2023年02月18日10時50分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(14)日常化する非日常 西方浩実

3月13日、穏やかな週末の昼下がり。突き抜けるような青空。今日はデモ隊が近くにいないらしい。シュプレヒコールのかわりに、物売りの間延びした声が響いている。だが、ベランダでのんびり洗濯物を取り込んでいると、にわかにバタバタと慌ただしい足音が聞こえ、自宅横の路地に数人が走り込んできた。 
 
▽穏やかな日常は砂上の楼閣 
なんだろう、と外に目をやると、住人たちが急いでバリケード(といっても竹を編んで作った衝立(ついたて)のようなもの)を立てている。あれ?今日はデモもやってないのに、どうしたんだろう?落ち着かない気持ちで眺めていると、衝立の隙間から向こうを覗いていた住人たちは、口々に何か叫ぶやいなや、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。 
 
30秒ほど経っただろうか。 
バキィッ!という豪快な音とともに竹の衝立が蹴破られ、衝立の向こう側から赤いスカーフを巻いた警官隊の姿が現れた。戦隊ヒーローの番組で、悪の集団が登場するシーン。まさにあんな感じだ。 
 
うわ、やばい、来た。とっさにベランダの手すりの高さまでしゃがみ、目立たないようにこっそりと様子を伺う。赤スカーフたちは4〜5人で、数枚の衝立を蹴飛ばしたり踏みつけて折ったりと、必要以上に暴力的に振る舞う。バキィッ、バキィッと、竹の骨組みが折れる音。やたらとゆっくりした動きが、妙に恐ろしい。 
 
ふと気がつくと、路地にも、そこから枝分かれするさらに細い道にも、見渡す限り人っ子一人いなくなっている。さっきまでリヤカーを引いていた物売りも、店番をしていた露店のおばちゃんも、立ち話をしていたおじさんたちも、みんなきれいに姿を消し、息を潜めている。静まり返る街に、バキバキと衝立をへし折る音だけが響く。 
 
執拗にバリケードを破壊した警察は、辺りをぐるりと見遣ると、ゆっくりと路地を歩き出す。後ろから警察車両が7台ほどつづく。荷台にはぎっしりと、銃を手にした警察官たち。住民の誰かを捕まえにきたのか、それともただこの道を通りたいだけなのか。このまま止まらずに通り過ぎてくれ、と念じながら、息を詰めて見守る。銃を握ったこの警官たちが、今にも引き金を弾くんじゃないかと思うと、体がこわばる。 
 
結局、警察たちはものすごくゆっくりとしたスピードで、バリケードを2つ破壊して、通り過ぎて行った。はぁ、よかった、と胸をなでおろす。 
 
住民たちはしばらく息をひそめていたが、数分たつと、1人、2人と路上に出てきた。もう行ったよね、という感じで、軍の去った方を見やりながら言葉を交わす。その話し声を聞いた住民たちが、大丈夫みたいだぞ、と家から出てくる。静止していた時間がゆるゆると動き出す。そうして何事もなかったかのように、またいつもの生活が始まった。 
 
私が暮らす地区は、警察のマークが厳しい場所ではなく、銃声を聞くのは数日に一度くらいのものだ。だから、そこらじゅうにバリケードは張り巡らされているものの、普段はそういう状況下なりの穏やかな暮らしが営まれている。バリケードのおかげで車が通れなくなった大通りは、デモが終わる夕方にサッカーコートに変わる。バリケードの一部である木材や机などを拝借して即席のゴールをつくり、子どもも大人も汗びっしょりになってボールを追いかけている。 
 
そうした日々の中に、一瞬、こういう張り詰めた瞬間がある。穏やかな日常が、砂上の楼閣であったことを思い出す。 
 
今、外では地域住民たちが、破壊された竹の衝立にかわり、土囊袋を積みあげてバリケードを強化している。聞こえてくるのは、住民たちののんびりした話し声や笑い声。軍の凄まじい暴力と、穏やかな日常のギャップに、戸惑うような、救われるような、複雑な気持ちになる。 
 
▽ブラックアウトするミャンマー 
3月15日、ヤンゴンの情勢はさらに悪化した。日本の新聞では、ミャンマー全土で「38人が死亡」と報じられていたが、実際にはニュース源である地元メディアも、死傷者のカウントが追いついていないという。軍のターゲットにされているのは、ヤンゴン北部から東部の工業地帯。ヤンゴン中心部に比べると、貧困者層の住宅が多いエリアだ。おそらく、各国大使館や軍関係者の居住地域などがある中心エリアは避けているのだろう。 
 
