2021年11月04日18時05分掲載  無料記事
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コラム

交代すべきは「世代」なのか?

 今回の衆院選挙で、見込み違いに議員を減らした立憲民主党の枝野代表が代表を退くという話が伝わってきました。それと軌を一にするかのように「世代交代」が必要という話をする人を他の分野でも見かけます。その「世代交代」の方向は若い人に受け継いでもらう、という方向性です。人類史を俯瞰すればどうということのない当たり前の言葉ではありますが、しかし、たとえばリベラル派の政治学者が語る場合は、少し慎重さが必要ではないでしょうか。 
 
  今の日本社会は、高齢者でも年金が十分ではなく、かといって福祉の世話にはできるだけなりたくない、という人が少なくありません。右肩上がりの時代の正社員で、企業年金でほぼ不自由なく老後を暮らせる、という人の割合は今後下がっていくはずです。すると、当然ながら、高齢になっても政治参加を求める人は出てくるはずだと私は思います。あるいは、高齢になって初めて政治に目覚める人だって皆無ではないと思います。 
 
 今日の常識は、政界の高齢のボスたちが権力を握っているため改革が進まないとか、保守的な価値観から抜けられない、と言った見方です。しかし、現実の社会から見れば大海の1滴に過ぎないと思います。年老いて生活が楽ではないとか、病院や施設などの行き場でなかなか苦労する、といった人は増えていると思います。こうした人々が選挙で単に投票するだけではなくて、議員になったり、政治運動をしたり、というような必要は今後ますます増えると思います。 
 
  1990年代から若者たちが就職するのが難しく、若者たちの未来を大人や企業社会が十分に考えてこなかったことは確かです。反省すべき点ではあります。ただ、その一方で、年寄りたちは安楽死してもらった方がよいのではないか、というような若手の論客の暴論も最近、見受けられます。もちろん、その脇には年寄りの政界の重鎮がいることも確かです。 
 
  若者か、年寄りか、という二者択一の言説が機能できたのは20世紀までではないでしょうか。今世紀になって若者も中年も年寄りも、権力の側の人もいれば、弱い立場の人もいて、世代で割り切ることはできません。ですから、簡単に世代交代などと言わない方がよいのではないかと私は思います。それは年老いた人々に対する圧力を示しています。確かに若い人にバトンを渡す、というのは大きな流れでしょうが、逆に未経験の年よりにチャレンジさせる、ということもあってよいのではないかとい思います。世界では成人教育の重要性が理解され、生きている限り学び続けることが大切だということが常識になろうとしています。老人たちは先がないから身勝手なことしか考えない、という「常識」がありますが、本当でしょうか?その常識を疑う視点がないと、野党共闘もまた実りあるものにならないと私は思います。バーニー・サンダース上院議員は今、80歳です。 


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