2022年08月18日19時20分掲載  無料記事
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政治

2015年の有事法制は、1933年の全権委任法とほぼ同じだったのでは? 〜7月8日から10日までもしや憲法は<緊急停止>していたのでは?〜

  私は安倍首相暗殺の翌朝7月9日の朝刊の見出しが主要紙すべて同じだったのを見た時、頭にあることが浮かびました。それは、安倍首相時代の2015年に制定された有事法制(※)は、1933年にナチスが制定した全権委任法の簡易版だったのではないか、というものでした。つまり、ナチスは憲法より下位に位置するはずの法律の制定(しかも時限法)によって、当時もっとも民主的だったワイマール憲法を永久に葬り去った、というものです。 
 
  いったい「有事」を誰が何をもって判定するのか。安倍政権以後、いかにも軽くなった「閣議決定」だとしたら、どんなことでも「有事」になってしまうのではないか? 
 
  そしてさらに、「有事」と閣議決定されたら、メディアは政府に協力を強いられる、ということになり、すでに表現の自由を保障した日本国憲法は実質停止してしまうのではないか。そして最高裁判事が皆与党側の思考回路の人であれば、国民には法的システムでひっくりかえす手立てもなくなってしまいます。これはもうすでに危険な水域に入っているのではなかろうか。 
 
 TVで自由な取材ができているように見えるけれど、それは本質を隠すための一時の迷彩で、時期が来たら蛇口を一気に止められるのではないのだろうか・・・。メディアはコンテンツが大切なのは言うまでもありませんが、そのコンテンツを作り出していけるプラットフォームの基盤がまったく堅固ではないことが問題です。それは日本史を脈々と貫いてきた、権力の側の民衆操作の緩急の技術に属するものではないのだろうか。「泳がせとけ」というやつです。大切なのは問題が起きていればいつでも報道できることにあります。今、統一教会がらみのスクープがどっと集中豪雨的に出ている現象は過去に〜少なくともこの10年近くは〜マスメディアではほとんどできなかったからに他なりません。ムラがあってはいけないのです。いつでも問題が浮上すれば報道できる安定した基盤が最も大切です。そのプラットフォームを支えるものこそ、日本国憲法に他なりません。そこが有事法制ですでに骨抜きになっているのではないか。 
 
  7月8日の暗殺事件当日であれば、「特定の教団」としかメディアで告げないことで、外国の勢力かもしれないために日本の存立危機事態のカテゴリーに入った(というか、特定の名前をぼかして、まだ確認中ということにして、背後に外国勢力が関係したテロである可能性も前面に立てて無理やり「存立危機」に押し込んだ)可能性はないのでしょうか。そう考えればNHKの7月9日の拙速のNHKスペシャルは、すでに台湾有事の予行演習の域だったように私には思えるのです。 
 
  これが杞憂であればよいのです。 
 
 
 
※武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=415AC0000000079 
「(指定公共機関の責務) 
第六条 指定公共機関は、国及び地方公共団体その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態等への対処に関し、その業務について、必要な措置を実施する責務を有する。」 
 
 
 
■8月30日 国会前・安保関連法案反対集会 人々の声1 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508302035170 
■8月30日 国会前・安保関連法案反対集会 人々の声2 ハンガーストライキ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508302121030 


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