2023年02月09日12時13分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(11)「恐怖からの自由」(アウンサンスーチー)を胸に 西方浩実

2月28日は、ヤンゴンだけでなく、ミャンマー中で同じようなことが起きていた。電話をかけてきた地方在住の友人は、悔しさを訴えるように、上ずった声で言った。「警察と兵士は、非暴力のデモ隊にいきなり催涙弾を撃ったんだ。撃つぞ、なんて一言も言わなかった!」 
 
そして数名のデモ参加者が拘束されたという。武器も持たず、ただ声をあげただけの市民が、一体どんな罪を犯したというのだろう。「警察は、拘束した人たちを夕方5時に解放すると約束した。だから家族や友達は警察の前に集まって解放されるのを待っていたんだ。でも解放なんてされなかった。それどころか、警察は待っている人たちを怒鳴り、威嚇射撃をして、さらに何人も拘束したんだ。」 
 
「僕は今、血液が煮えるほど怒っている。でも正直、もう心が消耗しきってしまった・・・。これ以上はもう言葉にできないよ」。彼はため息交じりにそう言うと、電話口でじっと黙り込んだ。 
 
たくさんの罪のない市民が、殺された。(18人死亡、という海外向けの報道は、地元メディアのものと比較すると少ない(注1)翌日には、遺された人たちの姿がFacebookで拡散された。息子をなぜデモに行かせてしまったのかと、狂ったように泣き叫ぶ母親。もう二度と会えない父親の遺影を片手に、わけもわからず泣きじゃくる小さな息子。ずっと愛してるよ、と2人で撮ったセルフィーを投稿し続ける恋人。 
 
「00人が死亡」というセンセーショナルな数字は、もはや意味をなさない。殺された一人ひとりに人生があり、大切な人がいた。せめて、あの人はこの素晴らしい民主国家をつくるために犠牲になったのだ、と遺された人が胸を張れるようなミャンマーになりますように。 
 
それでも、3月1日も、2日も。窓の外からはデモの声が聞こえてくる。 
28日に比べたら規模は小さいが、それでもかなりの人数だ。人々の悲しみや怒りが、絶対に軍政を受け入れないという決意に変わっているように感じる。なんて勇敢な人たちだろう・・・。 
 
この勇敢さを支える一つの要因は、アウンサンスーチー氏が貫いてきた信念だ。アウンサンスーチー氏は、NLD党を設立した当初(1988年)から「国民が同意しないすべての命令と権力に、義務として反抗しよう」と、まさに不服従をスローガンに掲げてきた。 
 
また、真の自由とは「心の中の恐怖からの自由(Freedom From Fear)」だとして、恐怖によって「自国の囚人」にならないように、と一貫して語り続けた。今、命がけでデモに参加している若者、Generation Zたちは、民主化以降ようやく解禁されたアウンサンスーチー氏の本を読み、その言葉を浴びて育ってきた最初の世代なのだ。 
 
デモ隊の装備はますます本格化している。最前線に立つ若者たちは、ガスマスクをつけたり、金属の板を首にかけて胸の前に吊るしたりして、このメチャクチャな武力行使を生き延びようとしている。盾には「PEOPLE」の文字。警官隊の盾に「POLICE」と書かれていることに対抗して、我々はミャンマーの人々とともにここに立っているのだと、無言でアピールしているのだろう。 
 
中には、盾が足りないのか、衛星放送の丸いアンテナを構えている人もいる。雨傘を広げて、向こう側から自分たちの姿を隠す様子もある。消火器を抱えている人は、銃撃された時に、頭部を狙い撃ちされないように煙幕を張る役目だ。アンテナや傘や消火器など、日常風景の中にあったものが、防具として使われている現実に、何ともやるせない気持ちになる。 
 
仏教徒の多いミャンマーならではの抵抗手段もある。僧侶が托鉢をするときに持つ黒い器を、上下逆さにして頭上に掲げるポーズだ。普段、人々は托鉢僧へのお布施や食べ物をこの器に入れ、功徳を積む。これを逆さにすることは「お前たちに功徳など積ませない」という意味を持つそうで、これは、日々の功徳を積むことで来世の幸せを願う仏教徒にとって、大きな心理的なダメージとなる。 
 
