2023年01月13日10時27分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(4)「軍は権力と利益がほしいだけ」 西方浩実

2月2日、夜8時。憑かれたようにインターネットでクーデター関連のニュースを追いかけていた私の耳に、突然ガンガンガン…という大きな音が響いてきた。トタン屋根に石でもバラまかれているかのような騒音だ。 
 
▽「悪霊を追い払え!」鍋叩きの大音響 
いったい何が起きたのか、と驚いて窓際にかけより周囲を見回すと、近隣アパートの住民らがベランダなどで一斉に何かをガチャガチャと叩いているのが見えた。軍への抗議だ、とすぐにわかった。軍が発令した、夜8時からの夜間外出禁止令。その開始時間に合わせて、みんな家の中で金属のものを叩き、抵抗の意志を示しているのだ。 
 
道路を見下ろすと、誰もいなくなった暗い路地を、アルミ皿を打ち鳴らしながら、ひとりの女性が足早に歩いてゆく。外出禁止令を破り、ピンと背筋を伸ばし、胸を張って。危険を承知で周囲の住民たちを鼓舞して回る、名もなき抵抗者の誇り高い姿に、胸を打たれた。私もたまらず台所にあったフライパンとしゃもじを掴み、一緒に打ち鳴らす。負けるな。負けるな。 
 
あとからわかったことだが、ミャンマーでは伝統的に、金属を打ち鳴らして村や家から悪霊を追い払うという風習があるという。つまりこの大音響は、悪霊に見立てた軍に対する「出て行け!」という叫びだったのだ。 
 
メッセージボードも、シュプレヒコールもない。だが、ヤンゴン中の家という家から空に立ち上る金属音は、どれほど多くの人々が反軍政の炎を心の中に宿しているかを明確に示していた。「どんなにはらわたが煮え繰り返っても、実際の行動で示すことはできない」。同僚の言葉が胸によみがえり、悔しさとやるせなさで胸がいっぱいになる。 
 
この鍋叩きへの呼びかけも、やはりFacebookを通して行われていた。インターネットで闘う、といったスタッフの言葉の意味を、私は少しずつわかり始めていた。 
 
▽嵐の前の静けさ 
2月5日、朝起きると、友人から「Facebookへのアクセスが遮断された」というメッセージ。一気に目がさめる。確かにインターネットにはつながるが、Facebookは開けなくなっている。ミャンマーの人々の大切なものが、また一方的に奪われた。軍にとって都合が悪いものは、軍の思惑1つで排除され、人々は自由や権利をむしりとられていく。でも、それに立ち向かうすべがない。それがこんなにも悔しいことだったなんて・・・。 
 
ミャンマー人たちはFacebookがダメならば、と、どんどんTwitterアカウントを開設し始める。すると案の定、さきほどTwitterも使えなくなった。どこまでやる気だ、このやろう・・・。このままだとLINEやGoogleなど、他のコミュニケーションツールが使えなくなるのも時間の問題かもしれない、と焦る。 
 
それでもVPN(注1)というサービスを使えばSNSにアクセスできるらしい、という情報がどこからともなくもたらされ、私も急いでVPNをダウンロードする。安くて使いやすいVPNアプリの情報が飛び交う。軍からは「VPNも使えなくする」という内容のアナウンスが出たらしいけど、知るか。できるものならやってみろ!という気分だ。(ちなみに数日後、いくつかの大手VPNのダウンロードサイトにはアクセスできなくなっていた。) 
 
ヤンゴンの自宅周辺は、相変わらずのんびり平穏だ。市場で果物を買うと、店の女の子は「コレ、とっても甘いんだよ」と微笑んで、みかんを1つオマケにくれる。アパートの陽気なセキュリティは「お、ジャパニーズ、お出かけかい?」といつもの調子で話しかけてくる。同じ街でCDMや鍋叩きが起きていることが嘘みたい。 
 
