2021年04月09日10時53分掲載  無料記事
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アジア

「日本のお金で人殺しをさせないで!」 ミャンマー国軍支援があぶり出した「平和国家」の血の匂い

 「日本のお金で人殺しをさせないで!」──国軍クーデターから2ヶ月後の4月1日、外務省前で行われた「ミャンマーの平和と民主主義を求める集会」で、在日ミャンマー人が手にしていたプラカードである。この呼びかけは私に、日頃気づかなかった日本の平和にひそむ血の匂いをかぎ取らせてくれた。それとともに、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と記した日本国憲法前文の「平和」の実現に何が必要なのかを考えさせられた。(永井浩) 
 
▽「人間として恥ずかしい行為」 
 「日本のお金による人殺し」とは、日本政府が長年にわたり民主化運動を弾圧する軍政の側に立ち、軍政を民主化へ前進させるためという名目で経済援助をつづけながら、日本の官民連合のODA(政府開発援助)ビジネスが国軍のふところ潤してきたという実態が、クーデター後に明らかになってきたことを指している。 
 たしかに日本は、クーデターに反対し民主主義を守れと立ち上がった広範なミャンマー国民に血なまぐさい武力弾圧の手をゆるめない国軍に、直接手を貸しているわけではない。しかし、国内外のミャンマー人から見ると、日本の公的資金が国軍に流れていることははっきりしている。日本政府は間接的に軍政の残虐行為に加担している、と映る。だから、日本が本当に「平和国家」であるなら、その精神に忠実であってほしい、と彼、彼女たちは訴えているのである。 
 小さなキャンドルライトに照らされたミャンマー人の無言のプラカードには、「国軍に流れる公的資金を止めて」とも書かれている。集会に参加した日本人のプラカードにもおなじような文字が並んでいる。「日本はミャンマー国軍に加担するな!」「国軍の資金源を絶ってください」「日本政府は国軍に強く抗議せよ、人殺しはだめだ」「私たちの税金でミャンマーの人たちを殺さないで」。在日ビルマ市民労働組合会長のミンスエさんは「ODAを考え直すべきだ。何人(なにじん)であろうと、殺されているのに黙っているのは本当に恥ずかしいこと。命が奪われているのに何も行動しない日本政府は、人間として恥ずかしい」と発言した。 
 
 集会に参加したミャンマー人と日本人の代表が外務省で要望書を提出。「ODAにくわえ、日本政府が出資する公的機関をつうじた経済支援もふくめて、国軍に利益がわたることがないよう、政府としてきちんと対応してほしい。それを調べて公表してほしい。国軍と関係ある企業はやめさせてほしい」「犠牲者が増えないようはっきりした態度をとるべきだ。それをやらない理由は何か。日本にはそれによる利益があるのか、という疑いが出てきた。きちんと説明してほしい」と訴えた。 
 これに対して国際協力局国別開発協力第一課の森祐一郎首席事務官は、「加藤官房長官は記者会見で『新規ODAを止める』とは申し上げていない。『現時点で早急に判断すべき案件はないと聞いています』と言っている」と答えた。 
 
 私自身は集会に参加しなかったが、参加者の報告に目をとおしながら、日本国憲法を読み直してみた。 
 
▽日本国憲法の「平和」の理念とミャンマーの問題 
 戦後日本の屋台骨となっているこの憲法が「平和憲法」と称されるのは、第9条で「戦争の放棄」をうたい、国際紛争の解決手段としての武力行使の否定と戦力の不保持を誓っているからであるが、憲法はもうひとつ、平和とは何かを前文を記している 
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。 
 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」 
 ミャンマーの現状は、軍事政権のもとで長年、専制と隷従を強いられ、恐怖と欠乏に苦しんできた国民が、それを脱して平和で豊かな国づくりをめざして民主主義を守ろうと血を流しながら闘うすがたを世界にしめしている。だとしたら、私たちの平和国家は全世界の国民とともに、ミャンマーの人びとがもとめる理想と目的の達成に全力をあげて協力することが、みずからを国際社会において名誉ある地位に導いていくことにもつながるはずである。 
 ところが日本政府は、憲法の精神に忠実であろうとするどころか、それに逆らう選択をしている。専制と恐怖の政治をつづけようとする勢力を延命させてきた過ちを反省して、クーデターで民意を代表する政権を破壊した国軍に対して、国際社会と歩調をあわせて毅然たる姿勢を打ち出せないままである。 
 
