンキング、ATMはまだ可能といっても軍部がデジタル通信を遮断すれば使えない。 
 
 これら市民の困難は主に都市部でのはなしだ。銀行預金やATMとは縁のない多くの農民にとってはどれほどの困難と苦痛に直面しているか想像にかたくない。 
 筆者は二年前にマイクロファイナンス事情の調査でエヤワディ管区の農村に入ったことがある。そこで見たのは多重債務者の急増であった。 
 
▽「アジア最後のフロンティア」へのMFの殺到 
 日本でサラ金地獄からの自殺が増え消費者金融企業が社会的指弾をうけ、法改正がなされたのは1983年のことである。それ以降「うまみ」の少なくなった日本の関連業者はアジアの台湾、韓国などに進出、そしてタイにやってきた。そこは闇金がひろがり、途方もない高利(一日に1割というのさえあった)がはびこる中で「年利30%」「給料の3倍まですぐ貸します」は評判を呼び一気に業績を伸ばした。日本国内での「教訓」を踏まえてどこの業者も丁寧な対応をした。経済不況のなかで「年に30%」の粗利を生む業界は多くない。 
「バスに乗り遅れるな」と主だった消費者金融企業はことごとくタイ進出を遂げた。確実に伸びる業界とみると大手銀行もこぞって消費者金融を保護し融資し、またみずからその分野の開拓をおこなってきた。企業間の競争が激化、A社への返済に困りB社から借金というケースが激増、ついには多重債務者が蔓延する事態となった。三年前に政府が「借金返済に困り公的支援を必要とする人は名乗り出るように」と呼びかけたらなんと一千万超の債務者が現れて政府は驚愕した。全世帯数は2千万であるからその半数が多重債務に陥っていたのである。 
 
 借金の回収率が下がると、資本は次なる市場を狙う。カンボジア、そしてミャンマーがターゲットとなった。 
 十年前までミャンマー軍政下のマイクロファイナンス(以下MFで表す)は微々たるものだった。国際機関が貧困層救済、自立援助という「バングラデシュのグラミン方式」で活動していた。2011年から民政移管、欧米の経済制裁解除、西側資本の参入が進み、「アジア最後のフロンティア」のかけ声とともに、国内外のMF企業が流れ込んできた。ミャンマー側の規制が緩かったこともあり、2016年段階で260社が登録した。 
 参入(実際の開業は167社とみられる)企業のうち外資関連は31社、日本からはイオン、マルハン等が営業開始、国営のミャンマー農業発展銀行(MADB)軍部もMF企業をつくりその業界に乗り出した。 
 日本でのパチンコ最大手(270店舗 年間売上1兆6千億円とも言われる)のマルハンはまずカンボジア金融業に進出し日系初の商業銀行を設立、大手MFへの卸金融もてがけ次いでミャンマーへも進出している。 
 
 現在も160社程度がミャンマーで営業継続しているとみられるが、一部の良心的で貧困層住民の利益を重視する社を除けば、共通する営業方式をとっている。それは債務者を五人組といったグループ分けで「相互援助」(相互監視でもある)させる。半世紀にも及ぶ軍政の監視が続いたミャンマー、特に農村部ではいまなおその影響が残っている。上意下達、相互監視であるがそれをMF企業は活用する。村長と話をつけ賄賂を渡し借金を希望する村人を集めてもらう、村の僧院に約束の日時に村人に集まってもらいMFスタッフが契約を結んでいく方法である。貸付額はせいぜい3百米ドルまでだが、一度に200〜300 人も契約出来ればMF企業側はいい商売となる。 
 年利30% 毎月定期的に僧院に集まっては返済をつづけていくのだが、ただでさえ苦しい家計の農民がその借金返済をしていけるのか疑問に思った。だが、予想に反して、農民五人組は債務者としての返済を実にきちんとおこなっていた。返済期日前に五人組リーダーは各家庭を回り返済確認をし、不足とあれば家具を売ってでも返済できるように「援助」していたのだ。債務者はリーダーに迷惑かけてはまずい、リーダーは村長に迷惑かけまいとし、村長はMFとの約束を守りたいと。封建的な上下関係と軍政時代の監視システムの強烈な残影を見た気がした。 
 そうしたシステムに乗っかったFMビジネスはリスクが少ない。やがて他のMF企業もミャンマー農村を恰好の「草刈り場」として乗り込む。そしてFMが「村を壊していった」(エヤワディ管区のある村長の言葉)のである。農村での多重債務者が急増、返済率が低下してMF業界にとっての「よき時代」は短期間で去ろうとしている。ようやくアウンサンスーチー政権もその重大な問題に気づき手を打とうとしていた。 
 