地元の人々と笑顔で言葉をかわしながら、この人たちはなぜ笑えるんだろう、と思う。突然軍に支配されて、悔しくないのかな・・・。そしてそう思った直後、「あ、もしかしてこの人、軍側の支持者?」と思いつき、そういう二項対立の思考に陥っている自分に気づいてゾッとする。争いは、分断を招く。そのことを思い知らされる。 
 
それでも、少しずつ市民の中に動きが出ているという情報も入ってきた。例えば、クーデターから2日後、ヤンゴンのレーダン地区に住む知人から「市場で国歌の歌詞を書いた紙を配っている人がいた」と連絡がきた。夜、鍋を叩くときにみんなで歌おうという呼びかけらしい。その人は「俺は捕まるかもしれないけど、みんなで歌ってくれ」と話していたという。 
 
またクーデターから3日後、2月4日にはマンダレー(ミャンマー第2の都市)で、クーデター後初めての抗議活動。メガホンや横断幕を持って立ち上がった青年たちのうち数人は、ものの数十分で軍に連行された。ヤンゴンの小さな街角でも、一部の若者が抗議のプラカードを掲げて声を上げる様子がFacebookで伝えられた。 
 
一方、私の自宅周辺はクーデター後もほとんど変わらず穏やかだった。だが、ひとつだけ変化があった。それは、家々の窓やベランダから、真っ赤なNLD(国民民主連盟)の党旗がそっと消えたこと。昨年11月の総選挙でNLDを支持していた大勢の人々が、自宅に掲げたままにしていたものだが、軍に政権を奪われた今、こうした意思表示は軍の標的にされかねない。 
 
脳裏に蘇るのは、つい3ヶ月ほど前、選挙でNLDが改選議席の9割を獲得して圧勝し、大喜びしていた友人たちの姿。近年のミャンマーの発展について語るときに、いつも「Because of Daw Aung San Suu Kyi(スーチーさんのおかげ)」と胸を張る同僚の、誇らしげな顔が脳裏に浮かぶ。彼女たちも、NLDの旗を下ろしただろうか。旗を下ろす時、いったいどれほど悲しく、悔しかったことだろう。胸がキューッと切なくなった。 
 
その同僚からは今日、こんなメールが届いた。 
 
We all can't eat and sleep well during these days. 
I can not concentrate on work and everything. 
(私たちは皆、ここ数日、ご飯も食べられないし、眠れない。 
仕事にも、他の何にも集中できない。) 
 
But we must try to find a way to escape this injustice. 
So, we all are using “civil disobedience” to be against the military coup. 
We will never reduce our hope to reach back to normal. 
(でも、この不当な状況から逃れる方法を見つけなきゃいけない。 
 だから今、私たちは「不服従」で軍と闘っている。 
 私たちは、あるべき状態に戻るまで、少しも希望を捨てない。) 
 
軍はいったいなぜクーデターを起こしたのか。1週間が経っても、私は納得のいく答えを見つけられずにいた。ミャンマー人の友人たちは、口々に「軍は、いつも自分たちがいちばん偉大な存在でありたいんだ」「自分の利益を守ることしか考えない自分勝手なやつらだよ」と吐き捨てる。しかし、権力や利益がほしいだけで、圧倒的支持を誇るアウンサンスーチー氏を拘束して、国民を敵に回すなんてこと、ありえるだろうか・・・。 
 
何か他に意図があるのでは、と勘ぐる私に、ミャンマー人の友人は呆れたような、同情するような顔を向けた。「それ以上の意図なんてないよ。軍がどれほど傲慢で自分勝手か、君は知らないんだ」。そして最後に、先の同僚と同じことを言った。「だけど今度は、思い通りにはさせない。僕らは絶対に諦めないよ」。 
 
<注> 
1 Virtual Private Networkの略。各ユーザーの仮想ネットワークを構築し、通信内容を暗号化してデータをやりとりする・・・と、言葉にすると難しい仕組みだが、とにかくミャンマー国内からのFacebookへのアクセスを、他国からのアクセスに見せかけて、ミャンマー国内での接続禁止をすり抜けることができる。 


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