2023年02月12日11時19分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202302121119240

アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(12)バリケードを越えての帰宅 西方浩実

3月3日、ミャンマー軍や警察の残虐行為により、心が一度死んだ。でも、そんな私を再び笑顔にしてくれたのも、やっぱりミャンマーの人だった。 
 
あの日の翌日、地方に住む友人は、電話でこんな報告をしてくれた。「今日は警察がきたらすぐに逃げられるように、バイクでデモをやったんだ。誰も傷つかなかったから、安心して。」 
 
さらにその次の日。「今日は座りこみのデモをしたよ。途中で警察の車がきたけど、参加者の何人かが警官に交渉しに行ったんだ。僕たちは平和にやるから、撃たないで。僕たちにはデモをする権利があるはずだ、って。」 
 
・・・そんなやり方があったのか。あまりに純粋で真っすぐで、胸が詰まる。 
 
恐ろしくないはずはないのだ。ミャンマー全土で、クーデター以降、無抵抗の市民が何十人も撃ち殺され、何百人も刑務所に入れられたのだから。それでもミャンマー市民は、ひるまずに声を上げ続ける。自暴自棄になるのではなく、命を大切にしながら、非暴力を貫きながら。 
 
マンダレーのデモを伝える写真には、最前線に立つ若者たちが手にする盾に「DEFENCE FORCE」(防衛隊)の文字があった。軍や警察がどんなに凄惨に武力で弾圧しようとも、自分たちは守備に徹する。その強い意志を盾に記し、自らに誓いを立てているかのようだ。 
 
女性たちもがんばっている。ヤンゴンの一部では、大通りを横切るように張られたロープに、女性用のロンジー(巻きスカート)がズラリと吊るされた。Twitterには、道をふさぐバリケードにブラジャーを山のように吊り下げる女性の写真。実はミャンマーには、女性が履いたロンジーの下をくぐったり、下着に触れたりすると男性の権威が落ちるという迷信がある。これを逆手にとって、権威を重んじる軍や警察に対する心理的なバリケードを張ったのだ。 
 
女性性を「穢れ」とする男尊女卑の文化は、決して好きではないし、迷信や占いを信じるミャンマーの風習は、私には理解できないこともある。でも当の女性たちが、これを巧みに利用して平和的に抵抗の意思を示す姿は、あっぱれだ。 
 
軍や警察の圧倒的な暴力に屈さず闘い続ける若者たちを、周囲の住民も一丸となってサポートしている。ボランティアが飲料水のボトルを配り、お昼時にはお弁当が差し入れられる。お弁当のフタには、デモ隊の安全を祈るメッセージ。 
 
デモ隊が逃げる時に落とした物は、脱げたサンダルからスマホのような高級品まで、ちゃんと周辺住民が保管しておいてくれるそうだ。私の自宅アパートでは、警察から逃れたデモ隊が路地に飛び込んでくると、セキュリティがすかさず路地に面した裏門の鍵を開け「こっちだ」と呼び込んでいる。デモが終わる時刻になると、どこからともなく無料送迎の車がやってくる。ヘルメットを緩めた若者たちが、鼻歌を歌いながら乗り込んでいく。 
 
それぞれが、持っているものを進んで差し出すのだから、暴動や略奪など起こりようもない。かつて4年連続で世界寄付指数ランキング1位(注)を誇ったミャンマーの、面目躍如。 
 
私の自宅周囲は、相変わらずバリケードだらけだ。出先からタクシーで自宅に戻ろうとすると、あの道もこの道も塞がれている。警官や兵士も見当たらないので「ここから歩くからいいよ」と言うけれど、運転手はなるべく近くまで行くから、と、裏道を探して走り回ってくれる。 
 
タクシーから降りると、その辺にいたおじさんが「どこのアパート? あぁ、それならこの道を行くといい」とバリケードのない道を教えてくれる。ドラクエの親切な村人みたいだな、と思わず笑ってしまう。 
 
国軍による暴力や不当な逮捕は、今日も続いている。ミャンマーは平和です、とは決して言えないのだけれど、平和を愛するミャンマー人たちのおかげで、私は今日も元気に暮らしています。 
 
▽深夜の銃乱射 
夜8時から戒厳令のミャンマー。毎晩ほとんどぴったり8時にカンカンカン・・・と鍋叩きの音が聞こえ始めるので「あ、8時だ」と、もはや時報のような感覚になっている。ひとしきり鍋を叩き終わると、反軍政のシュプレヒコールを叫び、民主化の歌を歌う。 
 
