2022年08月02日11時19分掲載  無料記事
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政治

安倍元首相の国葬は「憲法上さまざまな疑義」 市民団体が「反対」声明を岸田首相に送付

 共同通信社が7月30、31両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍晋三元首相の国葬に「反対」「どちらかといえば反対」が計53.3%を占め、「賛成」「どちらかといえば賛成」の計45.1%を上回った。具体的な反対意見の一例として、「子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会」(略称「子どもと法・21」などの市民団体が、同31日に岸田首相と各政党に送った声明を紹介する。 
 
安倍晋三元首相の「国葬」に反対する声明 
2022年7月31日 
 
子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会(略称「子どもと法・21」) 
平和・人権・民主主義の教育の危機に立ち上がる会 
NPO法人中国帰国者の会 
 
本年7月22日、9月27日に安倍晋三元首相の国葬を執り行うことを閣議決定した。そもそも国葬とは、国が個人の葬儀を主宰し、その費用に国費をもって充てるものであって日本国憲法上さまざまな点から疑義があり、重大な問題を含んでいる。まして安倍政権は、教育基本法の改悪や集団的自衛権を容認する「解釈改憲」、安全保障法制、特定秘密保護法、共謀罪など、国論を二分するような問題でも、批判に対しては、国会での圧倒的多数を占めていることを最大限に活用し「政治権力」で押し切って強行採決するなど立憲政治を破壊に導くことをしてきた。それを安倍元首相が率先して行った。 
 
1 財政民主主義に反する 
そもそも日本国憲法は「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」(83条)として財政民主主義を表明し、具体的に85条で、「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」としている。今回の「国葬」について政府は 「一般予備費」を当てるとしているが、その支出も法的根拠のあるものでなければならないし、その法的根拠となるものは合憲のものでなければならない。 
 
2 法的根拠なし 
戦前は「国葬令」があり、皇族、軍人、政治家など対象者も定めていた。しかし日本国憲法制定により失効し、その後法的根拠になるものはない。 
戦後唯一の「国葬」となった吉田茂元首相の「国葬」時、水田国務大臣は「国葬儀につきましては、御承知のように法令の根拠はございません」と明確に答弁している。佐藤栄作元首相に関し、国葬の実施が検討された際も、「法的根拠が明確でない」とする内閣法制局の見解等によって見送られた経緯がある。その後法制が整備されたことはない。 
岸田内閣は今回の「国葬」の法的根拠として、「内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、“国の儀式に関する事務に関すること”と明記している。この国の儀式としておこなう国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表しておこなう」とする。しかし、指摘の内閣府設置法4条3項33号は「国の儀式」に関する内閣府の所掌事務であると定めているに過ぎないし、閣議決定は内閣としての意見表明でしかなく 法的根拠にはなり得ない。 
 
3 政教分離・内心の自由・法の下の平等など基本的人権に反する 
 戦前の「国葬令」は言論・表現の自由(21条)、内心の自由(19条)、政教分離(20条)を定めた日本国憲法に抵触するものとされ失効したが、その「国葬令」では「国民は喪に服すもの」とされていた。このように戦前の「国葬令」は明らかに宗教行為を強いるものであった。 
今回予定している「国葬」について、政府は、「儀式として実施されるものであり、国民一人一人に政治的評価や喪に服することを求めるものではない」としている。また、政教分離規定を鑑みてのことだろう、国葬儀自体を無宗教方式でするとあるから、宗教行為ではないと考えうる余地がある。しかし、無宗教方式といえどもその葬儀を国が主催し、国費を支出することは、「個々人が故人を悼む」こととは異なり、「国家として当該個人への弔意を表すもの」であって、すべての国民が当該国会議員への弔意を事実上強要されることになる。このことは、個人の信教の自由(日本国憲法20条1項)を確実にするため、同条3項が定める政教分離原則―「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」―に抵触する可能性が大である。国民側からみれば、同条2項の「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」や日本国憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」に反するものでもある。 
 
