2022年12月13日10時58分掲載  無料記事
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コラム

商品の品質に厳しい日本人はなぜここまで政府の品質に緩いのか? その2

  先ほど、「商品の品質に厳しい日本人はなぜここまで政府の品質に緩いのか?」という問いかけをして、自分なりの考えを書きましたが、ここでもう1つ、付け加えておきたい点があります。それは「商品の品質に厳しい日本人はなぜここまで政府の品質に緩いのか?」という問いかけそのものの中に、ヒントがあるのです。すなわち、商品の品質に厳しいがゆえに、政府の品質に緩いという仮説です。いったいどういう意味か、と言えば、今日、限られたリソースの中で商品・サービスの質に完璧を期すためには、労働者の長時間の拘束が求められています。そうなると、家に帰れば、もう頭を使う作業をするゆとりがほとんどなくなってしまうのです。政治や経済、社会について考えたり、対話したり、集会に参加したりという余裕もなくなってしまいます。疲れているから現実を分析するドキュメンタリーや報道番組を見るゆとりもなくなってしまいます。 
 
  そういうわけで商品・サービスの質の異常な高さこそが、日本の政治の質をコントロールする弱さに直結しているのです。古代ギリシアでは市民の政治集会こそが公共空間における本来の「参加」であり、労働は奴隷が従事していました。これは極端な例ですし、奴隷制を容認することはできませんが、労働と公共空間における参加の間には拮抗関係があったことは古来から明白です。家庭や地域社会、政治に市民が参加し、政治の質にモノを言える環境を作ることが、政府の品質向上には必要なのですが、であるがゆえに「向上」を拒む既得権の勢力は人々を労働に縛り付けておく必要が生まれます。 


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