2021年09月06日14時47分掲載  無料記事
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検証・メディア

アフガニスタン報道再考・3 ビンラディンとタリバンの悪魔化と「テロの温床」

 タリバン復権後のアフガニスタンに私たちがどう向き合っていくのかを考える手がかりのひとつとして、中央アジアのイスラム教国をめぐる大国の「物語」を検証してみる必要があるのではないか。そうした視点から、2001年の米国同時多発テロ「9・11」からタリバン政権打倒をめざすブッシュ政権の「対テロ戦争」への権力とメディアの関係を二回にわたって振り返ってみた。そこで明らかになったことは、戦争の大義を正当化するためにいかにして真実が犠牲にされてきたかである。そして今、アフガンをふたたび「テロの温床」にするなという物語が米国と日本のメディアによって流されている。 
 
▽「自由の戦士」からテロリストへ 
 9・11の首謀者とされる国際テロ組織アルカイダの指導者は、サウジアラビア出身のウサマ・ビンラディンだったが、では彼はいかにしてテロリストになったのか。 
 1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻し親ソ政権を支援すると、アフガンではイスラム勢力による反政府運動が激化する。国外からも、共産主義とたたかうために多くのムジャヒディン(イスラム聖戦士)がアフガンにはせ参じた。サウジアラビアの富豪の息子ビンラディンもその一人だった。米国のCIAはかれらムジャヒディンを、ソ連という「悪の帝国」とその共産主義とたたかう「自由の戦士」として軍事支援した。ビンラディンは多くのムジャヒディンだけでなく、財力によって武器も調達してくれる頼もしい同志であり、彼も米国を信頼した。 
 ソ連が敗退する1989年まで、アフガン紛争は冷戦体制下の米ソ対決の図式のなかで、米国メディアでは大きな国際ニュースでありつづけた。CBSテレビなどはお金を払って戦闘シーンを演じさせ、それを独占放送しようとした。だがソ連の撤退とともに、アフガンでは軍閥間の主導権争いで残虐きわまりない戦闘が繰りひろげられていたにもかかわらず、米国のニュース報道全体、とくにテレビの関心は大きく低下した。アフガンとそこでの内戦は、忘れられた存在となった。 
 ソ連軍を撃退したあとサウジアラビアに帰国したビンラディンは、しだいに反米姿勢を強めていく。転機となったのが、1991年の湾岸戦争だった。イラク攻撃のために、イスラムの二大聖地メッカ、メディナがあるサウジに異教徒である米軍が駐留することになったからである。それを許した自国の王室と米国への怒りをつのらせた彼は、異教徒へのジハード(聖戦)を呼びかけ、サウジ政府から「危険人物」として国籍をはく奪された。かつての自由の戦士は反米テロリストのレッテルをはられるようになる。 
 彼の矛先は、中東におけるイスラム同胞の苦難への米国の関与に向けられていく。パレスチナで暴虐な攻撃をくりかえすイスラエルを米国は支持しいている。湾岸戦争の終結後も米国主導の国連の経済制裁によって、イラクの罪のない市民や子どもたちが食糧不足や栄養状態の悪化、病気で100万人以上が命を落としていった。にもかかわらず国際社会が抗議の声を上げないのは、なぜなのか。 
 いっぽう米国は、1989年の冷戦終結と91年のソ連崩壊をうけて、共産主義に代わる新たな敵を見出していく。それが、「イスラム脅威論」である。欧米に根強いイスラムへの偏見を利用して、イスラム=過激派テロ=反民主主義という図式がメディアをつうじて浸透していき、イスラムは世俗的リベラル民主主義と資本主義という「普遍的」価値観に敵対する他者と位置づけられる。だがそのイスラム像は、西側の繫栄をささえる石油権益と結びついた中東のイスラムを一般化したもので、アジアのインドネシアやマレーシアなど多様なイスラム世界は排除される。 
 祖国を追われたビンラディンは、1995年にアフガンに「賓客」として舞いもどると、過激なイスラム原理主義者たちの拠点アルカイダ(アラビア語で「基地」)の強化に力を注ぎ、世界各国からのゲリラ戦士を養成する。彼の名前をイスラム世界、欧米世界で一挙にひろめたのは、98年にケニアとタンザニアでおきた米大使館の爆破事件だった。大使館員ら230人が殺された。米国は事件の黒幕としてビンラディンをあげ、報復のためアフガニスタンのアルカイダ基地に巡航ミサイルを撃ち込んだ。彼は欧米で、悪魔化されたイスラムの象徴とされていく。 
 9・11が起きると、ブッシュ米大統領は「米国の自由が攻撃された。文明への挑戦である」として、テロリスト殲滅のための正義の戦争への世界の協力を呼びかけた。そしてアフガニスタンのイスラム原理主義政権タリバンにビンラディンの身柄引き渡しを求めるが、タリバンは同時多発テロへの彼の関与の証拠を示すように米国に要求する。身柄引き渡しに応じないタリバン政権打倒のため、米国はアフガン爆撃を開始した。 
 米国民の多くはブッシュの対テロ戦争を支持する主流メディアの「愛国報道」によって、戦争の真実を理解できなかったが、他の国々ではそうではなかった。 
 リオデジャネイロ発共同電(10月2日)によると、ブラジルの元サッカー・スーパースター、ディエゴ・マラドーラは「フランケンシュタインを生み出した米政府に、テロ事件を嘆く資格はない」と語った。テロの黒幕とされるビンラディンと米国との関係を指摘したのだ。 
 インドの女性作家アルンダティ・ロイは、米国のアフガン報復攻撃がせまる9月28日付のドイツ紙フランクフルト・アルゲマイネ・ツァイトゥングで、「ウサマ・ビンラディンとは、いったい何なのか」と問いかけ、世界の最強国が最貧国に一方的な軍事行動にでることを疑問視した。彼女によれば、ビンラディンとは「米国という家庭に隠された秘密なのだ」。それは、「米大統領の影の分身。美しく開明的であるべき全てのものの裏にある、野蛮な息子の片割れ。米国の外交政策によって痩せ衰えた世界の肋骨から彫りだされた存在」である。 
 
