2023年01月08日10時39分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(1)「2023年、われわれの勝利をここミャンマーで祝おう!」 西方浩実 

 ミャンマーの軍事クーデターからまもなく2年。民主主義の回復をめざして非暴力の「不服従運動」に立ち上がった広範な市民の闘いは、軍の残忍な弾圧によって封じ込められたかに見える。だが人びとは希望を失っていない。多くの若者が「夜明け」を信じて、今も国軍との武装闘争に身を投じている。2022年の大晦日の夜、日本で紅白歌合戦を見てい私に、ミャンマーの友人からメッセージが届いた。「2023年、われわれの勝利をここミャンマーで、ともに祝おう!」。クーデター後の日々が、一瞬にして蘇る。当時、国際協力団体の職員としてヤンゴンに駐在していた私は、軍事独裁の理不尽さに打ちひしがれながらも、決して諦めることを知らないミャンマーの人々の前向きさに、いつも励まされていたのだ。 
 
2021年2月1日、ミャンマー軍事クーデター。 
3ヶ月前の総選挙で選ばれたアウンサンスーチー氏の率いる民主的な政府が突然ひっくり返され、国軍がすべての国家権力を握った。ミャンマーに仕事で駐在していた私が最初に心配したことは、怒った市民が暴動を起こすのではないか、ということだった。しかし、それは完全なる杞憂だった。 
 
「僕たちは絶対に暴力を使わない」。 
ミャンマー人の友達から初めてそう聞いたのは、軍事クーデターの翌日。「軍なんてぶっ殺してやりたい。でも少しでも暴力的に抵抗すれば、軍は治安維持を口実に、市民を徹底的に武力弾圧するだろう。今まで僕たちは、そうやって何度も弾圧され、殺され、負けてきたんだ」。非暴力闘争、それはつい数年前まで、半世紀以上にわたる軍事独裁政権下を生き抜いてきた人々の、誇り高き戦略だった。 
 
彼の言葉通り、ミャンマーの人々は当初、すさまじい意志で非暴力を貫いた。民主化を訴えるデモ隊に軍が容赦なく放水し、銃口を向けても、彼らは街中を逃げ回りながら、叫び、歌い、平和的に抗議の声を上げ続けたのだ。同時に、国中の公務員たちは一斉にストライキを起こした。選挙で選ばれた政権のもとでしか働かない、という意志のもと、公共サービスを機能停止に陥らせることで軍への不服従を示したのだ。不当な権力に対し、人々が一丸となって非暴力・不服従を貫く光景は、感動的ですらあった。 
 
しかし軍は、そんな丸腰の市民を凄惨に虐殺し始める。人々は軍の蛮行を命がけで撮影し、SNS(ネット交流サービス)を通じて海外に発信した。ミャンマーを助けて!という、祈りにも似た必死の叫び。しかし、助けは来なかった。積み上がる死者数。武装しなければ、むざむざと殺されるだけだった。絶望した人々は、速やかに武力での反撃に舵を切った。学校や仕事を辞めた若者たちは、自発的に民主派の武装グループを結成し、軍事訓練を受け、今も軍とのゲリラ戦を続けている。 
 
クーデターから1年が経過し、ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月以降には、現地でこんな声をたくさん聞いた。「国際社会はウクライナのことは支援するけれど、ミャンマーを助けてはくれない。自分たちで何とかするしかないんだ」。 
 
私はクーデター直後から、抵抗を続けるミャンマーの人々の姿をFacebookに投稿し続けてきた。軍が毎日、深夜1時にインターネットを遮断するようになると、とにかく1時に間に合うように書き上げて投稿した。目をつぶりたくなるような現実を、時に泣き出したくなるのをこらえて書き続けたのは、ミャンマーで何が起きているのか、一人でも多くの人に知ってもらいたかったからだ。自由な民主主義国で生まれ育った日本人の目に映る軍事クーデターとは、どのようなものだったのか。そして、ミャンマーの人々が、どれほど切実な願いを胸に闘い続けているのか。 
 
混乱の中で日々書き続けたFacebookの投稿は、次第にミャンマーに心を寄せる人々の手によって拡散されるようになり、毎回何千人もの人に読まれるようになった。また、日本の友人と作成したミャンマー解説のイラストは、TwitterやFacebookで何万人にも拡散され、メディアに掲載されたり、学校の授業で使われたりした。 
 
そうした私の個人的な活動が軍から目をつけられることを懸念した私の勤務先は、私に一切の発信を禁じた。軍に目をつけられたら、職員や組織が嫌がらせを受けたり、ミャンマーでの活動を続けられなくなったりするリスクがあるからだ。軍のやり方を考えれば、その懸念はもっともだった。私はFacebook上に匿名のページを開設し、書き続けた。言葉は、この理不尽な状況における私の唯一の武器であり、書き続けることは、無力な私のひそやかな抵抗運動だったのだ。 
 
以下の報告は、私がFacebookに投稿し続けたクーデター後の日々を、加筆修正してまとめたものだ。実際の光景や感情をできる限りリアルに追体験してもらえるよう、人権や自由を奪われるという自身の体験や、現地で生きる友人たちの生の声をそのまま残した。ニュースで語られる「軍事クーデター」や「民主化運動」といった硬質な言葉の奥で、ミャンマーの人々がどれほど切実に闘い続けているか、その思いが少しでも伝わり、私たち一人ひとりがミャンマーの現実とどう向き合っていくかを考えるきっかけになれば嬉しい。 


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