2021年07月12日11時18分掲載  無料記事
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豊富な現地情報もとに日本の立ち位置を問う 永杉豊『ミャンマー危機』

 ミャンマーの国軍クーデターの一報を、著者の永杉氏は2月1日早朝、自らが創刊した日本語情報誌「MYANMAR JAPON」の現地スタッフから受けた。アウンサンスーチー国家顧問が拘束されたという。氏はたまたま日本にもどっていて、翌2日の便で帰任する予定だったが、コロナの感染拡大で運休となった。以後、市民の不服従運動の拡大とそれに対する軍の残虐な弾圧を、長年ミャンマーの人たちとのビジネスできずいた情報網を駆使してまとめたのが本書である。そしてわれわれ日本人にうったえる、「ミャンマーの危機は対岸の火事ではない」と。(永井浩) 
 
▽民主化運動の新たな主役Z世代の登場 
 ミャンマーでは1962年の軍事独裁政権の誕生後、大規模な民主化要求運動が繰り返されてきた。「8888」と呼ばれる1988年の運動は、学生が火ぶたを切ったものだが、やがて国民各層を巻き込み、「建国の父」アウンサン将軍の長女アウンサンスーチーが運動のリーダーとして登場する。だが運動は、国軍による弾圧で血の海に沈められてしまう。以後、クーデターで実権をにぎった国軍による新たな独裁政権がつづくことになる。 
 2007年には僧侶が主導する反政府デモ「サフラン革命」が盛り上がるが、これも軍政によって封じ込められてしまう。国軍は、国民から「聖なる存在」と尊敬されている僧侶に対しても暴力の行使をためらわなかった。 
 だが、今年2月の国軍クーデター以後におきた今回の民主化運動は、軍事独裁政権の拒否という点ではこれまでと共通しながらも、大きな違いが見られると永杉氏は指摘する。 
 まず、連日の抗議デモの中心となっているのは、Z世代と呼ばれる16歳から24歳の若者たちだ。「彼らは軍事政権下と民主化後の両方で学校教育を受けて育ち、教育内容の違いもよく知っている」。軍政下の教育は、国軍に都合のよいカリキュラムを上から詰め込まれるだけで、自分の頭で考えることは許されなかった。だが2011年の民政移管後の民主化の進展で、しだいに各自の創造性を育む教育が進んできた。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙で圧勝して政権の座に就いた2015年以降、若者たちは教育だけでなくさまざまな分野での自由を味わってしまった。 
 若者たちは民主主義の進展とともに、それぞれの人生の夢を描き、自由な社会に羽ばたこうとしていた。ところが、その前に突然立ちふさがったのが国軍だった。 
 彼、彼女たちの怒りと抗議のスタイルが、本書では拾い上げられている。 
 最大都市ヤンゴンの若者たちのクーデター抗議デモのビラには、「クソ、またゼロからスタートかよ」と書かれている。女子大生たちは、「私の元カレはひどかったけど、ミャンマー国軍はもっとひどい」、「私は彼氏がほしいだけ、独裁はいらない」とビラでうったえる。ビルマの民族衣装で仮装する姿、日本の人気アニメ『鬼滅の刃』のキャラクターのコスプレも見られる。 
 そしてそうした声や光景が、Z世代が幼いころから慣れ親しんでいるインターネットやスマートフォンのSNSをつうじて国内だけでなく世界中に拡散される。これも、これまでの民主化運動にはなかった強力な武器である。またZ世代の抗議行動に8888世代が共闘し、さらに国民のあらゆる階層、老若男女を巻き込んだ、非暴力に徹した「市民不服従運動」(CDM)のうねりを巻き起こしていく。 
 国軍はこれまでと同様に武力弾圧によって民主化運動を封じ込めると高をくくっていたが、計算違いだった。クーデターから5ヶ月以上が経ち、抗議デモの規模は小さくなってきたもののゲリラ的な活動はつづいている。市民の抵抗運動に弾圧の手を緩めない国軍に対抗して、市民の武装化が進み、内戦の懸念もささやかれている。人びとの日々の生活は困窮し、新型コロナが追討ちをかけている。 
 
▽日本政府に必要な20年後を見すえた選択 
 こうしたミャンマーの状況に対して、国際社会は強い危機感をいだき、欧米諸国はクーデター直後から民主主義の回復をもとめる国民の側に立つ姿勢を鮮明にし、国軍への制裁を強化している。日本をふくむ世界各地で、それぞれの国に在住するミャンマー人と共に民主化運動を支援する市民のうごきが広がっている。だが日本政府は、「独自のパイプ」をつうじた問題解決の努力との空念仏を繰り返すだけで、ミャンマー国民の側に寄りそう姿勢を示さない。なぜなのか、それでいいのか。こうした疑問への答えも含めて、本書はミャンマー危機とは何かを理解するための最新の情報を多面的に提供する。 
 Z世代を中心にした非暴力抵抗運動についてはすでに見たが、国軍はなぜクーデターにうったえてまで、民意を代表するNLD政権をつぶさねばならなかったのか、市民を無差別発砲で虐殺してまで守らなければならない軍の巨大な利権とは何なのか、ミャンマー国軍とはどのような歴史的背景で生まれ、どのような意識をもった勢力なのかも簡にして要を得た分析がなされている。その国軍への抵抗と民主化のイコン(聖像)として支持されつづけるアウンサンスーチーとはどのような指導者で、彼女の人気の秘密がどこにあるのかも明らかにされる。詳しくは本書を読んでいただきたいが、そのような全体像をふまえて問われるのが、日本の立ち位置である。 
 