 では、各政党の対応はどうか。 
 自民党外交部会などは2月5日の合同会合で、軍がアウンサンスーチー国家顧問らを拘束し、民主化プロセスに逆行する行動をとっていることに「重大な懸念を表明し、強く非難する」決議を了承、茂木敏充外相に提出することを確認した。決議は日本がミャンマーと強固な関係を築く一方、米国のバイデン政権や欧州が人権や民主主義を重視する姿勢を示していることに触れ、「わが国に課せられた役割と国際社会からの期待は極めて大きく、日本外交にとって重大な局面を迎えている」と強調した。 
 同部会は3月30日の合同部会で、民間人への暴力の即時停止やスーチー氏らの解放などを国軍に働きかけるよう政府に要請するとともに、ミャンマーに対する新規のODAについて「慎重を期すべきだ」と決議、加藤勝信官房長官に申し入れることにした。 
 与党公明党の山口那津男代表は2月2日の記者会見で、スーチー国家顧問を「一刻も早く解放した上で、対話によって課題を解決すべきだ」とし、民主的な政治体制の早期回復を国軍に強く求めていくと述べた。 
 野党の立場も基本的には変わらない。 
 立憲民主党は3月4日、同党の中川正春議員が会長をつとめる超党派の国会議員連盟とともに、政府に対し、ミャンマー国軍に民主体制への全権委譲などを要求し、応じない場合は、実効性のある制裁措置を講じるよう求める要請文を取りまとめまた。枝野幸男代表は同29日、国軍の武力弾圧の激化をうけて緊急談話を発表し、「日本政府は、国軍に対して、国際社会とともに毅然としたさらなる強い姿勢で臨み、平和的な事態の打開を求めて全力で働きかけるよう求めます」と述べた。 
 日本共産党の志位和夫委員長は2月1日、国軍クーデターは「民意と民主主義を根本から否定する暴挙であり、強く非難する」とともに、「スーチー氏らを直ちに解放し、NLD政権への原状復帰を行うべきである」との談話を発表した。3月16日には、「ミャンマー国軍は武力弾圧をただちに中止せよ」との声明を志位委員長が発表、「日本政府は、ミャンマー国民の意思に応え、軍政の正統性を認めないという立場を明確にし、国際社会の取り組みのために積極的な役割を果たすべきである」として声明を日本政府と国連安保理の15の理事国に届けた。 
 社会民主党は2月1日、服部良一幹事長が「ミャンマー民主化の流れを踏みにじるもので、断じて容認できない」とクーデターに抗議する談話を発表、「日本政府は国際社会と連帯し、拘束されている民主派関係者の即時釈放、軍事クーデターの措置の停止などに動くべきである」と主張した。 
 
