2021年03月27日10時36分掲載  無料記事
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アジア

「ビジネスにも日本の美学を」スーチー氏がミャンマー進出日本企業にもとめる「和敬清寂」の精神

 2月1日のミャンマー国軍のクーデターから一夜明けた翌朝の日本経済新聞は、「『最後の成長市場』暗雲」という見出しの記事を載せた。「内政混乱は日本の進出企業にとって打撃でしかない」という。社説は「日本は官民挙げてミャンマーの民主化や経済開発を後押ししてきた」として、それに打撃をあたえる「軍政回帰は認められない」とする。同紙以外のメディアの報道姿勢も基本的にはおなじである。だが、日本の支援を支援される側の国の人びとがどのように受け止めているのかは、明らかにされない。なぜなのだろうか。(永井浩) 
 
▽官民挙げたティラワ工業団地造成 
 日本の官民挙げた経済開発支援の目玉商品とされるのが、巨額の政府開発援助(ODA)を供与して最大都市ヤンゴン郊外で整備が進められているティラワ工業団地である。 
 同工業団地はミャンマーのインフラ整備をめざして、2011年の民政移管でテインセイン政権が発足したのをうけて、計画がスタートした。テインセイン大統領は軍人ながら、前年に自宅軟禁を解除されたアウンサンスーチー氏と初めて会談、政治犯の釈放や言論の自由の推進などを約束した。これをうけて、米国やEUが経済制裁を解除、日本もODAを再開した。13年に麻生副首相がミャンマーを訪問し、15年のティラワ開業を同大統領と確認、さらに安倍首相の訪問で約200億円の円借款が決定した。 
 工業団地はティラワ経済特区(SEZ)に、住友商事、三菱商事、丸紅などが主導して造成、工事着工からわずか約2年で同国初の近代的工業団地が動き出した。15年の民政移管後初めての総選挙でスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝し、16年にスーチー政権が発足する直前には、約210任涼鎮呂悗瞭居を決めた外資は13ヶ国・地域から56社に上り、うち29社が日系企業だ。つくる製品も、工業製品や建設資材から、下着、ゆいぐるみ、食品など多岐にわたる。その後、第2期の150任梁だ工事もはじまり、スズキやトヨタ自動車も進出している。 
 NLDで経済政策を統括するハンミータイン氏は、朝日新聞の取材にたいして「海外からの投資を積極的に受け入れていく」と話し、「ティラワ開発はこの国にとって非常に有益だ」とも述べた。 
 
 こうした動きとともに、メディアでも、ミャンマーはそれまでの「軍政対アウンサンスーチー」という図式から、日本の官民が一体となって経済進出する「アジア最後のフロンティア」といううたい文句が定着していく。毎日新聞(12年5月10日夕刊)の特集面にはこんな大見出しが躍っている。「ミャンマーが呼んでいる 「謎の国」有望市場に 日本企業 進出へ熱視線」 
 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10か国のひとつであるこの国には、外資にとってさまざまな魅力がある。面積は日本の約1・8倍、加盟国中、インドネシアにつぐ2番目の広さを誇り、天然ガスのほかヒスイやルビーなどの鉱物資源にも恵まれている。くわえて、中国の1割程度、ベトナムと比べても約6分の1とされる人件費は、進出企業にとって大きなメリットだ。約5000万人という人口規模も有望な市場として期待できる。 
 今年2月のクーデター発生時には、ミャンマー日本商工会議所の会員企業は400社をこえ、業種も建設、製造業、金融業など幅広い分野におよんでいる。インフラ分野ではKDDIと住商の合弁会社が現地通信公社と共同で携帯電話事業を運営。消費分野では、民主化後、外資小売業として初進出したイオングループが大規模商業施設の開設を進めている。証券取引所の運営には大和総研と日本取引所グループが参加している。 
 日本経済新聞は「日本企業は雇用を創出するだけでなく、従業員の教育にも熱心で現地でのレピュテーションも高い」として、ミャンマーを「親日」と評している。だから、クーデターによる内政混乱で経済活動が停滞すれば、進出企業にとって打撃でしかないと危惧する。クーデター後、日経以外のメディアでも同工業団地を中心に進出日本企業の今後の動向を注視する報道がつづいている。 
 
 ミャンマーが半世紀以上におよぶ軍事独裁政権下で疲弊した経済を立て直し、豊かな国づくりをめざすには、先進諸国の協力は不可欠である。そのための基盤となるインフラの整備に日本が官民挙げて支援するのを、民政移管後の同国政府が歓迎するのは当然であろう。スーチー氏も、国家顧問という政権のトップに就任したとき初会談した岸田外相に、ミャンマーの長期的な経済発展に資する雇用創出や農業分野に対する日本の支援に期待を表明した。しかし、だからといって日本政府の対ミャンマー政策や企業の活動がミャンマー国民にどのように受け止められているのか、「親日」かどうかは別問題である。 
 たとえば、ティラワは無人の原野だったわけではない。そこに長年暮らしてきた人びとは、工業団地の造成によってどうなったのか。そのこともふくめて、日本の官民挙げた経済支援を評価すべきなのではないだろうか。それについては後ほどあらためて確認するとして、私たちは「日本の物語」としての経済開発への貢献やそれをつうじた「親日」を前提にクーデターを批判するまえに、まず他者の鏡に映し出された自己像にも向き合う必要があるのではないだろうか。 
 