 日本とミャンマーの関係は深い。アジア太平洋戦争中には、日本軍はアウンサンスーチーの父アウンサン将軍の反英闘争を支援してビルマ(現ミャンマー)に侵攻するが、アウンサンらはやがて日本軍に反旗をひるがえして英国からの独立を勝ちとる。日本は戦後、戦争賠償をすませると、軍政時代からミャンマーへの最大の政府開発援助(ODA)供与国となる。欧米諸国は軍政の民主化弾圧と人権侵害を理由に経済協力を停止するが、日本は欧米とは一線を画し、経済援助の停止に積極的ではなかった。 
 そして日本とミャンマーの関係が飛躍的に深まったのが、2011年の民政移管後である。欧米の経済制裁が解除されると、ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と称され、日本は官民一体となって同国に経済進出していく。巨額のODA供与によってさまざまなODAプロジェクトが動き出し、日本企業の投資が活発化する。クーデター直前には400社を超える日本企業が進出していた。MYANMAR JAPONもその一つだった。だが、予期せぬクーデターによって、日系企業は大きな苦境に立たされる。 
 日本の経済、技術協力と投資がミャンマーの経済インフラの整備や雇用創出に貢献したことは間違いない。だがそのミャンマー側のカウンターパートの多くは、国軍系の企業や国軍と関係の深いクローニー(政商)たちだった。このような両者の関係を象徴する存在が、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長(元郵政相)である。彼は民政移管後に旧知のテインセイン大統領の意をうけて、ODAプロジェクトの目玉商品とされるティラワ経済特区の開発を先導した。軍出身の同大統領との関係から、今回のクーデターの首謀者ミンアウンフライン国軍総司令官との親密な関係を築き上げてきた。 
 同協会は麻生太郎副首相・財務相を最高顧問に、日本の代表的商社や企業の元役員、各省庁の元官僚トップ、国会議員らが理事に名を連ね、大手企業127社が会員となっている。ODAビジネスや民間投資の窓口として協会は大きな役割を果たしてきた。その実態は日本国民にはしられていなかったが、ミャンマー国民には日系企業は国軍と手を組んで利益を追求していると映っていた。日本の公的資金によるプロジェクトが国軍の資金源となっているとも見られた。だからクーデター後に国軍が民主化デモに残虐な武力弾圧を開始すると、ミャンマー人たちは「日本のお金で人殺しをさせないで!」と、日本政府に訴えはじめた。 
 しかし日本政府は、「独自のパイプ」による問題解決の努力を繰り返すだけで、ミャンマー国民の側に寄り添おうとはしない。煮え切らない態度が、ミャンマー国民のこれまでの親日感情を損ない、日本にきびしい目を向けさせるようになった。日系企業は国軍と民意の板挟みになるとともに、政治的混乱の長期化によって進退きわまっている。 
 
 ミャンマー情勢は大きな国際ニュースとして、日本のマスメディアでも連日のように報じられ、識者や専門家らの解説もなされている。だが本書のように、ミャンマーで情報ビジネスを立ち上げ、ミャンマー人、日本人スタッフと共に長年にわたり現地ニュースを発信し、現在の危機を両国市民の目線でこれだけ幅広く伝えるメディアは見当たらない。一人ひとりのミャンマー人と日本人のそれぞれの仕事と生活の現場からの声が生き生きと伝えられるだけでなく、マスコミが伝えないスクープもある。4月17日夜、日本大使館職員やJICA日本人職員が住む集合住宅に、銃をもった治安部隊が踏み込んできて家宅捜索した事件が日本の新聞などで報じられたのは、7月に入ってからである。 
 こうした体験と情報をもとに、ミャンマーの隣国中国の動きなど安全保障問題にも目を配りながら、著者はこう記す。 
「今の日本政府には目先の利益や判断ではなく、将来を見据えた対応を取ることを切に願う。10年後、20年後には、彼らZ世代も国を担う中核世代に成長しているであろうし、経済も再び高度成長を続け、間違いなく世界から注目されているであろう。その彼らが現在の日本の対応に失望したならば、将来的には経済はもちろん民間外交も、今のような親日一辺倒ではなくなってしまう。むしろ嫌日の国になってしまう可能性まであるのだ」 
 では私たち一人ひとりの日本国民は、アジアの隣人たちの闘いにどう向き合えばよいのだろうか。ほとんどの日本人は日ごろミャンマーとのビジネス関係があるわけでもなく、東南アジアの小さな国に関心をもっているわけでもない。でもこの最新リポートを一読すれば、ミャンマー危機が対岸の火事ではないことを理解できるのはないだろうか。私たちに何ができるかについては、第九章の「祖国のデモを支援する在日ミャンマー人たち」がヒントをあたえてくれるだろう。 
(扶桑社新書) 


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