4 子どもたちにも強要される懸念 
 「国葬」になった場合、少なくとも官公署や公務員は弔意を強要されるはずである。 
吉田茂元首相の国葬の際には、「国民をあげて冥福を祈る」の大号令の下、競馬や競輪などの公営競技が中止となり、娯楽番組の放送が中止され、全国各地でサイレンを鳴り響かせて職場や街頭で黙とうを捧げる、という事態が生じている。 
 すでに、安倍元首相の葬儀にあたり、弔旗を掲げたり、記帳台や献花台を設置したりした自治体もあった。山口県教育委員会は安倍晋三元首相の葬儀に合わせ、国旗などの半旗を掲げるよう県立学校に求める通知を出し、県内市町の教委にも「参考」で伝えた。これは「地元選出議員だから」の自治体だけでなく、兵庫県三田市教育委員会・北海道帯広市教育委員会・神奈川県川崎市教育委員会などで葬儀に合わせて学校現場において半旗の掲揚を求めた事例も生じている。 
 政府が国葬を実施すれば、こうした傾向がさらに助長され、子どもたちにも弔意の強制が及ぶ事態が懸念される。これが実施された場合、子どもと保護者、教職員の思想・良心の自由(憲法19条)を侵害することとなる。 
 
5 政治利用 
岸田首相は国葬にする理由として「民主主義を守るため」とも説明している。しかし数々の虚偽答弁を含め、冒頭に述べたように安倍元首相こそ立憲政治、民主主義に反する手法を多用したばかりか、森友・加計学園事件、「桜を見る会」疑惑、そして統一協会との関係を含め数々の疑惑があり、「民主主義を守るため」にはこうしたことについて事実解明がなされることこそが重要である。にもかかわらず、しかも多くの異論がある中で正当な手続きも踏まず、透明性もないまま反対意見を封じ込めて国葬を決定した。 
このこと自体民主主義に反する。今回の素早い「国葬」決定は、「国葬」が岸田内閣の万全をはかるための政治利用といわれる所以である。 
2021年4月の菅内閣時代に検定合格歴史教科書の記述を閣議決定に基づき「訂正申請」させるなど、昨今、法的根拠なく閣議決定で決める手法が目立つ。閣議決定の濫用は、あたかも大日本帝国憲法下での「勅令」濫発、「勅令」政治と相似している。今回も法的根拠なく閣議決定で国葬とする決定をした。このこと自体、政治利用というべきである。 
 
6 安倍元首相への批判を封じ、「神格化」するおそれ――民主主義の終わりになるか 
これまで述べたように、安倍元首相については多くの問題があったにもかかわらず、岸田首相は、安倍元首相につき「東日本大震災からの復興や日本経済の再生、日米同盟を基軸とした外交の展開など様々な分野で実績を残すなど、その功績は素晴らしいものがある」と持ち上げるのみである。国葬でもそうした称えをすると思われる。 
安倍元首相が行ってきたことを国として正当なものと評価し、国と国民をあげて安倍元首相を追悼することが正しいと国が国民に押し付けるわけである。しかも「そのような人が選挙演説中に殺された」と。こうした追悼の映像をみせ、情緒に訴えて、『ああすごいひとだったんだ』といった虚像を国民に押し付け、「神格化」さえさせかねない効果をもたらす。とくに、子どもたちには深刻な影響を及ぼしかねないことは、大日本帝国憲法下での天皇、「軍神」の扱いからも明らかである。 
一政治家の「神格化」は、民主主義の死をもたらす。そればかりか、今後国葬が慣例化され、代々の内閣総理大臣等は容易に国葬とされることになりかねない。 
民主主義の根幹が問われるもの、今回の「国葬問題」の本質はこれである。 
 
以上のように、岸田首相が表明している安倍元首相について「国葬」を行うことは、重大な憲法違反であり、わたしたちの憲法上の人権侵害をもたらすものである。そして、民主主義の根幹を崩壊させかねないことでもある。 
 わたしたちは安倍元首相について「国葬」を執り行うことに反対し、政府に対し、「国葬」の方針を撤回することを求める。 
 
以上 


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