2023年01月09日09時48分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(2)「スーチーさんが捕まった」の衝撃 西方浩実

 2月1日、月曜日、午前6時50分。ミャンマーの最大都市、ヤンゴン。珍しくアラームより早く目が覚めた。今何時だろう、と薄暗い室内で寝転んだままスマホを手に取ると、近所に住む友人から、不在着信とメッセージが届いていた。「スーチーさんが捕まった」。 
えっ!と思わず声が出た。ガバッと起き上がり、絶句したままメッセージを読み返す。 
 
急いで友人に電話をかけ直したが、すでに電話は通じなくなっている。微弱につながっていたインターネットで検索すると、すでに日本語のニュースサイトに「ミャンマーで軍事クーデター発生」との速報が流れていた。そのインターネットも、しばらくすると完全に遮断された。いったい何がどうなっているのか、まるでわからない。 
 
現実を受け入れられないまま呟く。「まさか、本当に起きるなんて・・・」 
 
実は、ミャンマー国軍がクーデターを起こすかもしれない、という噂はあった。2020年11月の総選挙で大敗を喫した軍(注1)が、1月下旬に、クーデターの可能性を示唆するような発言(注2)をしていたからだ。数日前には知り合いの日本人からも、国連で働く職員からの非公式情報として「48時間以内にクーデターが起こる可能性がある」という注意喚起のメールが回ってきていた。 
 
だが、それでも「まさか」と思ったのは、その時点で日本大使館や国連機関の事務所などに確認したところ、誰もが口を揃えて杞憂だと言い切ったからだった。日本大使館の職員からは「そういう噂があることは承知しているが、根拠はない」と説明を受けたし、ある国連機関の事務所長(ミャンマー人)は電話口で「ただの噂だよ。ミャンマーではよくあることだ」と断言した。双方とも、むしろ不確かな情報に振り回されてパニックに陥らないように、と心配してくれた。臨時の治安情報を配信する日本大使館からのメーリングリストも配信されなかったし、ヤンゴンの街も人々もいつもと変わらず平穏そのもので、私は「やっぱりただの噂なんだ」と思い、そしてそう思ったことすら忘れた。 
 
しかし、その平穏は偽りだったのだ。2021年2月1日、本来なら11月の総選挙後はじめて議会が開かれるはずだった日。ミャンマー国軍は、アウンサンスーチー国家顧問(注3)やウィンミン大統領はじめ、与党である国民民主連盟(National League for Democracy:NLD)の重要人物など約40人を一気に拘束し、「国家非常事態」(注4)を宣言した。この宣言により、すべての国家権力が国軍総司令官ミンアウンフラインの手中に落ちた。かくして、半世紀もの軍事独裁体制からようやく2015年に民主主義政権を樹立したばかりのミャンマーは、一夜にして再び軍の支配下に戻ってしまったのだ。 
 
その日の夜、どこかのメディアが作成したという拘束者リストの画像が友人からまわってきた。そこには、首都ネピトーにいる政治家だけでなく、地方の州知事、著名な作家や映画監督、民主活動家たちの名前もあった。さらにその日のうちに、省庁の大臣もぞろりと軍側の人間に交代した。ここまで手広く、一気に、そして静かにすべてが成し遂げられたことには、ぞっとするような不気味さがあった。選挙に大敗した軍が破れかぶれになったわけではなく、周到に計画されたものだという感じがした。 
 
ただ、問題は「いったい何のために」ということだ。軍が政権を奪ったということは、今後ミャンマーを統べていくシナリオがあるということなのだろう。しかしそのシナリオがまったく読めない。2012年の民政移管以降、ミャンマーは民主化の恩恵を受けて順調に発展し、欧米からの経済制裁も解かれ、人々の生活は豊かになった。明るい希望に向かって伸びゆく国を今さら軍事政権に戻すことに、国民は全力で抵抗するに違いない。同時に国際社会からは厳しく批判され、再び制裁を受けるだろう。それを承知で、ただ権力欲のままにクーデターを起こすなどということがあるだろうか。何か勝算があるのではないか。あるとしたら、それは何なのか・・・。 
 
▽心優しい人びとの国でなぜ? 
私がミャンマーに渡航したのは2018年。とある国際協力団体の現地駐在員として、最大都市ヤンゴンに赴任した。以前にも途上国で働いた経験はあったが、ミャンマーに赴任が決まった時は、格別に嬉しかった。というのは、かつて私は一度ミャンマーを旅したことがあり、その思い出が最高に温かかったからだ。 
 
