2022年07月31日12時16分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー、死刑執行をのり越えて 「私は夫を誇りに思います」 野上俊明

 7月25日、政権が支配するメディアは、4人の民主化運動家が処刑されたと発表した。これは、ミャンマーで数十年ぶりの官憲による処刑である。犠牲者のひとりが、ヒップホップのパイオニアから国民民主連盟の国会議員になった41歳のコ・ピョザヤトゥだった。この死刑執行は、ミャンマー国民を驚かせ、怒りと悲しみのどん底に突き落とした。このニュースが流れた日、Frontier Myanmarはコ・ピョーザヤトゥの妻マ・ターズインニュンアウンに、彼の死、彼の人生、そしてこれが革命にとって何を意味するのかについて話を訊いた。以下、記事全文の翻訳である。 
 ※地元オンライン雑誌Frontier Myanmarは、唯一欧米人が運営する地元メディアである。昨年11月、同誌の編集副主幹だったD・フェンスター氏は扇動罪で逮捕起訴されていたが、日本財団の笹川氏などの働きかけで釈放され、国外追放になった。Frontier Myanmarは、民主派勢力に都合の悪いことでも取り上げるとしており、折々なかなか読み応えのある調査報道を発表している。以下のインタビュ記事、FM=Frontier Myanmarであり、M/T=コ・ピョーザヤトゥの妻マ・ターズインニュンアウンを表す。 
 政治犯死刑囚の妻が語る、「私は夫がしたことを誇りに思います」 
FM:コ・ピョーザヤトゥは有名なラッパーで、その後政治家になりました。そしてクーデタ後は活動家となり、死刑判決を受けるまで軍と戦いました。彼の人生について、どのように感じていますか? 
M/T:彼は勇敢なリーダーでした。彼は自分の信じる道を歩んだんです。彼は自分の信じることを実行したのです。 これは彼の選んだ道なのです。その道こそが正しい道なのです。彼は勇敢な若きリーダーでした。だからこそ、私は彼が最後までやったことを誇りに思います。 
FM: コ・ピョーザヤトゥは2012年から2021年まで国会議員を務めました。なぜ彼は2020年の選挙で再選を目指さなかったのですか? 
M/T:国会議員の仕事を休んで、自分の人生のために何かやりたいと思ったからです。音楽界への再出発を目指した。だから、コ・ピョーザヤトゥは出馬せず、NLD党は彼を交代させたのです。彼を休ませたのです。彼の人生では、音楽と政治を両立させなければならなかった。もし、クーデタが起こらなかったら、彼は音楽活動に戻っていたでしょう。 
FM:クーデタ後、コ・ピョーザヤトゥはどのように対応したのでしょうか? 
M/T:私たちは、軍事クーデタ以来、昨年11月に彼が逮捕されるまで、ずっと一緒にいました。軍事クーデタは不当なものでした。私と彼も平和的な抗議をしました。ヤンゴンの反軍事クーデタ運動にも参加しました。一般市民は平和的に抗議しましたが、彼らはテロリストの軍隊によって残酷に撃ち殺されました。平和的に抗議することができなくなったとき、私たちは自衛権の範囲内で自分たちを守ることを選び取ったのです。 
FM:自衛権には、ヤンゴンでのゲリラ活動も含まれていたのですか? 
M/T:そのことはまだ話したくありません。反軍運動に参加した人たちは、私たちだけでなく、全員が自衛権をもっています。国全体がそうなのです。国民は、私たちが何をしなければならなかったかを理解しています。 
FM:11月18日にヤンゴンで逮捕されたとき、あなたは彼と一緒にいたそうですね。その時の様子を教えていただけますか? 
M/T:昨年5月頃、軍はコ・ピョーザヤトゥに逮捕状を発行しました。11月18日、私たちが住んでいるヤダナローズの家に軍部が入り、逮捕されました。大軍が住宅地に入ってきたのです。何が起こっているのか確認するため、私は階下に降りました。降りてみると、軍の部隊が私たちの建物のすべての部屋をチェックしていました。そして彼を鳥かニワトリのように乱暴に逮捕したのです。 
FM:逮捕された後、法廷で弁護する権利はあったのでしょうか? 
M/T:私たちは彼と接触していません。彼の家族も、彼が逮捕されて以来、連絡を取っていません。7月18日まで、誰も彼と連絡を取ったり、会ったりすることは許されませんでした。私たちの弁護士も連絡を取ることができませんでした。5月、彼は軍事法廷によって死刑を宣告されました。その後、彼が実際に処刑されるだろうというニュースが広がりました。軍による告訴について、彼は法廷で弁護士を立てて弁護する機会がなかったのです。事件がどのように捜査されたかもわかりません。コ・ピョーザヤトゥの母親はしばしばインセイン刑務所に行き、彼がどこにいるのか、何があったのかを聞きましたが、刑務官は彼が刑務所にはいないと言いました。先週の金曜日(7月22日)、彼らはコ・ピョーザヤトゥの母親に会いに来るように連絡してきました。 
FM:金曜日に家族が面会に行ったとき、刑務所側は「死刑執行前の最後のお別れだ」と言ったのでしょうか? 
M/T:何も言われませんでした。全く何も。 彼の母親は、彼に会う機会があるから、会いに来なさいと言われました。それでみなは行ったんです。彼は少し痩せていました。その日はコ・ジミーの親戚も来ていました。そして刑務所の手続きに従って、今日(7月25日)彼に小包と手紙を送る準備をしたのです。私たちの側からは、すべて規則と手続きに沿って行いました。当局は死刑執行について何も言いませんでした。 
FM:では、今朝、死刑が執行されたことをどのようにお知りになりましたか? 
