2023年01月15日10時16分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(5)あちこちに3本指、クラクションの大洪水 西方浩実

2月6日、クーデターが起きてから最初の週末。間違いなく何かが起きる、と誰もが予感していた。同僚は当初「デモはできない」と言っていたが、人々の怒りと絶望の大きさを考えれば、夜に鍋を叩くだけで終わるはずはなかった。抗議運動が始まるのだろうか、暴動になって武力弾圧されてしまわないだろうか・・・。 
 
土曜日、午前10時頃。朝からソワソワと緊張していた私に、あちこちのコミュニティから情報が入り始めた。「郊外でデモが始まった」「ヤンゴン北部に集まった人々が、集団で南下している」「警察が護送車を走らせている」・・・。いよいよ始まったか。どうか、どうか血が流れませんように・・・! 
 
祈るような気持ちで、さらなる情報を検索しようとしていたとき、突如インターネットがまったくつながらなくなった。またか!おそらく軍が、市民のあいだでデモの情報が拡散され、運動が拡大するのを阻止しようとしているのだろう。こうなると、自宅にテレビやラジオがない私は、まったく情報にアクセスできなくなる。(テレビはどうせ、軍が乗っ取った国営チャンネルしかやっていないけれど。) 
 
ご近所さんに電話をかけてインターネット状況を聞くと、彼の家のWifiプロバイダはまだ繋がっているという。さっそくお宅にお邪魔して、日本にいる家族や友人が心配しないよう、急いで連絡・・・している途中で、このWifiも切れた。ちきしょう。ヤンゴンで使える数種類のインターネットプロバイダが、次々に遮断されていく。そうしてお昼が過ぎた頃には、インターネットに接続できる人は誰1人いなくなった。(ちなみに、この日の夜には電話もつながらなくなり、連絡手段は完全に断たれた。) 
 
軍の思惑ひとつで、軍の都合のいいように、自由が奪われる。2015年まで50年あまり続いた軍事独裁政権のもとで、ミャンマー人たちはこうやって一方的に、いろんな権利を奪われてきたんだ・・・。体験して初めてわかる不条理に、唇を噛み締める。 
 
情報も着信もなくなった午後。相変わらず自宅周辺の様子は落ち着いているので、偵察がてら散歩に出かけることにした。穏やかな昼下がりの日差しと、広がる青空の下、のんびり歩く。「軍事クーデター」や「抵抗運動」などという物々しいキーワードとのどかな光景とのギャップに、いったい何が真実なのかわからなくなる。 
 
ふと道路の向こう側に目をやると、プラスチック椅子に座って井戸端会議をしている数人のおばちゃんたちが、不自然に片手をあげていた。何だろう、と思って目をこらすと、指を3本揃えて立てている。あっ!と思う。Facebookで見た、軍政への抵抗を表すジェスチャーだ。静かなプロテスト。道路のこちら側から3本指を立てて応えると、それに気づいたおばちゃんたちが、パッと嬉しそうな顔をする。 
 
大通りに近づくにつれ聞こえてきたのは、無数のクラクションの音。道ゆく車が、プーッ、プーッと、クラクションを長く響かせながら走っている。ヤンゴンを南北に貫くカバエパヤー通りは、音の大洪水。どの車の窓からも、3本指を立てた腕が突き出されている。歩行者も、バスを待つ人も、自転車に乗った人も、みな3本指を高く掲げて応じる。私も3本指を立てながら歩道を歩く。無力な自分のせめてもの意思表示。同じく3本指を立てた人たちと、微笑みをかわす。あきらめないぞ、と思う。 
 
2月最初の週末、抗議運動はそんな風に、すこんと晴れ渡った青空の下、清々しいほど平和に始まったのだった。 
 
▽全土に広がる抗議デモと赤い旗 
翌日曜の2月7日になると、市民の抗議運動はさらに勢いを増した。朝から、絶え間ないクラクションや拍手が聞こえてくる。インターネットも電話も昨日から遮断されたままだが、人々は大通りや広場に集い、声を上げ始めたようだった。 
 
昨日、まだ電話が通じる時間帯に話したミャンマー人の友人によると、今日からヤンゴン中の全ての公立病院がCDM(公務員のストライキ)に入るらしい。またかつての民主化運動のリーダーで、辛くも軍の拘束を逃れたミンコーナイン氏(注1)が、街のどこかに姿を見せるという噂もある。抗議運動は、想像した以上に一気に本格化しそうな気配だった。 
 
周囲の様子を見てみようと外に出てみると、自宅周辺の通りには、昨日より「赤」が増えていた。赤は、スーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)党の色だ。赤い旗をつけたタクシー。赤い風船をつけた屋台。赤いロンジー(伝統衣装)を着た子どもたち。赤いTシャツばかりが干してある家。 
 
大通りに出ると、クラクションはさらに増え、スーチーさんの顔写真やNLDの党旗も見える。赤いハチマキをした若者たちが、道ゆく車に大きな赤い旗を振っている。何も知らずにこの光景を見れば、楽しいお祭でもやっているのかと思うだろう。でもこの赤は、自由と民主主義への切なる祈りの色なのだ。 
 
夕方、ようやくインターネットが使えるようになった。Facebookにアップされたミャンマー各地の映像や写真を見て、私は感動で鳥肌が立つような思いがした。人々が声を上げていたのは、ヤンゴンだけではなかった。ミャンマー全土の街という街、村という村で。山岳地帯や、乾燥地域や、海岸沿いで。何十万人、何百万人もの人が立ち上がっていた。 
 
約50年もの間、耐えに耐えて、ようやくつかんだ民主主義。たった5年で終わらせてたまるか。そんな叫びが聞こえる気がする。 
 
<注> 
アウンサンスーチー氏とともに1980年代の民主化運動を率いた活動家。 1988年当時はヤンゴン大学の3年生で、全ビルマ学生連盟の議長として活躍。1989年から2012年までに3回投獄され、断続的に約20年の獄中生活を送った。 


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