▽「美と醜」を見分ける力 
 日本企業がミャンマーに熱い視線を注ぎだしたのは、民政移管後が初めてではない。スーチー氏が1995年に6年間におよぶ自宅軟禁から解放されると、日本政府はこれを民主化への前進と評価して、欧米諸国にさきがけて経済援助の再開を表明した。それとともに、日本企業のミャンマー詣でが盛んになってきた。ヤンゴンの一流ホテルには、新たなビジネスチャンスをもとめて投資環境を調査するためのビジネスツアー客を乗せた大型バスが次つぎと出入りするようになった。 
 「事態はなにも変わっていない。人権と民主化の保障されていない現在のビルマに援助しても、国民の生活向上にはむすびつかない。投資も民主化が実現するまで控えてほしい」というスーチー氏の訴えは無視された。 
 
 こうした光景を彼女がどのように見ていたかは、96年4月の彼女の毎日新聞連載エッセイ『ビルマからの手紙』に記されている。 
 「美と醜」と題された一文は、まだ民主化運動に身を投じるまえの英国オックスフォードで暮らしていたころに受けた、日本の茶道の授業からはじまっている。先生は茶道の師範の資格を獲得するために日本に長年住んだ米国人で、彼は茶道の「和敬清寂」の精神を説いた。それは、視覚的かつ精神的な美しさに手をのばす前に醜いものや不調和なものすべてを取り除く必要があるというものだった。この日本の伝統的美学をふまえてスーチー氏は、ミャンマーへの進出をめざす日本のみならず外資と自国とのあるべき関係を述べている。 
 「わたしたちが先生から学んだ美学の基本原則とは、真に優れた審美眼を身に着けるには、人は醜さと美しさの双方を見分けられなければならないということであり、これは人間の経験のすべての領域に適用できる。拒絶すべきものと受け入れるべきものの双方を理解することが重要なのである。私は、美しいものを受け入れると同様に醜いものを拒絶する心構えのある日本人を、個人的にたくさん知っている。 
 しかし、昨今ビルマとのビジネス促進を求める人びとには、そうした識別力が欠けていると思わざるを得ない。慌ただしい商談の先頭に立つこれらの人たちは、わが国を見ていったい何を目にするのだろう。おそらく彼らには、絵のような光景やビルマ人がたいてい訪問客にあいさつするときに浮かべる天性のほお笑み、新しいホテル、安い労働力、彼らにとって金もうけの絶好の機会と映るものしか目に入らないのだろう。 
 田舎の貧困、大きく醜い建物に場所を譲るために家を取り壊されてしまった不幸な人びと、がんの進行のように広がりつつある賄賂と腐敗、いわゆる自由市場経済を一部のものには大々的に開放しながら、その他のものほとんどには開こうとしない公平さの欠如、民主主義と人権を求める人びとに対する、当局の過酷でますます無法化していく行為、そして第二次世界大戦中の悪名高き「死の鉄道」(注)を思い出させる現場で、男性や、女性、子どもまでが冷酷な工事監督のもとで金銭的な補償なしにこき使われている強制労働事業の数々、こういったことについて彼らはおそらく知らないのだろう」 
 
 民主化運動のリーダーであるスーチー氏は、自国の経済発展を大きな目標にかかげ、それを実現するには軍人を頂点とする一握りの特権層ではなく、広範な国民各層が平等に国づくりに参加できる政治体制が不可欠と信じている。また自国のさまざまな資源と人的潜在能力をそのために活かしていくには、先進諸国からの支援が必要なことも理解している。だがミャンマーに殺到しはじめた外国ビジネスマンの多くは、抜け目のなさと、機を見るに敏な炯眼を自慢するだけで、目先の利益しか頭になく、豊かな将来的可能性を秘めたこの国とどのような協力関係を築いていくのが望ましいのかにまでは考えが及ばないように見える。だから、彼女の観察眼は辛らつである。 
 「自分たちの懐を豊かにしたいと思ってビルマにやってくるビジネスマンを観察していると、果樹園のなかであえかな美しさにひかれて蕾を乱暴にむしり取ってしまい、略奪された枝の醜さには目がいかず、その行為によって将来の実り多い収穫を危うくし、樹木の正当な持ち主に対して不正を働いているという事実に気づかない通りがかりの人を見るようなところがある。こうした略奪者のなかには日本の大企業もいる」 
 しかし彼女は、「そうした日本企業が日本の最良の部分を代表しているわけではない」と記すのを忘れず、こう結んでいる。「老いも若きもふくめて、わが国の本当の姿をぜひ自分で発見したいと思い、美しいものと醜いものの双方を直視する心構えをもった日本人のグループに、私はいくつか会ったことがある。われわれの闘いが、今なお道徳的美学意識が脈々と息づいている日本の人びとの支持を得ていることを知って、私は元気づけられる」 
 
 このスーチー氏の文章が書かれてから四半世紀後に起きた今回の国軍クーデターと、それをめぐる日本の政府と経済界のうごき、メディアの報道を追いながら、私はあらためて「美と醜」とは何かを考えた。私たちはこの間、両国関係において醜を拒絶し美を尊ぶ努力をどれだけ重ねてきただろうか。 
 私の手元の辞書によれば、「和敬清寂」とは、「茶道で、主人と客が互いの心を和らげてつつしみ敬い、茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つこと。千利休の茶道の精神・境地を表した語」(三省堂「新明解四字熟語辞典」)とある。このような状態が、アジアの隣人同士のあいだにどれだけ育まれてきただろうか。 
 
<注>日本軍が1942年からタイ・ビルマ間に建設した「泰緬鉄道」のこと。過酷な労働条件のため、工事に徴用されたアジア各地からの労働者と連合軍捕虜に枕木1本に1人といわれる多数の犠牲者を出した。 


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