2021年08月15日16時37分掲載  無料記事
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マレーシア映画『夕霧花園』 日本の侵略戦争への怒りと赦し 永井浩

 戦後76年の8月15日、追悼とともに戦争と平和をかんがえる情報が新聞、テレビ、書籍から多く流されている。だが、同じ戦争で日本の侵略を受けたアジアの人びとが、戦争の傷をかかえながら戦争と平和にどう向き合ってきたのかは、ほとんど伝えられない。東京を皮切りに全国上映されているマレーシア映画『夕霧花園』は、阿部寛ら各国俳優の静かな熱演をつうじて、戦争でこころの傷を負った加害者と被害者の男女が、それと葛藤しながらお互いに愛し合い、自己の解放と相手への赦しに至っていく姿を描き出している。 
 
▽謎の日本人庭師と侵略犠牲女性のラブストーリー 
 第二次世界大戦が終わって間もない1950年代のある日、女性弁護士をめざすテオ・ユンリンは、キャメロン高原の奥地で日本庭園「夕霧花園」の造成に取り組む中村有朋をおとずれる。亡き妹テオ・ユンホンの夢をかなえるためだ。 
 ユンホンは戦前、訪問先の京都で見た庭園の美しさに魅了され、いつか自分も庭園をつくりたいという夢を抱くようになった。だがその夢は、1941年の真珠湾攻撃の直前に英領マラヤに侵攻した日本軍によって奪われた。日本軍は各地で中国系住民を「抗日分子」として虐殺、強制労働させ、若い女性たちを慰安所に送り込んだ。ユンホンも日本兵の性の奴隷となった。日本軍は敗戦とともに証拠隠滅のため、強制労働などの現場を焼き払い、彼女も炎に巻きこまれた。 
 姉のユンリンはかろうじて逃げ延びることができたが、妹を見殺しにしてしまった後悔の念に苛まれ、日本への憎しみを抱きながらも妹の夢を叶えたいと決心する。 
 中村は、皇室付庭師だったがテニスコートを作るのを断って職を失ったとされるが、一方でマラヤで日本軍のスパイ活動をしていたという噂もある、謎の人物である。戦後も帰国せず、マラヤの奥地で造園に打ち込んでいる。ユンリンは妹の夢を実現するために日本庭園を造ってほしいと中村に頼むが、彼は拒否する。だが中村は、現在造っている夕霧花園で自分の見習いをしながら庭造りを学ぶことを提案する。 
 彼女は屈強な男性労働者たちとともに、汗水流しながら造園の力仕事の日々を送るようになる。 
 日本軍が去ったあとのマラヤでは、植民地再支配をめざす英国と独立をめざすマラヤ共産党との戦いが激しさを増し、庭園にも共産党ゲリラが押しかけてくる。 
 そのような緊迫した状況下でも、多くを語らず黙々と造園作業を指揮する中村に、ユンリンはいつか惹かれるようになる。いっぽう中村は、日本占領下のユンリン姉妹の過酷な体験を知るようになる。ユンリンは、中村が打ち込む造園の奥にある日本文化の精神、彼が口にする「借景」の意味を自分なりに理解しようする。二人は庭造りに力を合わせるなかで互いに愛し合うようになるが、それはユンリンの妹の夢を叶えたいという願いで結ばれている。中村は加害者として戦争で負ったこころの傷、ユンリンは被害者として負った戦争の傷を癒し、おなじ人間として赦しを乞い、赦しを受け入れることをつうじて、和解と再生の道を歩もうとしている。 
 中村は庭園がほぼ完成したある日、散歩に出かけると言ったまま、ユンリンの前から姿を消してしまう。 
 それから30年後の1980年代、マレーシアとして独立した国の連邦裁判所判事をめざすユンリンは、かつて愛し合った謎の日本人庭園師が残した夕霧花園を再訪する。歳月をへても置かれた石はそのままだが、草木の成長でその佇まいは微妙に変化している。そこで彼女は、借景の意味をあらためてかみしめるとともに、中村が自分の身体に残した、妹ユンホンの夢に託した思いがけない日本文化の形を発見する──。 
 