毎日、誰よりも張り切って叫んでいるかわいい声は、民主主義の意味などわからないであろう小さな子どもたちだ。街中みんなで叫ぶこのイベントを、きっと毎晩楽しみにしているんだろう。 
 
そのあとは、棒を手にした自警団の住民を路上に残し、街はしぃんと静まり返る。夜中はあまりに物音がしないので、自警団たちの話し声が丸聞こえになり、どこかで警察に聞きつけられやしないかとひそかにヒヤヒヤしている。 
 
しかし3月7日、夜10時頃。街が静まり返る中、自宅で知人と電話をしていた私の耳に、パァン、パァン、と連続で発砲音が聞こえた。・・・え?うそでしょ、今?・・・音は少し遠い。だけど間違いない、銃声だ。デモもないこんな静かな夜に、なぜ・・・?心拍数が上がる。ごめん、と急いで電話を切る。 
 
確かに前夜から、ヤンゴンは緊迫した状態にあった。戒厳令で人々が外出できない夜の間に、警官や兵士が大人数で民間人の家に押し入り、地区のリーダーや議員などを何人も連行したのだ。(そのうちの1人は翌朝、血まみれの遺体となって帰ってきた。) 
 
だから、夜が危険なのはわかっていたけれど、実際にこんなに静まり返った夜中に銃声が聞こえると、軍は一体どこで何をしようとしているのか、と嫌な想像と不安でいっぱいになる。 
 
30分後。なんとなく落ち着かないまま寝る支度をしていると、すぐそこからパン!パン!パン!と連続で銃声がした。条件反射で窓に目をやると、外の暗闇が、発砲音に合わせてピカッピカッと赤く染まっている。えっ、うそ、と思わず声が出る。その後もたて続けに響く銃声に、思わず「ひゃぁ」と情けない声をあげてしまう。 
 
ベランダから外の様子を確かめようと思いかけて、いや待てよ、と思い直す。銃声はものすごく近かった。外に出ちゃダメだ。そっと寝室の窓に近づき、こわごわと外を見下ろす。いつの間にか街灯はすべて消され、あたりは真っ暗だ。夜闇の中、すぐ横の路地にトラックのような車の影。警察車両だろう。 
 
路地に面した台所に回る。あろうことか電気がつけっぱなしになっている。思わず舌打ちをし、急いで電気を消す。そして窓から少し離れた位置から、そっと路地を見下ろす。十数人の警官たちが、何発も執拗に発砲している。ものが壊れるような音はしないので、威嚇射撃なのだろう。警官たちのうしろには警察のトラックが3台、闇に紛れてじぃっとしている。地中から響いてくるような、低いエンジン音。気味が悪い。 
 
そこらじゅうのアパートの壁を、警官が手にした懐中電灯の光が這う。何かを探しているのか。私が息を潜めている台所の窓も、一瞬かすめて、通過していく光。 
 
私は毎日この台所から路地を見下ろしながら、夜中に警官や兵士が来たら鍋を叩いてやるんだ!なんて思っていた。でも、ぜんぜん無理だ。怖い。こんな脅しにビビって、動揺している自分が悔しい。・・・悔しいけれど、震えるほど怖い。 
 
相手が銃を持っているって、こんなに圧倒的なんだ。警官や兵士に銃口を向けられながら、毎日叫び続けているデモ隊は、どれほど怖い思いをしているんだろう。そして、どれほどまでに自由を切望しているんだろう。今さらのように思い知る。 
 
翌朝9時、午前1時からのインターネット遮断が終わると、Facebookには昨夜の様子が続々と投稿されていた。昨夜は、ヤンゴン中のあらゆる場所で警官隊が銃を撃ちまくったようだった。映像には、静まり返った街をうろつき発砲する警官の様子が映されている。 
 
そうした無数の映像に紛れて、なぜか夜空に花火が上がっている映像。再生してみると、銃声につづき、なんと勇敢にも花火を打上げている人がいる。「Happy New Year!!」と叫ぶ声が重なる。・・・あぁ、なるほど。確かにこのパン!パン!パン!と連続する銃声は、ミャンマーのお正月(4月)に鳴る、花火や爆竹の音に似ている。 
 
・・・すごいな。思わず笑ってしまう。Freedom from Fear。銃声だって、これでもう怖くない。まったく理不尽な暴力に対して、どこまでも平和に返すミャンマー人。この人たちには本当にかなわないな、と思う。 
 
注 
イギリスのCharities Aid Foundationが2010年から発表している、人助け・寄付・ボランティアに関する指数World Giving Indexにおいて、ミャンマーは2014年から2017年にかけて4年連続1位を獲得している。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。