デモ隊の足元には、水の入ったビニル袋が積み重なっている。警察や軍に催涙弾を撃ちこまれたら、デモ隊は逃げながら、このビニル袋を催涙弾に向かって投げつけるのだ。アパートの上層階に住む住民たちも、水を含ませた毛布を路上に投げ込み、なんとか催涙ガスの発生を止めようと応援する。 
 
こうして可能な限りの防御体制をとり、武器などは持たないまま、デモ隊は拳を突き上げて叫ぶ。民主主義を返せ! 
そして銃弾を撃ち込まれると、必死で逃げる。自由を叫びながら。軍が頭部を狙って水平射撃をしようとも、決してやり返さずに。 
 
軍は3月2日、国営紙の一面にこんな記事を掲載した。 
「ミャンマー警察は、人々の暴動や抗議に対して、最小限の武力、かつ最も被害の小さい方法で対応している。警察は民主主義的に対応をしている。これは他の国よりもさらに甘いものだ」 
 
▽絶望に耐える 
3月3日。初めて鍋を叩くのが嫌になった。こんなにみんなが毎晩力いっぱい鍋を叩いて、大声で歌って「絶対に軍政は受け入れない!」「民主主義を返せ!」と声の限りに叫んでも、暴力を振るわれたらどうにもならないじゃないか!やられっぱなしじゃないか!そんなことわかっていたけど、本当にもう、嫌だ・・・。 
 
血まみれで横たわる人。泣き叫ぶ声。燃やされるバリケード。 
力任せに殴られる医療者。破壊される救急車。 
銃弾に倒れた人を蹴り、物のように引きずる警官。 
ベランダで動画を撮る市民に、容赦なく撃ち込まれる銃弾。 
両手を首の後ろで組み、護送車の前に列をつくらされる大学生。 
 
これ、外国に侵攻されてるわけじゃないんだよ。同じ国で生まれ育った、同じ言葉を話す人たちが、同じ国民にやってることなんだよ。信じられる? 
 
そして、こんなに酷い仕打ちを受けてもなお、暴力は使えない。相手は圧倒的な武力を持っていて、その気になれば市民を皆殺しにできる。その気になるのなんて、きっと一瞬だ。 
 
軍にとって市民の命は、もはや虫けら以下なのだ。そうでないなら、正当な理由もなく、こんな残虐行為ができるわけがない・・・。 
 
そして私も、こうやって怒りのままに書き殴っているけれど、これだって一体何になるだろう?ミャンマーに心を寄せてくれる人がシェアしてくれて、文章がSNSの中でぐるぐる回って。 
・・・それでどうなる?毎日書き続ければ、誰かひとりでも死なずに済みますか。 
 
今日も自宅の近くで、銃声が上がった。一斉に飛び立つ鳥。数十秒おくれて、火薬の匂い。デモ隊が家の横の細い路地に飛び込んでくる。息をひそめる。そして警察が引いたのを見計らって、また路地でシュプレヒコールを上げる。声の限りに叫んでいる。 
 
確かに彼らは負けていない。だけど・・・勝てるのだろうか? 
 
そう思って、いやいや、と頭を振る。恐怖を植え付けられ、無力感に打ちのめされ、支配されてきたミャンマーの歴史。それを繰り返さないために闘っているんだ。 
 
負けるもんか。負けるもんか。 
 
注 
1.民間メディアThe Democratic Voice of Burmaでは、当日夕方5時の時点で少なくとも19人の死亡が確認された他、未確認の死亡事例が10件以上あると報道されていた。 
2.後日(4月9日)、軍の報道官ゾーミントゥンは記者会見で、軍による市民への武力弾圧について「木を育てるためには害虫は駆除されなければない」と述べ、まさに虫けら扱いしていることを明らかにした。 


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