2023年02月24日11時00分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(16)「あなたの自由を私たちの自由のために使って!」 西方浩実

「あなた方のフィードから、ミャンマーはゆっくりと消えていきます。インターネットの完全遮断は時間の問題でしょう・・・。どうか、ミャンマーのために声を上げることを、やめないでください」(注1)4月3日、1日8時間のインターネット遮断が始まって、約50日。モバイルインターネットが使えなくなって、約20日。もう十分に不便なのだけれど、昨日からさらに、一部のWi-fiが遮断された。 
 
▽奪われていく情報の自由 
ミャンマー人の同僚は「先週やっとの思いでポータブルWi-fiを手に入れたのに、むだになってしまった」と肩を落とした。彼女の自宅にはWi-fiがなく、モバイルインターネットが遮断された時点で、いわゆるネット難民になっていた。そこでWi-fiを導入しようとしたのだが、取り付け工事はすでに数ヶ月待ち。最終的にポータブルWi-fiに頼ることにしたのだった。それもヤンゴンでは入手できず、地方にいる親戚を通じて、普段の2倍の金額で購入したという。 
 
職場でこの話を聞いた私も、自宅の通信状態が気が気ではなかった。Wi-fiが遮断されてしまえば、情報にアクセスする手段はなくなってしまう。新聞もテレビも、もはや軍に都合の良いことしか伝えないプロパガンダになり下がり、まともな報道は今やインターネットでしか見られないのに。何の情報もなければ、家の外に出るのもこわい。街が今どんな状態なのか、今日は近所で武力弾圧が行われていないか、どうやって知ればいいのだろう・・・。 
 
同僚たちに、自宅でインターネットを使えない人たちはどうやって情報を得ているの?と聞くと、口々にこんな答えが返ってきた。「電話で連絡し合っているんだよ。たとえば僕の家にはWi-fiがあるから、毎晩ネットがない友達がみんな電話してくるんだ。毎晩、今日はどんなことがあったか、まとめてシェアしているよ」 
 
「遮断される前に、Facebookで呼びかけている人もいるよ。『自分のWi-fiは遮断されない型のものだから、情報がほしい人は今のうちにコメント欄に電話番号を書いて。毎晩ショートメッセージで情報を送るよ』って」。こういう、表面上は見えない助け合いが、抵抗を続ける市民を支える「草の根」となり、地中でネットワークを形成している。 
 
かつての軍政を知らない私は、クーデターが起きて以来、周囲のミャンマー人たちに「軍政のとき、何が一番いやだった?」と質問してきた。答えは、だいたい3つくらいに絞られるが、中でも多いのは「情報統制」だ。 
 
「テレビも新聞も、フェイクニュースしかなかった」 
「僕たちは21世紀になっても、白黒テレビで国軍放送を見ていたんだ」 
「10年前に民主化するまで、インターネットなんて目にしたこともなかった。携帯のSIMカードさえ、1枚1000ドル(約11万円)以上したんだよ」 
 
そういえば日本人のミャンマー研究者も、あるセミナーでこう話していた。「かつて軍政期のミャンマーでは、インターネットを引くのに(情報省の)大臣にまで書類を提出しなければいけなかった。それでも許可がおりるまで1年かかった」 
 
中でも、30代の友人が話してくれたことが、私にとっては最も衝撃的だった。 
「軍政下で唯一信じられる情報は、海外のラジオ番組だった。大学生の頃、僕らはこっそりラジオでVOA Burmese(注2)の電波を拾って、なんとか世界を知ろうとしていたんだ」。自分と同年代の彼が、そんな青春時代を送っていたなんて・・・。 
 
ミャンマーで「インターネットが遮断される」というのはこういう意味なのだ。 
 
ちなみに私の場合、自宅のインターネットは生きていた。はぁ、よかった、と胸をなでおろす。だけど、明日はわからない。いつか、それも近い将来に、すべてが遮断されて何もわからなくなるかもしれない。ミャンマーの人々の声も、もう国外に届かなくなってしまうかもしれない。 
 
そのときはミャンマーの5400万人に代わって、世界中の一人ひとりが声をあげてほしいと、切実に願う。アウンサンスーチー氏は、かつての軍政下で世界の人々にこんな風に呼びかけた。 
 
「あなた方の持っている自由を、持たない人のために用いてください」 
 
▽機能不全に陥った街 
4月10日、今日もカラッと晴れ上がった青空のヤンゴン。ミャンマー正月(4月中旬)の訪れを告げるパダウの花が、地面に黄色い絨毯をつくる。その鮮やかな色に、自然と足が止まる。この美しい国が今、激動の最中にあるなんて、誰が信じるだろう。たった1ヶ月半で、何の罪もない人が600人以上も殺されたなんて、どうして信じられるだろう。 
 