▽タリバンと米国、蜜月から破局へ 
 米国とタリバンとの関係はもともと険悪ではなかった。両者を結びつけたのは、ソ連崩壊後の旧ソ連諸国の石油と天然ガスをめぐる新しいゲームだった。 
 ソ連から独立した中央アジアの6共和国、ウズベキスタン人、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、アゼルバイジャンは、住民の大半がムスリムでアフガニスタンに近いか国境を接していた。くわえて、石油と天然ガスの豊富な産出国ばかりである。それまでソ連に吸い上げられていた石油と天然ガスを世界に引き出すために、米国の企業が動きはじめた。パイプラインによってアフガニスタンからパキスタンをぬけてアラビア海に運び出そうする巨大石油会社ユノカルの計画をクリントン政権は支援した。 
 クリントン大統領はウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、アゼルバイジャンの大統領たちに個人的に電話をし、巨額なパイプライン事業契約にサインするよううながすとともに、1997年にはタリバンの指導者数名が米国で国務省高官とユノカル重役陣と会った。 
 米国はタリバンがイスラム原理主義者で、欧米からみれば非民主的なシャリア(イスラム法)による厳格な統治をおこない、女性を差別していることを知っていた。だが米国は、それよりも地政学的利益を優先した。問題は、パイプラインの安全を確保してくれる勢力の確保だった。タリバンよりは進歩的で女性の権利にも気をつかう勢力もあったが、米国はアフガニスタンの多数派であるパシュトゥン人を主体としたタリバンを選択した。米国の長年の盟友であるパキスタンがソ連との内戦時代からタリバンを支援し、彼らに影響力を行使できることもわかっていた。 
 転機となったのが、1998年のアフリカの米大使館連続爆破事件である。米国は事件の黒幕とされるビンラディンのアフガニスタンの基地をミサイル攻撃し、さらに米国内でフェミニスト団体などからタリバン政権の女性迫害にたいする抗議行動がたかまるにつれて、メディアをつうじてタリバンはビンラディンとともに牋の権化瓩箸いΕぅ瓠璽犬播匹蠍任瓩蕕譴討い。米国の中東での最大の同盟国でイスラム大国であるサウジアラビアでも、女性の自動車運転が許されないなどさまざまな女性差別がつづいていても、こちらが問題視されることはなかった。 
 9・11のすこし前の2000年3月には、タリバンは偶像崇拝を禁じるイスラムの教えに反するとして、中部バーミヤンの石窟群にある大石仏像を爆破した。そして、悪魔を退治するのは正義の戦い、という世論が形成されていく。 
 アフガン作戦に投入された米軍は、陸・海・空の三軍約3万人、約550機が周辺に展開した。インド洋には空母4隻が配備された。米軍は戦闘機、爆撃機などによる空爆にくわえ、巡航ミサイルのほか、特殊大型爆弾デイジーカッター、地中貫通弾バンカーバスター、同時テロ後に開発した新型爆弾サーモバリック爆弾などの最新兵器を投入した。対するタリバン軍は4〜5万人、主要兵器は、対ソ戦で米軍からムジャヒディンに供与された携帯型地対空ミサイル、スティンガー。空軍はわずか16機しか保有していなかった。戦力の差は圧倒的であり、これを戦争と呼ぶことじたいに疑問の声すらあがった。 
 アフガンでの対テロ戦争を追ってきた英国人ジャーナリスト、ヒュー・マイルズは「アフガニスタン戦争は、けっして人道に配慮した戦争などではなかった」と断言している。彼によれば、2ヶ月のあいだに、掩蔽壕、洞窟、送水管、燃料用貯蔵庫などを破壊するために投下された、6千個もの爆弾や誘導ミサイルには、劣化ウラン弾が使用されていた。戦争終結時、複数の人道支援組織が、アフガニスタンの子どもたちは呼吸器をはじめとする身体各部の疾患で苦しんでおり、これらはみな放射線障害と思われると報告した。 
 同記者は、アラブ穏健派の代表的な見方として、アルジャジーラの看板番組「イスラムの法と生活」の人気回答者ユースフ・アル・カラダーウィー師の発言を紹介している。師は、アフガニスタンの凄惨な映像を観ながら、「これは無差別爆撃であり、米国の暴虐ぶりを示すものだ」と視聴者に語りかけ、この戦争に対する反発の姿勢をあらわにした。さらに、ブッシュもビンラディンも自らの大義のために戦うなかで、罪のない多数の人びとを犠牲にしていると述べたうえで、欧米のメディアはビンラディンを実物以上の怪物に仕立てあげていると批判した。 
 米軍の報復攻撃によってタリバン政権が崩壊すると、米軍爆撃下のアフガンの人びとの大量殺戮はほとんど伝えなかった米国テレビの記者たちは、にわか特派員として急遽カブールに駆けつけ、喜びにわく市民の光景を伝えた。 
 それから20年後の今年8月15日、タリバンがカブールを制圧して復権を果たすと、米国や日本のマスメディアには、アフガンをふたたび「テロの温床」にしてはならないという大合唱が巻き起こった。誰が「テロリスト」を育て、この国をテロの温床にしたのかは問われない。                            (永井浩) 


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