2023年01月19日10時05分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(6)「軍事独裁政権」を思い知った日 西方浩実

2月8日、月曜日。週末に盛り上がったデモは、平日になって落ち着くどころか、ますます膨張した。ミャンマー人たちは、仕事を休んで街に出た。同僚たちからも、朝から「今日はとても大事な日!デモに行ってくるよ!」と気合の入ったメッセージ。窓からは、ぬるい風に乗ってクラクションの音や、陽気な音楽、人々が何かを叫ぶ声が途切れ途切れに聞こえてくる。 
 
▽ピースフルな抗議行動 
昼ごろ、大通りまで歩いてみて驚いた。すごい数の車が、ぎっしりと通りを埋め尽くしている!クラクションや音楽を鳴らしながら、赤い風船を揺らしながら、街の中心部を目指してゆっくりと南下していく。3本指を掲げる人や、赤い布を身につけている人の数も、昨日までとは比べものにならない。いつのまに作ったのか、アウンサンスーチー氏の解放を求める何種類ものポスターや、3本指をイラスト化した横断幕まである。 
 
「抗議活動」というと物々しいけれど、青空の下、明るい音楽を響かせて人々が声をあげる姿は、デモというよりなんだかパレードを見ているような、ピースフルな雰囲気があった。それは、これが続けばもしかするとスーチーさんが解放されて、民主主義国家に戻るんじゃないか、と明るい未来を思い描けるような、希望に満ちた光景だった。私も自信をもって、3本指を突き上げる。人々とともに叫ぶ。民主主義を返せ!! 
 
帰り道の途中、自宅近くの空き地で、白黒のA4プリントをフェンスに貼りつけているおじさんを見かけた。プリントには「FREE Daw Aung San Suu Kyi(アウンサンスーチーさんを解放せよ)」という文字と、スーチーさんの写真。おじさんは伸びきったボサボサの髪に、擦り切れて穴の空いたロンジーを履いている。いわゆる貧困層だ。私の視線に気がつくと、今貼ったプリントを誇らしげに指さし、「見てくれ!」と、歯が抜けた口をあけてニカッと笑った。おじさんのまくし立てるミャンマー語の中で、私に聞き取れた言葉は一つだけ。「僕はスーチーさんが好き」。あぁ、この人にとってもNLD政権は優しかったのだろう、と思う。 
 
この日もミャンマーでは、誰も暴動を起こさなかった。ただ、軍政への抗議と、民主主義、そしてアウンサンスーチー氏をはじめ拘束されたリーダーたちの解放を訴えた。 
 
私は日記にこう書き綴った。「デモが始まったおかげで、こんなにもたくさんの仲間がいることを確認しあえた。元気が出た。こんな大勢の人が、平和にプロテストしている。ものすごい人数。これで変わらないわけがない!軍への怒りや憎しみを、こんな風に前向きなMovementに変えることができるんだ。これを抑え込もうなんて、愚の骨頂だ!」 
 
Faceookにも今日の様子を投稿する。私にわずかでもできることがあるとすれば、それは目の前の光景やミャンマーの友人たちの言葉を、日本語で発信することだった。とにかく、一人でも多くの日本人に伝えたかった。ミャンマーの人々がどれほど懸命に、そしてどれほど平和的に抵抗しているかを。 
 
実際、ミャンマーの友人や同僚からはよく「日本のテレビではどう報道されている?」などと尋ねられる。彼らもよくわかっている。この軍事独裁を止めるには、日本をはじめ外国からの圧力や介入が絶対に必要なのだ。軍は非常事態宣言を出し、すでに国の全権を掌握したので、いざとなればミャンマー市民の抵抗を合法的に弾圧することができてしまう。でも外国からの目があれば、話は別だ。それに、もし諸外国が軍に厳しい制裁を課したり、国連やASEAN(東南アジア諸国連合)などが介入したりすれば、軍は譲歩せざるを得ない。 
 
もちろん私の個人的な発信に、そんな大それた力はない。それでも、ひとりでも多くの日本人がミャンマーで起きていることを知り、話題にしてくれたら、それが回りまわって日本政府の対ミャンマー政策を、あるべき方向に動かしてくれるかもしれない。ミャンマー軍を政府と認めないでほしいと、民主国家として立ち直るための交渉をしてほしいと、日本政府に伝えてくれるかもしれない。 
 
