2022年03月03日10時53分掲載  無料記事
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欧州

ウクライナ侵攻に関する英国の地理学者デヴィッド・ハーヴェイの論説

 フェイスブックで、ロシアのウクライナ侵攻に関するとても優れた論説に行き当たりました。英国の地理学者デヴィッド・ハーヴェイの2月25日付の論説で、Seiya Morita氏が緊急翻訳され、3月1日フェイスブックにアップロード、同氏の許可を得て転載します。長文ですが、まさに"must-read"です。 
 転載者は地理学も勉強したことはありませんし、この地理学者も知りませんでした。読んでみて、また経歴などを見ると、まさに碩学です。 
 
 ウクライナにおける最近の事件について――暫定的な声明 
              デヴィッド・ハーヴェイ    2022年2月25日 
 
プリント向けPDFファイル 
http://davidharvey.org/2022/02/%EF%BF%BCremarks-on-recent-events-in-the-ukraine-a-provisional-statement/ 
 
 ロシアのウクライナ侵攻による本格的な戦争の勃発は、世界秩序に対する重大な転換点をもたらすものだ。今回の事件は、本年の年次総会に集まった地理学者たち(残念ながらZoomによるものだが)には無視できないものであり、議論の基礎として、専門家ではないコメントをいくつか提示したい。 
 次のような神話がある。1945年以来世界は平和であり、アメリカのヘゲモニーのもとで構築された世界秩序は、互いに競争しあう資本主義国家の戦争志向を抑制する上で十分に機能してきたという神話だ。たしかに、2度の世界大戦を引き起こしたヨーロッパにおける国家間競争はほぼ封じられ、西ドイツと日本は1945年以降、平和的に資本主義世界システムに再統合された(それはソ連の共産主義の脅威と戦うためでもあった)。ヨーロッパでは国家間協力のための諸機関・諸制度が整備された(共同市場、欧州連合、NATO、ユーロ、等々)。一方、1945年以降も、数多くの「熱い」戦争(内戦と国家間戦争)が遂行されてきた。朝鮮戦争とベトナム戦争に始まり、ユーゴスラビア内戦、NATOによるセルビア空爆、2つの対イラク戦争(うち1つは、イラクの大量破壊兵器保有に関する米国のあからさまな嘘によって正当化された)、イエメン、リビア、シリアでの戦争がそうである。 
 