軍事独裁国家で不自由な生活を強いられているはずの人々が、驚くほどにこやかで優しかったこと。派手にお腹を壊した私に、ゲストハウスのスタッフが心配そうな顔で、薬やご飯を届けてくれたこと。仲良くなった村の少年たちが、ギターを奏でて歌ってくれた、長渕剛の『乾杯』(ミャンマー語バージョン)。金色の仏像の前に跪き、額を床につけて祈る人々の姿。停電した町にポツポツと灯る、オレンジ色のろうそく。優しくて温かい熱帯の国、ミャンマー。いつかこんな国で暮らせたら、とボンヤリ憧れていた。 
 
2018年、12年ぶりヤンゴンを訪れると、表面的に見える景色はすっかり様変わりしていた。2011年に民政移管してからというもの、街にはタイやベトナム資本の大型ショッピングセンターが建ち、朝夕のすさまじい交通渋滞の車内では、人々がスマホをいじるようになっていた。以前の土埃と人いきれを思い出してどこか寂しく感じたが、独裁政権が終わって外資が流入し、経済的に豊かになったことは、彼らにとって喜ばしいことに違いなかった。 
 
嬉しかったのは、ミャンマー人の優しさと穏やかさが健在だったことだ。タクシーや地元の市場では、外国人だからといってぼったくられることもなく、むしろ皆うれしそうに微笑みかけてくる。さらに明るい変化として、人々は自由を謳歌するようになっていた。若者たちは海外旅行や国外留学ができるようになり、路上の本屋には、軍政下で禁じられていたアウンサンスーチー氏の著書が並んでいた。軍事政権時代の教育カリキュラムも見直され、教科書を暗唱させる教育から、考える力をつける内容へと変化しつつあった。 
 
今後もミャンマーはこうして豊かになっていくのだろう。漠然とそう思っていた私にとって、軍事クーデターの一報は大きな衝撃だった。順調に発展してきた民主主義国家が、今日から再び軍事独裁国家になる。それが一体何を引き起こすのか、民主主義の国で生まれ育った私には、とても想像できなかった。 
 
最初に考えたのは、怒った市民が暴動を起こすのではないか、という懸念だった。そうなれば、私のような援助団体も、活動を中断せざるを得なくなる。それは、支援を必要としている人たちを見捨てることにつながる。さらに国としての信用が落ちれば、外国からの経済制裁が再開され、外資系企業も去り、ミャンマーは貧困状態に陥るだろう。そのしわ寄せが最初にいくのは、予備力のない貧困層の人々だ。しかし彼らに手を差し伸べるべき援助機関は、その頃にはもう国内にいないかもしれない…。 
 
軍事クーデターは、今後この国の発展にまちがいなく負の影響を及ぼすだろう。一体、なんてことをしてくれたんだ…。混乱と戸惑いの中で、私はただただ腹を立て、ぶつけようのないやるせなさで悶々としていた。 
 
<注> 
1 改選議席のうち、約83%にあたる396議席をアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(National League of Democracy)が獲得。一方、国軍出身者が率いる最大野党、連邦団結発展党(Union Solidarity and Development Party)の獲得議席数は33議席にとどまった。 
2 軍は11月の総選挙に不正があったとして、選挙の調査・やり直しを訴えていた。2021年1月26日の記者会見で、記者から「軍はクーデターを起こさないと言えるか」と質問された軍報道官は「起こすとも起こさないとも言わない」と発言していた。なお、この総選挙には日本政府からも選挙監視団が派遣されており、団長の笹川陽平氏は選挙後、「選挙は非常に公正に行われ、国軍も結果を受け入れている」と発言している。 
3 ミャンマー独立の父、アウンサン将軍の娘であり、非暴力民主化運動の指導者。与党、国民民主連盟(NLD)の党首。1988年の民主化運動の際に活躍したが、その後軍により約20年にわたって断続的に自宅軟禁下に置かれた。多くの国民が「アメー・スー」(スーお母さん)と慕い絶大な信頼を寄せる、ミャンマーのカリスマ的リーダー。 
4 軍は「11月の総選挙で、有権者名簿に不正があったが、NLD政権は調査にもやり直しにも応じなかった」と政権を批判。総選挙の不正は民主主義の危機であるとして「国家非常事態宣言」を発令した。これにより司法・立法・行政の全権限が国軍総司令官に委譲された。この宣言はかつて軍政下で制定された、軍の強い政治的権限を認める現行憲法(通称2008年憲法)で規定されており、別名「クーデター条項」と呼ばれていた。なお、この時ウィンミン大統領はすでに軍によって拘束されていたため、軍出身のミンスエ副大統領が代理で国家非常事態を宣言した。 


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