▽「借景」が問いかけること 
 原作はマレーシアの作家タン・トゥアンエンの小説「夕霧花園」。世界的に権威のある英国の文学賞ブッカー賞にノミネートされ、邦訳が近く彩流社から刊行される。 
 映画は制作会社がマレーシア、監督は台湾のトム・リン、俳優陣はヒロイン役のマレーシア出身のリー・シンジェ、日本人庭園師の阿部寛、晩年のユンリン役のシルヴィア・チャンは台湾の女優・監督。ほかに、脇役の植民地統治者の英国人役は何人かの英国俳優が固める。スタッフをふくめ9か国の人びとが制作に参加している。 
 こうした多彩な顔ぶれは、多民族国家マレーシアの姿が反映しているといえよう。マレー人、華人、インド人、先住民族、英国人から成る同国は、1963年の独立後も各民族の融和による平和的な国づくりに試行錯誤を重ねてきた。 
 トム・リン監督は多国籍チームによる映画づくりは初めての経験といい、こう語っている。「多民族国家のマレーシアにいろんな国のスタッフ、いろんな国の役者が集まって、このような映画を作ることができたのはとても有意義なことだったと思います。全員が映画に対する理解とプロフェショナルな才能を持っていて、彼らが“映画”を共通言語に力を合わせたからこそ、この映画が完成しました」 
 同監督はまた、戦争というデリケートな題材をあつかう映画に込めた基本姿勢についてこう述べている。 
「映画をとおして昔の傷口をえぐり、さらに多くの苦しみを与えるような真似は決してしたくない。この物語の核心は、愛があればどんな悲劇も乗り越えることができるというメッセージですから、映画のなかで誰か特定の人物を──たとえそれが戦争犯罪者であっても──何かものすごい化け物のような、あるいは鬼畜のように描いたりしたくはありませんでした」(「夕霧花園」パンフレット) 
 中村有朋を演じた阿部寛も、この難しいキャラクターに英語で挑戦しようと決心したのは、トム・リン監督のこのようなメッセージに共感したからだという。そして、この映画のキーワードともなっている「借景」についてこう述べている。 
「人工物のない庭先に、石が置いてある。ああ、これが借景かと。奥行きのある場所では石が浮いて見え、幻想的で。そして立つ位置によって見え方が違う。この映画では英国、マレーシア、日本とそれぞれの国の人がおのおのの傷を受けているけれども、それも角度によって異なって見えてくる。作品の意味することが、つかめた気がしました」(8月2日付毎日新聞) 
 雄大なキャメロン高原を戦争という自然空間として、それを借景しながら目の前の日本庭園に静かに佇む石や木々。ひるがえって、戦後76年の間に、日本の映画で侵略された側の歴史と文化まで理解しようとしながら、戦争とは何かを深く問う作品がどれだけあっただろうか。ない、とすれば、それはなぜなのか。 
 映画のラストは、「夕霧花園」はまだ完成していないことを暗示している。だとすれば、それをどのように完成していくのかは、私たち一人ひとりに課せられたこれからの挑戦いかんにかかっているのではないだろうか。そしてそのためには、中村とユンリン、ユンホン姉妹の苦しみと葛藤と愛の力を忘れてはならないだろう。 
 だが新聞、テレビは、今夏も例年のごとく8月ジャーナリズムの花盛り。いつまでたっても、内輪の体験の語り継ぎが中心で、おなじ戦争をアジアの隣人がどう語り継いでいるかには関心なさそうだ。 
 「夕霧花園」は2020年の大阪アジアン映画祭のオープニング作品として上映され、上映後には客席から拍手が巻き起こった。 
 待望の日本国内公開は、東京はすでに終わり、各地で順次上映される。だが東京でも再上映される機会があるかもしれないし、私は毎年8月15日前後に繰り返し上映してほしいと願っている。 


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