 1991年まで、冷戦は世界秩序を機能させるうえでかなりの程度、持続的な支えを提供してきた。この冷戦は、アイゼンハワーがかつて「軍産複合体」と呼んだものを構成する米国企業にとって経済的利益になるよう大いに利用された。ソヴィエトと共産主義に対する恐怖心(偽りの恐怖心と本物の恐怖心の両方)を醸成することは、この冷戦政治にとって基本的な手段の一つだった。その結果、軍用ハードウェアにおける技術的・組織的なイノベーションの波が次々と起こり、経済的にも大きな影響を及ぼした。そうした軍事技術の多くは、航空、インターネット、核技術など、広範にわたる民間利用をもたらし、こうして、終わりなき資本蓄積を支え、独占市場を通じて資本主義的権力の集中を昂進させることに大いに貢献した。 
 さらに、「軍事ケインズ主義」への依存は、1970年以降、先進資本主義国の諸国民に新自由主義的緊縮財政が繰り返し実施されてきた過酷な時代における例外として好まれるようになった。レーガンは軍事ケインズ主義に頼りつつソ連に軍拡競争を仕掛けた。それは、ソ連の崩壊を招くことによって冷戦の終結に貢献したが、同時に両国の経済を大きく歪めることになった。レーガン以前の〔高成長だった〕アメリカの最高税率は70%を下回ることはなかったが、〔低成長の〕レーガン以降は40%を超えたことはなかった(この事実は、高い税率が経済成長を阻害するという右派の主張を論駁するものだ)。1945年以降、アメリカ経済の軍事化が進むと、経済的不平等が拡大し、アメリカ国内だけでなく、他の地域でも(ロシアでさえ)支配的寡頭制が形成されるようになった。 
 ウクライナのような状況において西側の政策エリートたちが直面している困難は、紛争の根本的な原因を悪化させない形で当面する短期的問題に対処しなければならないことだ。たとえば、不安に駆られた人々はしばしば暴力的に反応するが、ナイフを持って向かってくる相手に対して、不安を和らげるために「まあ落ち着け」というような言葉でもって対峙することはできない。相手を武装解除しなければならないが、その際、できれば不安を増幅させないような方法をとる必要がある。目的とするべきなのは、より平和的で協調的で、かつ非軍事化された世界秩序の基礎を築くことであり、同時にこの侵略がもたらす恐怖や破壊、不必要な人命損失を速やかに抑え込むことだ。 
 ウクライナ紛争でわれわれが現在目にしていることは、多くの点で、かつて「現存する共産主義」とソヴィエト政権の力を解体させたプロセスの産物である。冷戦の終焉とともに、ロシア人は、資本主義のダイナミズムと自由市場経済の恩恵がトリクルダウンによって国中に広がるという、バラ色の未来を約束された。しかし、かつてボリス・カガリツキー〔ロシアの社会主義左派知識人〕による表現に従えば、その現実は次のようなものだった。冷戦が終わり、ロシア人はパリ行きのジェット機に乗っていると信じていたのに、飛行中に「ブルキノ・ファソ〔アフリカの国で貧困と内戦に苦しんでいる〕へようこそ」と言われたようなものだと。 
 1945年以降に日本や西ドイツで起こったことと違って、ロシアの人々や経済をグローバルシステムに有機的に組み込む試みはまるでなされなかった。IMFや西側の主要な経済学者(ジェフリー・サックスなど)からの助言は、新自由主義的な「ショック療法」を移行への特効薬として受け入れることであった。それが明らかにうまくいかなかったとき、西側エリートたちは、被害者の方を非難するという新自由主義のいつものゲームを展開した。つまり、ロシアの人々は自分たちの人的資本を適切に開発せず、個々人の起業家精神に対する多くの障壁を取り除かなかったのが悪いというのだ(したがって、寡頭制(オリガルヒ)が台頭したことも暗黙の裡にロシア人自身の責任にされた)。ロシア国内の結果は実に悲惨なものだった。GDPは崩壊し、ルーブルは役立たなくなり(お金はウォッカの瓶で計られた)、平均寿命は急降下し、女性の地位は下落し、社会福祉と政府機関は完全に崩壊し、オリガルヒの権力を中心にマフィア政治が台頭し、1998年には債務危機が頂点に達した。金持ちのテーブルからパンくずをねだり、IMFの独裁に服従するしか道はないように思われた。オリガルヒの繁栄を例外とすれば、経済的屈辱は全面的なものだった。さらにその上、ソヴィエト連邦は、民衆にあまり相談されることもなく、独立した諸共和国へと解体された。 
 ロシアはわずか数年の間に、人口と経済の縮小、産業基盤の破壊を経験し、その規模たるや、過去40年間にアメリカの古い地域で経験した脱工業化よりも大きなものだった。ペンシルベニア州、オハイオ州、そして中西部における脱工業化の社会的、政治的、経済的影響は広範囲に及んでいる(合成麻薬であるオピオイドの蔓延から、白人至上主義やドナルド・トランプを支持する有害な政治的傾向の台頭に至るまで)。しかし、ロシアの政治的、文化的、経済的生活に対する「ショック療法」の影響は、案の定、それよりはるかにひどいものだった。西側は、欧米流の「歴史の終わり」なるものを吹聴してほくそ笑むこと以外、何もできなかった。 
 さらにNATOの問題がある。もともと防衛的かつ協調的なものとして構想されたNATOは、共産主義の拡大を抑えることと、ヨーロッパにおける国家間競争が軍事的な方向に向かうのを防ぐことを目的に設置された主たる好戦的軍事機構だった。おおむねそれは、ヨーロッパでの国家間競争を緩和する協調的な組織的機関としては多少とも役立った(ただし、ギリシャとトルコはキプロスをめぐる対立を何ら解決していない)。実際には、ヨーロッパ連合(EU)の方がずっと役に立った。ソ連の崩壊とともに、NATOの主要な目的は消滅した。アメリカ国民が国防予算の大幅削減によって「平和の配当」を実現したことは、軍産複合体にとってリアルな脅威となった。その結果、ペレストロイカ初期のゴルバチョフとの口約束に反して、NATOのアグレッシブな利用(それは常にあったが)がクリントン時代に積極的に主張されるようになった。1999年の米国主導のNATOによるベオグラード爆撃は、その端的な例である(このとき中国大使館も爆撃に遭ったが、それが偶然なのか意図的なのかは不明だ)。 