M/T:ちょうど今日、彼の母親が刑務所に面会に行ったんです。殺されたという伝言も聞きました。刑務所当局は、軍の新聞で報道された通りだと言いました。私たちは、もし殺したのなら遺体を返してくださいと言いました。しかし、彼らは遺体を返そうとしない。どうやって殺したのか、明らかにする必要があるのです。兵士に殺されたのか、そうでないのか、教えてください。彼らはこの事件をどう判断したのでしょうか?それが今知りたいことです。彼の母親は遺体を受け取ることを要求しました。刑務所当局は、それを渡す権利がないと言いました。彼らは遺体を渡さなかったし、証拠も見せなかった。インセイン刑務所は、彼の家族が要求したことを拒否したのです。私たちが聞いたニュースによると、昨晩は刑務所の前にたくさんの軍の車両があったそうです。街全体が停電になった。それで、昨夜は何があったのだろうかと、私たちは考えた。彼の母親は、情報を求めに行った。しかし、新聞に載っているのと同じだと答えたそうです。それはどういうことかというと、殺されたということです。私はとてもショックで、悲しくなりました。 
FM:処刑の話を聞いたとき、どう思われましたか? 
M/T:私はとても悲しく、辛いです。気分が良くなりたいとも思わない。私はとても傷ついています。警官は「彼はもうここにはいない」と簡単に言った。それは殺人です。彼らは公然と殺人を犯しているのです。ミャンマーでは軍事クーデタ以来、軍が人を殺し続けてきた。しかし、彼らはいつもこの犯罪を否定していた。しかし、今、彼らは公然と殺人を犯した。彼らは今、人を殺していることを示し、そして、彼らは誰を気にしていない。殺したいと思えば、殺せるのです。彼らは私たちの人権など気にもしていないのです。今回の事件は、まさに最悪です。刑務所のマニュアルによると、死刑判決が下された場合、遺体は返還されなければならない。市営墓地に埋葬しなければならない。でも今、彼らは何もしていない。やりたい放題だ。この問題は、最悪の人権侵害になっている。この問題については、国際社会、ASEAN、そして全世界が、軍に圧力をかけてほしいのです。国内の人たちだけではありません。世界中のすべてのビルマ人が人権侵害にさらされているのです。これはテロリストの軍隊の行動なんです。 
FM:ミャンマーでは何十年もの間、死刑が執行されていない。しかし今、ミャンマー政府は政治家や活動家に対して死刑を適用するために、死刑を復活させました。このことをどう思いますか? 
M/T:軍が支配する限り、このような死刑判決は繰り返されるでしょう。殺された人たちは、私たちの尊敬するリーダーたちです。 コ・ゼヤトゥとコ・ジミーと共に死刑判決を受けたコ・ラミョーアウンとコ・アウントゥラゾーは、民衆から生まれた英雄たちです。これは絶対に最も非人道的な行為です。もし彼らが私たちの仲間に死刑を宣告するならば、私たちはその判決を目の前で見たいと思います。黙ってやるわけにはいかないのです。民主主義と人権を守ろうとした指導者たちです。軍が若い指導者を殺したのは、世界の責任です。 
FM:さて、コ・ゼヤトゥが死刑判決を受けたことについて、あなたはどうしますか? 
M/T:この「春の革命」以来、私たち二人は精神的にも肉体的にともに働いてきました。私たちの親しい同志は、わが国の軍事独裁政権を倒すために、できる限りのことをしました。今、彼はここにいませんい。しかし、私は革命を続けていくつもりです。軍隊は残忍です。彼らはその残忍な行為の代償を払わなければなりません。彼らは真実のために償わなければならないのです。 
FM:コ・ゼヤトゥは、「春の革命」に何を期待したのでしょうか? 
M/T:彼のスピーチから、SNSで分かることがあります。私たちはこの革命に勝たなければなりません。彼は、私たちが勝たなければならないとは言いませんでした。彼は、私たちはすでに勝っていると言ったのです。なぜなら、もし私たちが勝ったという意識で臨めば、成功するからです。これは、彼が抗議活動の際に発言を許された時の言葉です。 
FM:もし「春の革命」が成功しなかったら、どうなるのでしょうか? 
M/T:「春の革命が失敗したらどうするのか」という質問は聞きたくありません。私たちは成功します。なぜなら、私たちは後戻りができないからです。私たちは皆、軍と戦うために普段の生活を捨てています。命は無償で手放すものではありません。この革命は成功するでしょうが、人民が団結しなければ時間がかかるでしょう。 
FM:この春の革命が始まって以来、国際社会は軍と抵抗勢力の交渉を要求しています。今回の処刑の後、関与の可能性はあるのでしょうか? 
M/T:私たちは誰にも関与しません。軍と交渉することはありません。このテロリストの軍隊は、私たちの国に存在し続けることはできません。私たちはこのテロリストの軍隊と一緒に暮らすことはできないのです。民主主義のために戦っている人々がこのように非難されるなら、(怒りの)火は燃え上がるでしょう。この行動により、私たちはより早く目標に到達できると信じています。 
FM:他に何か付け加えることはありますか? 
M/T:軍はやってはいけないことをやって、どん底まで落ちたのです。もし彼らがこのまま国を支配し続ければ、将来このような処刑がたくさんなされるでしょう。私たちはこの判決を受け入れません。国全体がこの判決を受け入れていないのです。私たちは正義が行われるのを見たかった。この点で、私は最後まで軍に反旗を翻すつもりです。 
 
*本稿は「ちきゅう座」 http://chikyuza.net/からの転載です 


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