一人ひとりの小さな力を結集させて、大きな抵抗運動を巻き起こしているミャンマーの人々を見ていると、わずかでも可能性があるなら、私もここでできることはすべてやろう、という気持ちになっていた。 
 
▽「世界はこの現実をきちんと見ていてほしい」 
しかし、その日の夕方、軍はアナウンスを出した。内容は、抗議の声をあげた市民に対して「国家の安定と治安を混乱させる行為を防ぐために、法的措置をとる」というもの。そしてその直後、ミャンマー北部の一部地域で、突然新しい法令が発表された。 
 
 5人以上で集まらないこと。 
 公共の場で集会を開かないこと。 
 夜8時以降は、外出しないこと。 
 
つまり、今日みたいに路上に集まってデモをしたら、明日は弾圧(あるいは逮捕)しますよ、という意味だ。唖然としているうちに、次々に他の地域でも同じ法令が出され始める。軍事独裁政権というのは、全権が軍に渡るとは、こういうことなのか・・・!全身の血が沸騰する思いがした。 
 
みんな1人では心細くても、同じ気持ちをもった人が集まれば、動き出すことができる。それを見た人の気持ちも変わっていく。つまり集会の禁止というのは、単に集まることを禁じるものではなく、人の心の動きを封じるものだ。 
 
ミャンマー人の同僚に電話をかけて「明日は全員出勤しないで」と伝える。憤りのあまり声を震わせる私に、彼は「I'm sorry」と言った。こんなときにミャンマーにいるなんて・・・君は日本人で、ミャンマーのために働いているのにね。 
 
私をいたわってないで、もっと怒れよ!!と思った。でも、わかっている。彼だって、悔しくないはずがない。以前、軍政時代がどんなものだったのか私が尋ねたとき、彼はその不自由さや汚職の酷さを「ひどいもんだったよ」と苦笑まじりに説明してくれたのだ。それでも彼は「ネウィン(注1)のときからずっと同じだ。これがミャンマー国軍なんだよ」と穏やかに言った。 
 
私はミャンマーのことなど大してわかっていない日本人だ。でも、経済発展した国に生まれ、民主主義の中で呼吸をしてきた。自分たちのことは、自分たちで決められる国だった。おかしいと思うことはおかしいと言えた。だから、これがどんなに異常で憤るべきことかはわかる。 
 
信じられない、ありえない、と繰り返す私に、50代の彼はこんな風に話してくれた。「僕の人生は、ほとんどが軍事政権だった。何度も立ち上がったけど、軍はいつも容赦なく僕らを撃った。僕らの払った税金で武器を買い、僕らを撃つんだ。狂っているよ。今、デモが盛り上がっているけど、僕は民衆が軍に勝てるとは、あまり信じられないんだ。奴らは、容赦なく撃つと思う」 
 
明日ピタッとデモが止むのか、抗議運動が続くのか、わからない。警察や軍が拘束や弾圧に乗り出すのかどうか、それもわからない。そもそも、あんなピースフルなデモを、いったいどんな理由で弾圧するというのだろう・・・。それでも、抗議を続けるミャンマー国民の命は、軍の思惑ひとつでどうにでもなってしまう。だれの血も流れないことを、ただひたすら祈る。 
 
最悪の事態になったら、きっと軍は再び通信を遮断するだろう。人々は連絡手段を失い、分断され、拘束され、デモは潰されてしまう。残された手段はCDM(公務員のストライキ)。それだけで、この軍政が覆るのだろうか・・・ 
 
週末にインターネットを遮断された時、ミャンマー人の同僚はこう言っていた。「今ミャンマーで起きていることを、世界はちゃんと見てくれているのかな」 
 
ミャンマー人は、もうすぐ完全に手足を縛られてしまう。どうか忘れずに、見ていてほしい。そして日本政府に、ミャンマー国軍を政府として認めるなと、訴えてほしい。どうか、どうか。 
 
<注1> 
1974年から88年まで続いた軍事独裁政権(当時、ビルマ連邦社会主義共和国)において、実権を掌握していた人物。 


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