 米国のセルビア爆撃をはじめ、小国家の主権を侵害する米国の介入は、プーチンの行動の先例として想起される。この間、NATOが(明確な軍事的脅威がないにもかかわらず)ロシア国境付近まで拡大したことは、米国内でも強く疑問視されており、ドナルド・トランプはNATOの存在意義をも攻撃している。最近『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿した保守派の論客トム・フリードマンでさえ、NATOの東欧への拡大によるロシアへの攻撃的、挑発的なアプローチを通じて、最近の事件に対する米国が責任を負っていることを想起している。1990年代、NATOはまるで敵を探している軍事同盟のように見えた。プーチンはさんざん挑発され、今日ついにそれに乗った。明らかに、ロシアを経済的に破壊された屈辱と、世界秩序におけるロシアの地位に対する西側の無礼な傲慢さに怒っている。 
 米国と西側の政治的エリートたちは、相手に屈辱を与えることが、外交問題においてしばしば長期的で破局的な影響をもたらす破滅的な手段であることを理解すべきだった。ベルサイユにおいてドイツに与えた屈辱は、第2次世界大戦の火種となる重要な役割を果たした。政治的エリートは、1945年以降、マーシャル・プランによって西ドイツと日本に対する屈辱の繰り返しを回避したのに、冷戦終結後、ロシアに対して(積極的にも、あるいは不注意によっても)屈辱を与えるという破滅的愚行を繰り返した。ロシアは、1990年代の新自由主義的解決策の妥当性についてレクチャーを受けるよりも、マーシャル・プランのようなものを必要としていたし、またそれに値した。同じく、欧米帝国主義による1世紀半にわたる中国への屈辱(これは日本による軍事占領と1930年代の悪名高い「レイプ・オブ・ナンキン」という屈辱へと受け継がれた)は、現代の地政学的闘争において重要な役割を果たしている。その教訓は単純である。屈辱を与えることは危険だということだ。たとえ噛まれないまでも、恨まれることになる。 
 もちろん、以上のいずれもプーチンによる行動を正当化するものではない。それは、40年にわたる脱工業化と新自由主義的な労働者抑圧が、ドナルド・トランプの行動や立場を正当化しないのと同じである。しかし、それと同じく、ウクライナにおけるこうした行動は、グローバル軍国主義の諸機関(NATOなど)を再活性化させることを正当化するものではない。それはむしろ問題の発生に大きく寄与するものだった。1945年以降、ヨーロッパ内の国家間競争が非軍事化される必要があったように、今日、権力ブロック間の軍拡競争をやめさせて、協力と協調のための強力な制度に取って代える必要がある。資本主義企業間や権力ブロック間の競争の強制法則に従うことは、将来における災いの元でしかない。たとえ――残念ながら――大資本が依然として、それを将来における無限の資本蓄積を支える手段だとみなしているとしてもである。 
 このような時期にきわめて危険なのは、どちらかの側の小さな判断ミスが、核保有国間の大規模な衝突に簡単にエスカレートしてしまうことだ。核兵器は、これまで圧倒的だったアメリカの軍事力に対してロシアが自力で対抗できる分野である。1990年代に米国のエリートたちは一極集中の世界に住んでいたのだが、その世界はすでに二極化された世界に取って代わられている。そして、それ以外の多くのことは流動的である。 
 2003年1月15日、世界中の何百万人もの人々が、イラク戦争の脅威に対して抗議するために街頭に繰り出した。『ニューヨーク・タイムズ』紙でさえ、これは世界の世論の驚くべき表現であると認めた。しかし、残念至極なことに、この抗議は失敗に終わり、20年間にわたり世界中で無駄で破壊的な戦争が繰り返されることになった。ウクライナの人々が戦争を望んでいないこと、ロシアの人々も戦争を望んでいないこと、ヨーロッパの人々も戦争を望んでいないこと、そしてまた北米の人々も新たな戦争を望んでいないこと、このことは明らかである。平和を求める民衆の運動に新たに火をつけ、再活性化させる必要がある。世界中の人々が、競争、強制、激しい対立ではなく、平和、協力、協調に基づく新しい世界秩序の創造に参加する権利を主張する必要がある。 
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Remarks on Recent Events in the Ukraine: A Provisional Statement 
DAVIDHARVEY.ORG 
Remarks on Recent Events in the Ukraine: A Provisional Statement 
David Harvey February 25, 2022 
 
*本稿は以下のサイトからの転載です。 
 
原文: 
http://davidharvey.org/2022/02/%EF%BF%BCremarks-on-recent-events-in-the-ukraine-a-provisional-statement/ 
 
Seiya Morita氏の翻訳記事 
https://www.facebook.com/seiya.morita.758/posts/472693501170387 
 
豊島耕一 
ペガサス・ブログ https://pegasus1.blog.ss-blog.jp 


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