2022年08月06日15時42分掲載  無料記事
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反戦・平和

核抑止論が核兵器の限定使用に道を開く

  ロシアのプーチン大統領がウクライナでの核兵器の使用も考慮に入れると今春、宣言したことを私は重く受け止めています。これをブラッフと考える人もいるかもしれませんが、私は可能性としてあり得ると考えています。ロシア文学を読めば、ロシア人は自己の実存をかけた賭けに出ることが少なくありません。帝国主義国家を覆した革命が起きたのがロシアだったこともその証左です。プーチン大統領の一度目の賭けはウクライナとの国境を越えたことでしたが、二度目の賭けは核兵器の使用です。もちろん、私はそれがブラッフに過ぎず、実現しないことを祈っています。 
 
  プーチン大統領がウクライナを核攻撃する可能性もあると語った時、私は米国の大学のウェブサイトで、ロシアとNATOの全面核戦争になった場合をシミュレートした動画をたまたま見る機会がありました。1発の爆発から、報復が始まり、飛び交う核ミサイルの数もどんどん増えていきます。モスクワ周辺は真っ赤になりますが、ドイツとフランスの国境線あたりやイタリアなどにも莫大なミサイルが撃ち込まれます。1日で次々と核兵器が発射され、被害が欧州を超えて米大陸やユーラシア大陸中心部まで拡大していきます。もし、ロシアがウクライナに核兵器を使用した場合、NATO加盟国は核兵器でロシア本土を攻撃するのでしょうか?それは世界の死滅を意味するはずです。プーチン大統領にとって最初に核兵器を落とすことはウクライナの都市を死滅させたとしても、世界を死滅させるわけではありません。ですから、人類生存の運命を委ねられるのはNATO側になるはずです。 
 
  こう考えた場合、NATOがロシアを核攻撃で報復する可能性は少ないのではないかと考えます。もちろん、報復するかもしれません。簡単に予測ができません。NATOはいろんな指導者が存在していて、バイデン大統領の一存だけで決定できないはずです。そこには不確実性が存在しているように思います。ですので、プーチン大統領がその不確実性をめがけて実存的な賭けに出ることはあり得ると思うのです。ここで言う賭けは、米国のヘッジファンドが計算するようなリスク計算ではじき出される性質のものとは位相が異なるものです。 
 
  今、NATO諸国はウクライナに兵器を次々と巨額の支援とともに与えていますが、ウクライナ軍自身は核兵器を持つロシアと非対称の戦いをしています。NATOがウクライナに殺傷力の高い兵器を送れば送るほど、ロシアが核兵器を使用する可能性は高まります。プーチン大統領自身が明言しています。つまり、NATOも危険な賭けに出ています。でも、ウクライナに核兵器が落とされても、NATO自体が死滅するのではないのです。報復するかどうかは、その次の決定でありNATO諸国にはウクライナと違って判断の猶予があるのです。 
 
  こう考えると、核抑止理論がいずれは崩壊するのではなかろうかと私は考えています。もしウクライナでは維持できたとしても、どこか別の地域で起こるかもしれません。つまり核抑止論自体が核兵器使用に利用される日が来て、核兵器がもはや通常兵器の拡大版になり、「限定使用」という名目のもとで日常兵器に転じてしまうのではないかという不安です。核使用は「全面核戦争」と「限定使用」とで2通りに分けられ、限定使用なら容認、という方向に移行することを恐れていますし、そうなると抑止論はもはや核使用のための理論とも言えるものです。 
 
  ウクライナにロシアが侵攻してから、「文藝春秋」5月特別号にフランスの知識人エマニュエル・トッド氏が「日本核武装のすすめ」を寄稿していましたが、こうした古典的な核抑止理論は本当に通用するのか、私は疑問に思っています。世界の指導者の思考が、もはや20世紀とは異なっていることも考慮する必要があります。トッド氏が説くように、冷戦終結に伴い日本でも核兵器の保有について考えてみる必要があるかもしれませんが、しかし、核抑止理論に安易に依存するのは危険だと考えています。古典的な核抑止論に立脚して核保有してみたらもはや時代が変わっていて、核兵器は使用する時代に移行していたがゆえに日本が核使用国になるという可能性も否定できないと思います。 


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