2022年11月15日11時49分掲載  無料記事
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アジア

「異国に生きる ミャンマーのこどもたち」<2>タデンジュ祭を日本風たこ焼きで祝う 押手敬夫

 古来より日本には春夏秋冬の四季があり、それぞれの季節に風情が感じられたが、最近は地球温暖化の影響で、春と秋が極端に短く季節感が失われつつあることを感じる。 
 ミャンマーでは1年の季節を四季ならず三季で呼ばれている。すなわち12月から2月の乾季、3月から5月の暑季、そして6月から11月まで半年間続く長い雨季の三季である。 
 
 中でも最も暑い暑季は文字通り日中の気温は軽く40℃を超える日も珍しくなく、外に出るとめまいを感じるほどだ。その最中の4月17日がミャンマー(旧ビルマ)暦の元日である。元日前には5日間の水かけ祭り、元日からは5日間の正月休みで都合10日間の連休に入る。実はミャンマーは年間33日の祝日があり隠れた世界一の祝日大国である。7月下旬のイスラム教や11月上旬のヒンズー教の祝日は、毎年日にちが定まらず直前に決まるため更に祝日数は増えていく。 
 
 その中でも満月の日は祝日になることが多い。7月中旬の満月の日はウーゾォ祭(雨安居入り)という名の祝日で、雨季の備えとして人々は僧侶に僧衣を寄進する。雨安居(うあんご)とは雨季に僧侶たちが外に出られず、僧院でひたすら修行に明け暮れる期間のことを指しこの90日間は僧侶を思い憚り、結婚式を始めお目出度いイベントはもとより飲酒さえも禁止である。そして10月初めの満月の日はタデンジュ祭(雨安居明け)と呼ばれる祝日で寺院や仏塔の境内や参道には無数のロウソクが灯される幻想的な日で、この日を境に数々の行事が解禁になり、ミャンマー人にとっては心待ちにした楽しみな日でもある。 
 
 10月8日の土曜日、高田馬場のミャンマー料理店「ルビー」には、タデンジュの祭りを楽しみに集う多くのミャンマー人家族がいた。店の玄関先を沢山のロウソクとネオンサインで飾り、日頃着る機会の少ない民族衣装のロンジーで着飾った多くのこどもたちは、至って日本風のたこ焼きを作り日本で迎えるタデンジュ祭を祝った。 
 こうして日本で暮らすミャンマー人のこどもたちは、ここで祖国の祭りを知り、その多くがまだ見たことのない祖国を思い偲ぶのである。 
 
▽「シュエガンゴの会」の授業はミャンマー語のみ 
 「シュエガンゴの会」で学ぶこどもたちには大きな年齢差がある。下は4才から上は10才の異なる年齢差があるこどもたちを一同に学ばせることは難しいが、見ていて感心することがあった。年長者は誰に教えられなくても自然に幼い子の面倒を見ることだ。道を歩けば年長者は年少者の手を繋ぎ、必ず自分は車道側に身を置き幼いこどもを守ろうとする。これはほんの一例に過ぎず、どんな場面でも年少者には年上の者がつきっきりで手取り足取り物事を教えている姿は、まるで昭和の時代の日本のこどもを見ているようだ。 
 
 「シュエガンゴ」での授業は終始一貫ミャンマー語以外使わない。こどもたちは毎日学校や保育園で日本語だけの生活を過ごしており、本当は誰もが日本語の方が楽なのだが、それでも先生は一言も日本語を使わない。すべてをミャンマー語で教え、どんな場面でも日本語は使わない。実はそれがミャンマー語を覚える近道であり、4才の幼いこどもも一切日本語を使うことなく、すべての問いに対し懸命に自ら考えミャンマー語で返答する。 
 こうして覚えたミャンマー語はいつしか自然に彼らの身につき、伝統文化と同様にきっといつまでも忘れないことであろう。 


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