2021年08月25日13時03分掲載  無料記事
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国際

【アフガニスタン】戦闘員はほとんどが対テロ戦闘の最中にタリバーンに加わった村の若者たちなのです 谷山博史

 どうしてテレビのニュースは、来る日も来る日も空港に押し寄せる人々の様子ばかりを垂れ流すのでしょう。身の危険を感じる人たちがいることは確かです。彼らを安全に退避させるのはアフガニスタンを戦場にした国の責任でもあります。 
 とはいえこうした垂れ流し報道は人々にの無用な不安をかき立て、「根拠のない不安」 (サビルラの言葉 )がさらに多くの人々を空港に駆り立てます。本当に救わなければならない生命すら救えなくなるのではないでしょうか。 
 
 さらに悪いのは、タリバーンに対する「極悪非道」のイメージが私たちに刷り込まれることです。まるで映画「キリング・フィールド」の退避の場面を見ているようです。この後にクメール・ルージュがやったような市民の虐殺があるのではという想像さえ生まれます。 
 
 私はカンボジア紛争、コソボ紛争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争で難民と国内に残る人々の両方を見てきたので、メディアのバイアスが戦争を正当化する危険を痛感していました。難民のことだけを報道すれば、難民を生み出す非道な政府をやっつけなければという集団心理が生み出されます。事実「悪玉」の制裁という形で戦争は正当化されました。 
 欧米諸国や日本の報道だけを見ているとどうしても見方が偏ります。だから私はTheNationやThe Frontier Postと言ったパキスタンの新聞も見るようにしています。そこには地方の人たちの様子が伝えられています。「これで戦争が終わるのでほっとした」と言う人の声も紹介されています。もちろんそう思う人だけではありませんが、自分の中のバイアスが修正されます。 
 
 今後アフガニスタンがどうなっていくのか予断を許しません。先が読めないことが不安を募らせます。でも先が見えないのは当然です。まだ政府の体制も規則も決まっていないからです。今カブールでタリバーンの幹部がアフガニスタン各地と海外から集まって会議が行われています。そこで統治機構や規則が決まるまで二週間はかかると言われています。タリバーンの指導者協議会には強硬派のハッカニ・ネットワークのリーダーが数人がいますし、一方穏健派と言われ海外にパイプを持つタリバーン創設者の一人でドバイ事務所の所長だったアブドゥル・ガニー・バルダルもいます。どちらが主導権をとるかで大きく変わってくるでしょう。 
 
 どちらにせよ、タリバーンがアフガニスタンの一般の人たちの敵だと見るのは間違っています。8万人と言われる戦闘員はほとんどが対テロ戦闘の最中にタリバーンに加わった村の若者たちです。あのサビルラでさえJVCに来る前はタリバーンに加わって銃を取ろうと考えていたのです。またこんなこともありました。私がアフガニスタンに駐在していた2005年、現地スタッフの母親が米軍に銃撃されて重症を負いました。米軍の責任を問う私に多国籍軍の大佐は「このようなことは日常茶飯事だからいちいち対応できない」と言ってのけました。このことを後で聞いた息子(スタッフの弟)は怒りのあまり「テロでもなんでもやってやる」と米軍を罵りました。この息子と同じような怒りを抱く何千、何万の若者がタリバーンに合流していったのです。 
 
 3年前にナンガルハル県ホギャニ郡のメムラで開催された「奇跡の平和集会」(写真)は村人とタリバーンの関係を物語る一つのエピソードです。2018年6月、政府とタリバーンの合意によってアフガニスタン全土で3日間の停戦が実現しました。2001年に始まった戦争以来初めてのことでした。このときメムラ村の青年グループはこの停戦をなんとか延長できないかと考え、部族長たち巻き込んで政府の役人やタリバーンが参加する集会を実現させたのです。サビルラは村の青年グループのリーダー的存在でした。 
 SNSで呼びかけたこともあって近隣の村からも多くの人々が駆けつけたました。集会での議論の結論は、なんと、停戦の延長をナンガルハル県知事に要請するということでした。この時、参加したタリバーンと政府治安機関の役人が互いに抱き合ったそうです。翌日何百人もの人が県庁に要請書を持っていきました。タリバーンも一緒でした。そこで県知事を交えた2つ目の奇跡の集会が開催されたのです。県知事は私も知る元アフガニスタンCSOのハヤトラ・ハヤット。知事はこの要請を大統領に伝えると約束しました。 
 
 住民の協力がないところでタリバーンが活動できるはずがない。これが4年半アフガン東部の地方都市に居て農村での活動に関わってきた私の偽らざる感覚です。もともとアフガニスタンの南部・東南部・東部の農村はタリバーン支持基盤があったところですし、タリバーン時代も圧制があったわけではありません。合わせて言えることは、アフガニスタンの村の多くはいわばひとつの戦闘集団だということです。中には村を守るためにタリバーンと戦うことも、あるいは政府軍を敵に回すことも辞さないところもありました。 
 
 2006年8月30日、タリバーンの活動が活発なラグマン県アリシャン郡のダウラットシャー村で、タリバーンに占拠されていた政府軍のチェックポストを米軍ヘリコプターに援護されたアフガン国軍が奪還するということがありました。このときタリバーンは逃走し、逃げる時にコーランの言葉を書いた旗を残しておきました。このことを知った村人はアフガン国軍がコーランの聖なる言葉に向かって銃を向けてとして憤慨し、その後タリバーンと協力して政府軍と対峙するようになりました。 
 
 逆の例もあります。ナンガルハル県西部のシェルザッド郡は2006年に入ってからタリバーンが活発に活動するようになりました。そのナコルへール村で9月4日、タリバーンが占拠していた警察の詰め所を村人が襲いタリバーンを一時拘束した後解放するという出来事がありました。タリバーンを解放する際村人は村で問題を起こさないように警告したといいます。これら私が駐在していたときに実際にあった出来事です。 
 
 危険に晒されている人たちを護るのも大切、人権が保証されるように声をあげることも重要です。だからこそ相手がどういう存在であるのかを知らなければいけないし、メディアに載らない農村部の人たちはどう思っているのかに想像を馳せることも必要なのだと思います。タリバーンおよびタリバーンとアフガニスタンの人たちとの関係をバイアスのかかった目で見ていては、私たちの声はタリバーンには届きません。 
 
◆写真:「奇跡の平和集会」でメムラ村の青年グループとタリバーンの記念撮影。左端で「ピース」と書いたプラカードを持っているのがサビルラ。「奇跡の平和集会」という言葉はサビルラたちが作ったNGOのYVOを支援している平和村ユナイテッドの小野山さんの造語です。写真提供:サビルラ・メムラワール 
 
「奇跡の平和集会」の詳細は以下JVCのホームページで見ることができます。 
https://www.ngo-jvc.net/.../2018/06/20180618-ceasefire.html 
 
たにやま・ひろし 
沖縄在住 JVC(日本国際ボランティアセンター)前代表 


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