2021年09月11日17時18分掲載  無料記事
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検証・メディア

アフガニスタン報道再考・5 「戦後」アフガンの人びとにどう寄り添うか メディアの役割は何か

 なぜ今、アフガニスタン報道再考なのか。それは、9・11から20年とタリバンの20年ぶりの復権が重なったためだけではない。この間に、「平和国家」日本は米国の対テロ戦争を支持することで、急速に戦争のできる「普通の国」へと変貌していったからだ。またその過程で日本のマスコミがどのような役割を果たしたかを見逃せないからだ。では、長年にわたる相次ぐ大国の介入によってもたらされた戦火からやっと解放されたかに見えるアフガンの戦後の再建に、日本の政府とメディア、国民はどのような立ち位置を求められているのかを、最後にかんがえてみたい。 
 
▽「参戦」への政府とメディアの検証を 
 同時テロへの報復として米国が開始したタリバン打倒の「対テロ」戦争を後方支援するため、日本は2001年に戦後初めて「戦時」の海外領域であるインド洋に海上自衛隊を派兵した。つづく対テロ戦争の第二弾である03年の米国のイラク侵攻では、翌04年日本は「戦地」のイラクに陸上自衛隊を派兵した。一連の政策を推進した小泉首相の後を継いだ安倍首相は、2015年に集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法を強行成立させ、自衛隊の海外での武力行使や米軍など他国軍への支援が世界中で可能となった。 
 つまり、平和国家日本の基盤がおおきく揺らいでいく転換点となったのが、9・11と米軍のアフガン攻撃とそれへの日本の後方支援だった。そしてこの重大ニュースを日本のマスコミは、米国の政府とメディアが流す情報を疑うことなく垂れ流すことで、日本政府の「国際貢献」を支持した。 
 どの戦争においても、それを正当化するための大義が求められる。アフガン攻撃はテロリストと彼らを支援する勢力を打倒し、「平和と自由」や「文明」を守るためとされた。そのホワイトハウスの物語を国民に信じ込ませるために、主流メディアは愛国報道を競った。だが、「戦争が起こると、最初の犠牲者は真実」(ハイラム・ジョンソン米上院議員)なのである。政府は戦争勝利のために自国に有利な情報だけをメディアをつうじて意図的に国民に流し、目的に合わない情報を国民の目から隠しがちになるだけでなく、ときには情報の捏造や誇張もおこなう。またメディアも国益優先を理由に、そのような情報操作の片棒をかつぎがちにある。 
 アフガンへの対テロ戦争という大義によって、いかに戦争の真実が犠牲になってきたかはこれまで見てきたとおりである。ブッシュ大統領のいう「平和」のための戦いによって殺されたのは、テロ組織アルカイダとそれに基地を提供するタリバンよりも、彼らとは無関係な普通の市民が圧倒的多数だった。その事実を世界に伝えようとする中東メディアのアルジャジーラや米国内の反戦世論には誹謗、中傷があびせられ、「言論の自由」は封じ込まれた。軍事力によってアフガンに自由と民主主義をもたらそうとする「文明」勢力が、アフガンの民衆にいかに無慈悲で野蛮な素顔をさらけだしてきたかは、ほとんど報じられなかった。そしてタリバンが復権すると、米国とNATO(北大西洋条約機構)諸国は、なぜ「非文明的」なタリバンに対して勝利をおさめられなかったのかを問うより、「抑圧的で残忍な体制」の再支配から逃れようとしてカブール空港に殺到するアフガン市民のすがたが大ニュースとして連日世界に報じられる。 
 政府とメディアの共犯関係は、日本でも例外でなかった。この戦争で主役ではないものの、米国の「正義の戦争」の大義を疑うことなく、政府もメディアも日米同盟の推進を旗印に米軍の後方支援を「国際貢献」とするプロパガンダを流し、国民に戦争の真実をつたえる努力を怠った。それによって、国会で自衛隊派兵を合法化するテロ対策特別措置法案に反対意見を述べたNGO「ペシャワール会」の現地代表、中村哲の言葉によれば、欧米大国とは異なりアフガニスタンに侵攻したことのないアジアの先進国として、タリバンをふくめたアフガン国民が抱いてきた親日感情が急速に悪化し、日本は「つくらなくてもいい敵をつくろう」としている事実は私たちにきちんと伝えられなかった。 
 9・11から20年目の節目に私たちが直視しなければならないのは、こうした歴史的事実である。朝日新聞は「9・11と日本」題する社説(9月10日)で、「「参戦」の検証が必要だ」と主張している。「この間、米国の求めに応じて自衛隊を派遣した日本政府は、その総括をすべきだ。対テロ戦争に日本はどんな判断で加担し、問題と教訓は何だったのか、検証結果を国民と国際社会に示す責任がある」とされる。その言やよし。では、その日米政府の物語を疑うことなく、「参戦」に加担した同紙の責任はどうなるのか。この連載で指摘してきた、同紙をふくめたマスメディアの報道と論調の検証も怠ってはなるまい。 
 
