2022年09月20日14時52分掲載  無料記事
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コラム

フランス語のすすめ

  私がこのようなテーマで書くのはおこがましいのは知っていますが、あえてここでは「フランス語のすすめ」という短文を書いてみたいと思います。前にも書いたことですが、戦後の無頼派と呼ばれた作家の坂口安吾は外国語の勉強は精神の健康に良い、とエッセイで書いていました。頭を使わないからいいのだ、と。そう書くと語学の先生から怒られそうですが、安吾がそう書いた意味は「哲学のような頭の使い方をしない」という意味でした。哲学の場合はしばしば難解ですし、解答が必ずしも得られるとは限りません。そういうことに頭を長時間使っていると、疲労してしまうのでしょう。安吾はインド哲学を研究していたらしいです。一方、語学は基本的には学べば学んだだけできるようになりますし、誰でもできる学びであり、さらに場合によっては収入への道にもつながります。 
 
  で、この場合、フランス語を特におすすめする理由は、日本人の発想が冷戦終結後のアメリカンスタンダードの吸収で、米国人と似てきたことがあげられます。あるいは米国の支配者層・経営者層の発想と言った方が正確かもしれません。なぜそうなるかと言えば、日本のTVやメジャーな新聞では米国の支配層・経営者層を代表する人々の声が基軸になって伝えられてきたからです。そうした勢力を代弁するコメンテーターがTVで起用されてきたのです。TVに資金提供している人が誰かを考えれば驚くことではなく、むしろ当然の力学なのです。とくに1990年代以後の脱日本化、グローバルスタンダード化の過程で、とりわけ米国流の経営に移行を促す言説が大量にTVの言論空間に溢れました。これは米国が毎年日本に突き付けた年次改革要望書(※)と通底しており、そうした日本の米国化の流れを作った政治家の中に、マンスフィールド研修(※)の仕掛け人であった自民党の林芳正衆院議員(外務大臣)がいると私は見ています。冷戦終結で世界は多極化しているのですが、日本を見る限り、世界のトレンドと逆行して、冷戦時代よりもはるかに米国一極支配が強まっています。 
 
  これ一つとっても日本国内に流通する情報は世界からずれています。90年代以後の価値観の一極支配が、今の日本人の閉塞感、生きづらさとつながっていると私は見ています。その現実と感性の不具合から来る苦しさをいったい誰に矛先を向けるかで、左翼と右翼に分かれているのではないでしょうか。いずれにしても、この米一極支配こそが、日本における閉塞感の底流にあると思います。そういう意味では現代人にとってグローバル言語の英語は確かに必要でしょうが、もう1つ、英語とは価値観を異にする外国語を学ぶと、今、日本にいて閉塞感を感じている人にとっては甚だしく精神の健康に良いことは間違いないと思います。特に悲劇なことは日本の貧乏人たちがTVコメンテーターたちに洗脳され、1990年代に米国経済界の勝ち組の経営理念を吹き込まれ、自分自身を自己の対極に位置する経営者の目で評価して自分自身をダメ判定しがちなことでしょう。生活保護受給者に対する過酷なバッシングもこれと通底しています。精神の健康を取り戻すには、自分を過酷に裁いてしまうこの呪縛から逃げることが最も必要なことです。 
 
  朝鮮語でも、ロシア語でも、中国語でも、アラビア語でもよいのでしょうが、フランス語はスペイン語やイタリア語などにも言語的に近いので、一石三鳥です。フランスには米国と異なる考え方が詰まっていますし、その地理的な位置のおかげで過去の様々な文化を吸収してきた文化的な蓄積も大きいです。そして、非英語圏のフランス語とフランス文化を一度経由することで、文化の一極支配から脱げだすことが可能になり、改めて日本文化の良さに、さらには非英語圏の文化の味わいにもう一度気がついていくことにもつながるのだと思います。日本がすでにあまりにもグローバルスタンダード化されたために、日本語だけで暮らしていたのでは、どのくらい一極支配されたかを認識することは不可能だと私は思います。そして、英語だけ学んでいたのでも認識できないはずです。それがフランス語のすすめです。 
 
 
※年次改革要望書 
「年次改革要望書は日本政府とアメリカ政府が両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書で2001年から毎年日米両政府間で交換され2009年(平成21年)に自民党から民主党へと政権交代した後、鳩山由紀夫内閣時代に廃止された」(ウィキペディア) 
 
 
※マンスフィールド研修(拙稿から 2010年) 
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 「アメリカ大使館のホームページによれば、マイク・マンスフィールドフェローシップ・プログラム(以下、マンスフィールド研修)が始まったのは1994年だ。元駐日米国大使マイク・マンスフィールドの名前にちなんだこの研修は日米政府間交流プログラムとされている。つまり、アメリカ合衆国連邦職員の中から選抜された「フェロー」が日本の各省庁に派遣され、1年間「日本と日本政府について理解を深め」ることが目的とされている。だが、その裏にあった真の目的は何か?彼らが派遣される日本の省庁は「国防と安全保障、医療、エネルギーと環境、貿易と経済、電気通信、運輸、教育、銀行など」多岐の分野にわたる。中には警察庁も含まれる。2007年の時点で、すでに80人のフェローがアメリカから来日して、研修を受けたと書かれている。「これまでに参加した80人のフェローの出身機関の数は、22に及んで」いる。」 
 
   安倍首相のもと、2014年に内閣人事局が創設されたがこのアイデアはいったいどこから来たのだろうか?この問いを考える時、私は日本のバブル崩壊によって1990年代に日本に対して逆転して「勝者」となった米政財界が日本の官僚機構を敵視していた歴史を思い浮かべてしまう。 


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