2021年12月26日06時42分掲載  無料記事
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国際

1973年のチリのクーデターの背景 アジェンデ大統領就任後50周年で公開された米公文書からニクソンとキッシンジャーのチリ経済攪乱指令が明らかに

 チリでガブリエル・ボリッチによる左派政権が誕生して間もないですが、この政権はピノチェット将軍によるクーデター以後に米国の肝いりで導入された新自由主義を打倒すると宣言したばかりです。こんな風に挑発的な発言をしたら、またCIAが謀略を企てるのではないかと危ぶむ人もいるのではないでしょうか。 
 
 実は昨年がちょうど1973年のクーデターで自殺に追い詰められたアジェンデ大統領の1970年の就任から50周年にあたっており、ジョージワシントン大学が米公文書を公開しています。1970年の時点でキッシンジャー国務長官とニクソン大統領がチリ経済を攪乱して、ピノチェット将軍のクーデターにつながる作戦を指令していたことが文書で明らかになりました。 
https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/chile/2020-11-06/allende-inauguration-50th-anniversary 
 キッシンジャー元国務長官は、チリのクーデターと虐殺に関与した疑いで、過去にはスペインの判事,Balthazar Garzon氏のインターポールへの要請で逮捕寸前まで追い詰められていましたが、ぎりぎりのところでスイスに逃げ込むなどして逃れました。以下のBBCの記事によればキッシンジャー氏に嫌疑がかけられているのは1970年代の「オペレーション・コンドル」と名付けられた極秘作戦です。記事によるとスペインだけでなく、フランスの司法当局もクーデターと虐殺に関してキッシンジャー氏の取り調べを求めていたことがわかっています。 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/1937000.stm 
 先ほどの米公文書公開記事では、1970年11月9日付で、トップシークレット扱いの国家安全保障会議の決議として、チリでの作戦司令文書が公開されていました。この作戦については1974年にニューヨークタイムズでシーモア・ハーシュ記者がスクープしていたともされます。ハーシュ記者と言えばベトナム戦争における米軍人のソンミ村虐殺事件やイスラエルの核開発のスクープ記事などで著名なジャーナリストです。今回はその公文書が丸々公開されたということかもしれません。 
 
 このジョージワシントン大学の公文書公開に関する記事によると、1970年11月に国家安全保障会議が始まる前に、キッシンジャー元国務長官はニクソン大統領らに慎重に根回ししていたとされます。ラテンアメリカにおける左翼政権つぶしは欧州にも影響を与える重要な作戦だと大統領に説得していました。そして当時は軍政だったブラジルやアルゼンチンなどの独裁者たちも動員して周囲から徹底的にチリにプレッシャーをかけていく共同作戦だったようです。そして、揺さぶりをかけた末に1973年、ピノチェット将軍がクーデターを起こしました。これは何かによく似ていると思ったら、2009年に中米のホンジュラスで起きたセラヤ大統領の中道左派政権つぶしの手口とそっくりです。 
 
  キッシンジャーを核にすると、同じ社会主義と言っても、選挙で民主的に選ばれた左派政権のアジェンデ政権はつぶし、武力革命で政権を奪取した中国政権とは提携するのだから、まさにキッシンジャーが説くイデオロギー抜きのバランスオブパワー外交でしょう。 
 
  こうした公文書の存在は、チャベス政権やキューバの政権などラテンアメリカの左翼政権に米国務省や情報機関がどのような関与をしていたかを確かめることができるものです。まず経済の面で徹底的に絞り上げる手法は第二次大戦前の対日政策と通底します。公文書の大切さを改めて思い知らされました。今の日本では公文書が組織的に改竄されており、改竄されていない公文書がまだ本邦に存在するのか、不安すら感じます。 


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