▽市民による「小さな物語」の大切さ 
 タリバン新政権の民主主義を懸念するなら、同時に私たちの民主主義にメディアが果たすべき責任もあらためて問われなければならないだろう。メディアのジャーナリズムとしての役割は、政府や権力者が国を間違った方向に導いていかないようにする「番犬」とされる。そのためには、戦争報道においても、一人ひとりの国民が正しい自己判断と意志決定をするのに必要な情報をできるだけ多面的に提供することが不可欠である。「ひとつの意見があれば、もうひとつの意見がある」(アルジャジーラ)のだから。だが新聞、テレビは、民主主義に不可欠なそのよう国民の「知る権利」を奪ってきた。 
 ではどうしたらよいのか。もちろん、政府や主流メディアが流す情報がすべて間違いであるとか偏向しているわけではない。だがアフガニスタン報道では、大国の物語によって、いかに多くの事実が歪曲されるか、あるいは真実が隠蔽されてきたはこれまで見てきたとおりである。だとしたら、そうした企業メディアを批判するだけではなく、彼らが伝えるニュースを批判的に読み解くメディアリテラシーの力を私たち市民が養う必要があるし、そのための「小さな物語」の発信が大切である。 
 日刊ベリタは、タリバン復権という大ニュースについても、非営利市民メディアとして企業メディアとは異なる視点の情報をできるだけ多く発信しようとつとめている。タリバンを恐れて国外脱出を図ろうとする市民の群れや女性の権利を守れと叫ぶ女性たちのデモは、アフガンの現実である。だがそのような報道では伝えられない、もうひとつのアフガンの姿が無数にあるはずである。日刊ベリタはそのなかから、ペシャワール会や日本ボランティアセンター、イタリアの「エマージェンシー」など、長年にわたり戦火に蹂躙された国の人びと共に、彼らの生活支援の活動に取り組んでき市民団体の動きや、イスラムを国教とするマレーシアの人権活動家のアフガン戦争への見方を紹介してきた。 
 それらの記事からは、欧米や日本のマスメディア報道からはうかがえないアフガンの姿と人びとの声が発見できる。共通しているのは、おなじ人間として平和な社会をどのようにつくっていくかを目ざして日々奮闘する国境を超えた市民の連帯のかたちである。彼らは大きな政変のなかで治安の悪化を懸念しながらも、これまでどおりタリバンの責任者とも対話を重ね、それぞれの地域に足をすえた前進の歩みをつづけている。 
 
▽日本国憲法の実践が真の国際貢献 
 目を世界に転じると、さまざまな市民メディアの情報が発見できる。「新しいタリバン、新しいアフガニスタン?」と題する、アディル・カーン元国連政策マネージャーの論稿もそのひとつ。国連で持続可能な開発の研究にたずさわってきた同教授は、新政権が打ち出した「包括的イスラム統治体制」の具体的内容が現時点ではまだはっきりしないとした上で、民主主義や女性の権利について論じている。これらの重要性は認めながらも、それはそれぞれの国の基本的ニーズに応えるための手段として、社会的、文化的文脈に沿って発展させていくのが望ましく、欧米型の代議制民主主義の杓子定規な適用には慎重であるべきだという。 
 当面の緊急を要するニーズとは、戦争でめちゃくちゃにされた経済の再建である。そのためには、「国際社会が新しいタリバンに敬意をもって接し、緊急に経済、社会の安定、人道的支援を進めるべきであり、それがタリバンをふくめたすべての当事者にとって最良の利益となることを知ってほしい」と提言し、こう結んでいる。 
 「アフガンの人びとはあまりにも長きにわたり多大な苦しみを強いられてきた。彼らはよりよき未来を保障されてしかるべきである」 
 では、戦後の再建に立ち上がろうとする中央アジアの人びとに、私たちはどのように寄り添うことができるだろうか。最大の武器は、日本国憲法であろう。 
 この憲法が「平和憲法」と称されるのは、第9条で「戦争の放棄」をうたい、国際紛争の解決手段としての武力行使の否定と戦力の不保持を誓っているからであるが、憲法はもうひとつ、平和とは何かを前文を記している 
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」 
 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」 
 9条と前文は平和の両輪を成しており、戦争や紛争の原因となる貧困や圧政の除去につとめることが真の平和につながるのである。 
 アフガン戦争後のいま、日本の政府と国民、メディアがこの理念を具体的な行動でしめすことで、平和国家がこれ以上米国の戦争に加担することを食い止めることができるだろう。同盟大国の戦争への「参戦」で傷ついた、アフガンの人びとの親日感情を修復することができるだろう。メディアは、両国市民のつながりを支援する報道をすることで、大国の物語に乗らないアフガンの真の姿を発見し、米国の目をとおした世界認識が国際社会の現実であるかのような錯覚から自由になるはずだ。そしてそのような報道は、私たちの民主主義の柱のひとつである、国民の知る権利の保障に貢献するものとして、メディアへの国民の信頼を回復させるだろう。 
 これこそが、真の国際貢献である。 (永井浩)         (おわり) 


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