中国系の工場には昨日、次々と「何者か」によって火が放たれた。中国が裏で軍を支援していると信じる市民が暴徒化したのか、と思ったのだが、市民らは「軍の自作自演だ」とSNSで猛反発。どちらが真実か断定はできないが、軍にはこうした卑劣な工作についての前科がありすぎるほどある。(もちろん軍はこれを、暴徒化した市民によるものと断定し、非難している) 
 
TwitterやFacebookには、雨のような銃声の中、走って逃げるデモ隊の姿。中には、後ろから銃撃されて崩れ落ちた仲間をどうしても捨て行くことができず、足を止めてしまう人もいる。盾を背中に背負い、仲間の上に覆いかぶさって、もうこれ以上仲間の身体が傷つかないようにと、必死で守る。追いついた警官や兵士は、その身体を忌々しげに蹴り出し、仲間から引き離して引きずっていく。 
 
拡散された動画や画像の中には、軍や警察側から流出したと思われるものもあった。「これから○○地区で撃ちまくるよ。この瞬間を待っていたんだ」と楽しげに話す兵士。市民が必死で逃げる様子を、のんびりと橋の上から眺める警官隊。夜空の下、パーティ会場でカラオケやダンスを楽しむ警官と兵士たち。内部告発にしては、撮影者が特定されるリスクが高すぎる。なぜ、こんなものが流出してくるのか。あるいは国軍側が市民を挑発しているのか。わからない。 
 
さらに悪いことには、ついにモバイルインターネットが完全に遮断された。これまでインターネットの遮断は、深夜1時から朝9時までの8時間だった。しかし今日から、スマホからのインターネットは24時間つながらなくなる。私の場合、自宅にWifiがあるので、朝9時以降はインターネットを使える。しかしミャンマーの一般家庭で、自宅にWifiがある家は相当少ないだろう。 
 
問題は大きく2つある。1つ目は、スマホでの情報共有ができなくなること。今までミャンマーの人たちは「どこで警官がデモ隊を弾圧している」「○○地区に軍のトラックが集まっている」などという情報を、SNSやチャットを使い、リアルタイムで共有していた。そうしてデモ隊たちは、できるだけ危険を回避しながら守備に徹してきたのだ。しかしモバイルインターネットが切られると、こうした情報共有の手段が失われてしまう。 
 
2つ目は、今目の前で起きていることを発信できなくなることだ。路上でデモ隊が武力弾圧されても、現場の映像は今までのようには上がってこなくなってしまう。実際、3月14日まではFacebookをひらけばいつも、どこかの誰かがデモの様子をライブ配信していたのだが、15日以降はほぼ上がってこない。友人によると、ミャンマーでは保存容量の大きい高価なスマホを持っている人がまだ少ないので、録画を撮りためておくことができず「録画しておいてあとで投稿」ということが難しいのだという。 
 
これまで国際ニュースになってきた画像や映像などの中には、一般市民のスマホからの投稿が相当数含まれていた。まず誰かがSNSに投稿したものが、ユーザーたちによって瞬く間にシェアされ、拡散されていく。ローカルニュースがその真偽を確認し、記事や映像として編集、配信する。最後に、外国メディアがそうしたローカルニュースの情報を引用し、報道する。つまりリアルな一次情報は、市民が路上から、モバイルインターネットを使って発信してきたのだ。 
 
そうした映像は国際社会に発信されることで、ミャンマー市民を守る盾にもなっていた。軍が市民に対してどれほどの弾圧をしているのか、記録し告発する監視カメラの役割を担っていたからだ。 
 
だが、モバイルインターネットの遮断によって、ミャンマー関連のニュースはガクッと減るだろう。デモ隊が銃声の中、逃げながら撮った臨場感のある映像。警官隊と対峙する若者の、張り詰めた表情。そうした「絵になる」情報は、もう消えかけている。 
 
だけど、忘れないでほしい。映像が届かなくなっても、覚えていてほしい。市民たちは自由をあきらめずに、闘い続けている。あまりに理不尽で残虐な暴力に対し、必死で抵抗を続けている。もはや警官だけでなく、迷彩服の兵士が直接制圧し始めたヤンゴンで、今日も自宅の窓には、風に乗ってシュプレヒコールが届いている。 
 
最後にダメ押しで、信じられないニュースをひとつ。3月19日、ロシアから軍に、兵器が送られてくるらしい。ミャンマーの市民を殺すための兵器だ。やりきれない。どうして世界は、こんなことがまかり通る仕組みになっているんだろう。 


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