2022年08月05日13時49分掲載  無料記事
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コラム

米劇作家エドワード・オールビーの”遺言”  Civics(市民論・市政学)の教育を取り戻す必要がある

  エドワード・オールビーと言えば米劇作家で、「動物園物語」や「ヴァージニア・ウルフなんて怖くない」などの戯曲で多大な影響力を誇っていた作家でした。かつて日本で翻訳された外国人劇作家の戯曲集の巻末には著名な劇作家の翻訳集のリストが宣伝として掲載されていたものですが、そこにはオールビーの作品もしばしば掲載されていたものです。オールビーは2016年に亡くなっていますが、生前のインタビューでは興味深い発言をしています。たとえば、以下のリンクはエモリー大学でのインタビューでYouTubeで視聴可能です。 
https://www.youtube.com/watch?v=E_JDV4JXAcE 
  インタビュアーから、「あなたの戯曲は政治的だと、あなたはおっしゃられていますが」と言われて、オールビーはこんな風に答えていました。私は人々が自分のふるまいを直視できるように、人々の前に鏡をもって立つように心がけているのだ、と。 
 
  「政治とは、自覚(あるいは意識:consciousness)に対して、どう反応するかで決まるものだという信念を持っているんですよ」 
 
  オールビーはこんな答えをして、今の米国では若者にシビックス(Civics)を教えなくなった、と残念そうに語りました。シビックスとは、市民論とか市政論と訳されますが、つまりは民主国家における市民の考え方、行動の仕方ということでしょう。いかに民主国家が機能するか、ということを若者たちにしっかり教える必要あるのだと。ただし、忠君愛国とか八紘一宇といった王制・君主制あるいは帝国主義の国家における政治システムの教育ではないことに注意したいと思います。そこには市民というものはなく、存在するのは隷属的な臣民のみです。オールビーが言っているのは、隷属者になるための教育ではなく、主権者になるための教育です。そして、オールビーはこうも語っています。 
 
  「シビックスについて教えなくなったために、人々は投票所に驚くほどの無知(illiteracy)の状態でやってくるんですよ」 
 
  これは個々の候補者や政党がどのような政策を打ち出しているか、という個別的な話というよりも、その基礎となる考え方の欠落をイリテラシー(無知)と言っているのでしょう。つまり、その候補者に投票すれば民主政治にとって、市民の暮らしにとってどういう影響が起きうるかを思索する能力が育っていない状態を指します。彼は米国でそうした傾向が進んでしまったことに非常に強い懸念を示していたのです。 
 
  オールビーと言えば、「動物園物語」、すなわち、不条理劇という風にキーワードでつながげられてきた劇作家ですが、その彼が市民論について教えなくなったことを晩年に批判していたことは発見ですし、興味深く思いました。これは政治哲学の教育でもあると思いますが、それは単なるイデオロギーとか特定の政党について教えるのではなく、基礎にある民主主義の考え方ということになるはずです。そして、そこには新聞や放送局のあり方も関係しますし、討論会などを通して、普通の市民がどう政治プロセスに関わっていくべきか、という主権者への問いかけも含んでいると思われます。 


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