最近、シュプレヒコールや銃声を、めったに聞かなくなった。赤い旗も、アウンサンスーチー氏のTシャツも、ほとんど見かけない。目立ったことをして警察や兵士に目をつけられたら、家に踏み込まれ、暴力を振るわれたり金品を強奪されたりするからだ。そりゃ、口をつぐむのも仕方ないよな、と思う。 
 
穏やかな街にわずかに残る混乱の跡は「Join CDM」や「Respect our vote」という壁の落書き。以前はバリケードの一部だった、道端の土嚢袋。そして、2月2日から途切れずに続く、夜8時の鍋の音。 
 
それでも「非日常」は、街のいたるところにある。たとえば早朝6時から、道端に行列をつくる人々。目的はATMだ。銀行が動かなくなって2ヶ月、いよいよ手元の現金が足りなくなったのだろう。それにしても朝6時とは・・・、と驚いていたのだが、同僚の説明を聞いて納得した。「預金残高がどれだけあっても、ATMの中のお札がなくなれば引き出せないでしょ。だから、まだ機械が動いていない早朝から並ばないといけないの」。 
 
さらに、一度に引き出せる上限額がどんどん変わってきている。2月は、1日1人あたり約8万円まで引き出せた。それが3月には約4万円になり、先週ついに1万5千円になった。銀行のレートと街の両替所レートには、先週から、1ドルあたり60〜80チャット(4〜6円)くらいの差が出始めた。ミャンマーチャットがふたたび紙くずになるのではないか、という嫌な予感がくすぶる。 
 
ヤンゴン生活の悩みのタネだった渋滞は、うそみたいに消えた。特に夜7時を過ぎると、大通りは不気味なほど静まり返る。喧騒と排気ガスに満ちていたにぎやかな街が、今はまるでゴーストタウンだ。モバイルインターネットが遮断されていてGrab(配車サービス)が使えないので、道端でタクシーを拾おうとするが、なかなかタクシーが通らない。こんなことは今までなかった。 
 
仕方なく職場からポツンと歩いて帰宅していると、だれもいない大通りを、車が猛烈な勢いで走り抜けていく。夜8時からは戒厳令だ、さぁ急いで。 
 
多くの公立病院も、機能を止めたままだ。州立や県立の大きな病院では、医療者の大半がストライキに入ったため、軍の占領下に置かれ、軍医が派遣されている。とはいえ、医療者の絶対数も足りず、病院はほんの一部しか機能していないという。だが、国営新聞には連日しつこいほどに、病院での診察シーンが、カラー写真付きで掲載される。我々はちゃんとやっていますよ、患者もこんなに感謝していますよ、と言わんばかりに。 
 
私には、心疾患をもつ友人がいる。クーデター後のストレスのせいか、彼女は3月に一度、狭心症の発作を起こした。心臓の痛みに怯えながらも、彼女は軍が占領する公立病院ではなく、私立病院を選んだ。数日後、退院した彼女はこう言って嘆いた。「マンダレーの大きな公立病院に行けば、治療ができる機械がある、と言われたの。でも今は、その病院も軍に占領されている。だから治療が受けられない」。 
 
軍医ならいるんじゃない?軍医の治療を受けるのは嫌なの?レベルが低いの? 
そう聞くと、彼女はこう答えた。「レベルは知らない。でも軍人たちにとって、私たちみたいな一般市民の命は軽いんだよ。少なくとも私は、彼らが一生懸命治療してくれるとは思えない。・・・あなたは、信用できない人に命を預けられる?」・・・そうか、そうだよね、と思う。この国の大多数は、軍をまったく信用していないのだ。 
 
返す言葉に詰まった私は、別の質問をする。「もし医療者がCDMをしなければ、治療を受けられたわけでしょ。医療者はCDMをやめて、病院に戻ってきてほしいと思う?」 
 
彼女は迷いなく答える。「そうは思わない。確かに私には、治療が必要だよ。だけど、そういう人は限られているでしょ。一方で、CDMはすべてのミャンマー人にとって重要なの。だからCDMは続けなきゃいけない。CDMは、私たちの希望なんだよ」 
 
ミャンマーの市民生活は、機能不全に陥っている。だけどこれは、人々が闘い続けている証でもあるんだと思う。膨大な数の人々が、かつて約束されていた自由な未来をとりもどすために、不便や理不尽をみずから引き受けている。この不屈の信念は、決して消えることのない希望は、どうしたら実を結ぶのだろうか。 
 
<注> 
1・4月2日NIKKEI ASIA記事(https://asia.nikkei.com/Spotlight/Myanmar-Crisis/Myanmar-shutdown-of-wireless-internet-fuels-fears-of-news-blackout)より和訳 
2・ タイに拠点を置く、国際放送局Voice of Americaのビルマ局。1988年の民主化運動で国外に逃れた政治難民などが記者として活躍している。 


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