▽軍政は国民の胃袋を満たせるか 
 この数年でミャンマー農村は激変しつつある。化学肥料、バイク、携帯電話、インスタント食品が入り込み、否が応でも現金が二倍も三倍もいる社会となった。若者の出稼ぎが当たり前となり農村に活気が乏しくなってきた。人手不足を補うために月賦でトラクター購入が必須となった。教育費の上昇も家計を圧迫する。いまミャンマーの農村はかつてなく疲弊している。MFの需要はおおよそ十億米ドル(300万人)と言われている(2018年の政府予測)が現在ではもっと増えているに違いない。 
 そこに新型コロナとクーデターが重なり襲ってきたのである。我々外部にいるとどうしても都市部の民衆デモへの武装攻撃のニュースにばかり目が行きがちである。ニュースにあがってこない農村部、辺境の少数民族地帯のひとびとはどうなっているのか、その境遇を多少なりとも取材してきた筆者としては気が気でない毎日である。 
 
 ミャンマーは依然として農業が国の基幹産業である。だが国内総生産GDPに占める一次産業(農林漁業分野)の比率は約25%にまで低下している。ビルマはかつて世界一のコメの輸出国(1925年に340万トンを記録)であった。それが半世紀に及ぶ軍部独裁政権下で 
2011年にはコメ輸出は70万トンまで落ち込んだ。逆に言えば、豊かな国から「最貧国」にまで転落したのに軍部独裁がつづいたのは何故か。筆者のみるところ、軍部の延命は肥沃な土壌、農民の生産努力の恩恵によるといっても過言ではないだろう。 
 例えば、2008年にコメの生産量は 3,000万トン(籾換算)以上に達している。その時期は2007年の民主化運動の高揚ー大弾圧、翌08年にはサイクロン大災害で最大の穀倉地帯エヤワディ管区が大洪水に見舞われ、西側の専門家、各国政府はこぞって「海水による塩害もあってコメ生産復興には数年、あるいは十年かかる」と断じていた。ところが、実際には  2006年 3,092 万トン07年 3,145 万トン 08年 3,257万トン 09年 3,268万トンと推移しているのである。(軍政当局発表ーFAO もそのデータ使用) 
 
 ミャンマー国民は世界で最も沢山コメを摂るという。一人当たり年間260kg これは日本人の5倍余に当たる。(1962年に調査が始まって以来の最高を記録し118kg 現在では50kgを割っているとみられる) 
 
 軍政が権力維持に腐食したのはまさにその巨大な胃袋をどう満たすかであった。それは社会不安、政情不安は必ずこの胃袋の問題に直結してきた歴史があるからだ。言い換えれば、軍政はハナから言論、結社の自由、民主主義、法の支配には価値を見出さず、やや極端にいえば、コメの十分な自給さえあれば国民を統治できると踏んでいた。現代における愚民政策ともいえよう。だから大学をしばしば長期間閉鎖しほぼ十年に亘ってまともな大学教育を封じていられたのである。 
 米増産の目的のために、コメの強制作付け、政府による供出制度、輸出の一元管理が政策の土台とされた。その政策は2007年12月、つまり「サフラン革命」の2か月後に民政移管、国有企業の民営化を早くも見込んでコメ輸出が民間企業に許可されると同時に軍部の企業(MEC)が直接輸出をコントロールできるシステムを構築した。 
 
 国軍はかつての独立義勇軍―反ファシスト人民自由連盟―抗日蜂起―独立に至る建軍の精神をすっかり脱ぎ捨て暴力装置を独占した利権集団と化した。筆者がそう断じざるをえないのは2004年のタンシュエ独裁体制確立からの軍部の動向をみてのことである。 
 利権が確保されるとあれば牙は隠し(民政移管プロセスの期間)その獲得利権を貪り食い、利権が侵されるとみればその凶暴性を発揮して恥じない。 
 
 いままたミャンマー農村(農業就業人口は全就業人口の約半分で約1,100万人)は疲弊し不満が充満しているにちがいない。今回の疲弊も不満もかつてなく深刻である。多重債務で追い詰められた農民の問題はコメ増産政策よりもずっと複雑困難である。自然と土壌もそして何より農民の大部分は軍部の味方にはならないだろう。 


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