 各党が、米国や欧州などの国際社会と歩調を合わせてミャンマー国軍への強い姿勢を示すよう政府に要求することじたいは、間違っていない。だがいまひとつ腑に落ちないのは、その前提として日本独自の主張、つまり平和憲法の精神の尊重という視点が打ち出されていないことである。なぜなのか。 
 理由のひとつは、戦後日本の平和に血の匂いがひそんでいた事実に、私たちが気づこうとしなかったことと無関係ではないだろう。私たちの平和と繁栄にアジアの人びとが流した血が流れ込んでいたのは、ミャンマーの軍政と民主化とのたたかいが初めてではない。 
 ベトナム戦争(1960〜75年)で、日本政府はベトナムを侵略した米国を日米安保条約を理由に支持した。だが、共産主義の悪から自由と民主主義を守るためとする米国の戦争の大義が、南北ベトナムの焦土化と無差別攻撃による住民の遺体の山の上に築かれようとしている実態が明らかになると、世界各地で反戦運動がひろがった。日本でも「ベトナム反戦」の国民の声がたかまった。しかし、この戦争で日本が莫大な戦争特需にあずかり、それが東京五輪後の不況克服に大きく貢献し、さらに日本が米国につぐ世界の経済大国への階段を駆け上がっていく道をひらいた事実には、ベトナムの平和を訴える多くの日本人はきちんと向き合おうとしなかった。 
 日本の経済発展が私たちの汗の結晶であることは間違いないが、その一部に日本が支持した米軍によって流されたベトナム人の血が流れこんでいることに私たちは気づこうとしなかったが、アジアの人たちはそのような日本のすがたを見逃さなかった。 
 日本が戦後、アジアから留学生や研修生を受け入れはじめたとき、「アジア文化会館」理事長として彼らと起居をともにして親身に世話し、「留学生の父」と敬愛された穂積五一氏は、ベトナム戦争への日本の対応をめぐる留学生たちの忠告を記している。「日本は終始、米国に追従し、『平和』を口にしながら、ベトナム人民の流血をよそにひたすら『利』を求めつづけていた。その『狡さ』と『穢らわしさ』は米国にまさっている。目を覚ましてください」 
 日本は1950年からはじまった朝鮮戦争でも、米軍の兵站基地として特需に沸き、戦後復興を予想外の速さで達成することに成功した。 
 
 こうした歴史と現在のミャンマーと日本との関係は異なるようにみえる。日本はミャンマーで戦争に関わっているわけではない。だが、アジアの隣人の流血に日本は直接関与していなくても、その背後にひかえていて、彼らの血が私たちに経済的利益をもたらしているという構図は変わらない。その事実に私たちがなかなか気づかなくても、アジアの人たちにはお見通しなのである。日本は今度もみずからの手は直接汚さずに、アジアの隣人の血を流させる国軍を背後でささえながら、軍人たちとの共通のビジネス利権で経済的利益を追い求めようとしている。だからミャンマーの人びとは、「日本のお金で人殺しをさせないで!」と訴えるのである。 
 
▽日本はいまこそ目を覚まそう 
 平和国家日本が内なる血の匂いに鈍感なもうひとつの理由は、平和憲法の受けとめ方に関係するのではないだろうか。 
 9条は平和学でいう「消極的平和」にあたり、前文は「積極的平和」を指す。戦争や紛争の原因となる貧困や圧政などの「構造的暴力」の除去につとめることが真の平和につながるとされている。「平和学の父」と呼ばれ、この新しい平和の概念を提唱したヨハン・ガルトゥングは、『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社)で、「9条は反戦憲法ではあっても平和憲法ではない」として、9条を空文化しないためには「これまでどおりの反戦憲法であるにとどまらず、積極的平和の構築を明確に打ち出す真の平和憲法であってほしい」と述べている。 
 彼の提言に従うなら、私たちはこの二つの平和を両輪としてグローバルな正義と平和の実現に貢献すべきであり、それがいまミャンマーで問われているのではないだろうか。貧困と圧政に加担する側でなく、構造的暴力を除去しようとする側を支援しなければならないだろう。 
 「日本のお金で人殺しをさせないで!」というミャンマーの平和を訴える人たちの声は、けっして日本批判ではなく、「国際社会において名誉ある地位を占めたい」という私たちの願いを実現する一歩として何が必要なのかを真剣にかんがえ、それを行動でしめしてほしいという、おなじ人間としての連帯の呼びかけなのである。 
 
 ミャンマーのクーデターで問われているのは、アジアの隣人の平和と民主主義のゆくえだけではなく、私たち日本の平和国家としての立ち位置なのである。ミャンマーの深刻な事態が、対岸の火事であってはならない。先のアジア人留学生の忠告を忘れないなら、私たちはいまこそ目を覚まさなければならない。 


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