2023年02月28日12時16分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(17)チラシ一枚で若者が捕まる国 西方浩実

「さっき仲間が捕まってしまった・・・。以前あなたに紹介したあの子も、捕まりました」。4月14日、ヤンゴンに住む友人からの電話に、思わず息を飲む。軍の目をかいくぐって、抗議活動を続けてきた女子大生たち。主要なメンバーは自宅を離れ、身を隠しながら活動を続けていた。捕まらないように、警戒していたはずだった。 
 
▽閑散とした「水かけ祭り」 
「○○通りで軍が検問を始めたんです。それで所持品を検査されて、引っかかってしまった」。何を持っていたの?と聞く。「チラシです」。あぁ、と思わずため息が出る。チラシか・・・。 
 
それはモバイルインターネットが遮断されたミャンマーで、人々の連帯や行動をよびかける、ほとんど唯一の手段だった。若者たちがチラシを配って呼びかけていたのは、非暴力の抗議。夜空をスマホの光で彩る、ハンドライト・ストライキ。道路や壁に赤いペンキをまく、レッドキャンペーン。デモ隊が弾圧され、何百人もの人が殺されてもなお、若者たちは軍政に対し、そうした小さく平和なレジスタンスを地道に続けてきたのだった。 
 
誰も傷つけない意思表示。それでも、捕まってしまう。チラシが見つかってしまったとき、どれほど怖い思いをしただろう。護送車に乗せられるとき、痛い目にあわなかっただろうか。今頃、泣いていないだろうか。無事に出てきてほしい。拷問もレイプも、絶対にされてほしくない。心配で、くやしくて、胸が詰まる。 
 
それでも彼らの仲間やミャンマー市民が、抗議をやめることはないだろう。国軍が罪のない人を傷つければ傷つけるだけ、反軍政の意思は、その根を深くしていく。チラシ一枚でつかまるような国で、いったい誰が希望を胸に生きられるだろう。 
 
昨日から1週間の水祭り休暇に入ったミャンマー。普段ならそこらじゅうの通り沿いにステージが建てられ、大音量で音楽が鳴り響き、歩いているとバケツやホースで水をかけられて全身ビショビショになる季節。一年の嫌なことを水で洗い流し、澄んだ気持ちで新年を迎えようというミャンマー最大のお祭りだ。 
 
今年は、軍が水かけ祭りの開催を宣言したものの、街は閑散としている。「軍は、いつも通りに水かけ祭りをやって、何事もなくうまくいっているように見せかけたいんだよ。その手にはのるもんか」と、息巻く友人。 
 
一方、いつも陽気な同僚は「今年はみんな2月に(軍の放水車で)水をかけられたからね。水かけ祭りはもう終わったよ!」と、渾身の(?)冗談で笑わせてくれた。新しい1年は、きっと希望で溢れますように。ぎらつく太陽の下、人通りの少なくなった街で、こっそりと祈る。 
 
▽お願い、無事でいて 
4月21日、取り返しのつかないことをした。 
 
数日前、知らない番号から着信がきた。誰だろう、と思いながら通話ボタンを押すと、先日会ったばかりのミャンマー人の友人の声が聞こえてきた。開口一番、彼は言った。「数日間、かくまってもらえそうな場所はありませんか」。取り乱している様子はなかったが、どういう状況なのかはすぐにわかった。軍に追われているのだ。 
 
「ホテルだとだめなんです。宿泊者リストに載ってしまうので」。確かにその通りだ。ホテル側は、警察や軍が入ってきたら拒めない。そしたら・・・私の自宅か。ここに、数日間かくまえるだろうか。起き抜けの、回らない頭で考える。 
 
えぇと、異性同士だから、一つ屋根の下で何日も過ごすわけにはいかないな。いやそれは私がホテルに泊まればいいか。・・・でも、待てよ、そういえばこの家は勤務先で契約している社宅だ。彼を追って警官や兵士が押し入ってきたら、職場がマズイことになるだろう。それは避けなければ・・・。 
 
その人をかくまうことが何を引き起こすのか、とっさに判断できず、うーん、うーん、と唸るばかりの私に、その人はまるで助け舟を出すように「むずかしいですよね」と言った。「ちょっと友達と相談させて。すぐにかけ直すから」。そう言って、一旦電話を切る。 
 
それから信頼できる友人に電話をかけて、ああでもない、こうでもないと頭をひねり、ひとまず1週間の潜伏プランを立てて電話をかけ直す。・・・が、出ない。滞在場所を確保したから電話をください、とメッセージを送り、そわそわと連絡を待つ。 
 
折り返しの電話は、こなかった。メッセージの既読もつかない。こういうときは、こちらからむやみに電話せず、待った方が良い。わかってる。わかっているけど。なんで出ないの。どこにいるの。 
 
もう潜伏先を見つけて移動中なのかもしれない。それか、急いでスマホを替えて、私の番号がわからなくなったのかも。ポジティブなシナリオをぐるぐると何度も思い描く。思い描いた数だけ、その輪郭が濃くなって、現実になってくれたらいいのに・・・。 
 
翌日も、その翌日も、電話はつながらなかった。彼の情報を探して、SNSを徘徊する。どうしてあの時「とにかく今すぐうちにおいで」と言えなかったんだろう。「その人をかくまうとどうなるか」なんてどうでもよくて「かくまわなかったらどうなるか」を真っ先に考えなきゃいけなかった。軍が罪のない人に何をしてきたか、見てきたはずなのに。 
 
数日前にその人に会った時に、私は「困ったことがあったらいつでも連絡してね」と確かに言ったのだ。それを覚えていて、頼ってくれたのだろう。それなのに、私はその約束を果たさなかった。自分の薄情さに腹が立って、恥ずかしくて、泣けてくる。もう一度電話をくれたら、今度こそ絶対に「すぐうちに来て」と即答するのに。そんな後悔をしても、もう遅い。毎晩のように、入ったこともない刑務所の夢を見る。 
 
日曜日には、ジャーナリストの北角さんが捕まった(注1)。ショックだった。前回のような「拘束してみたら日本人だった」という行き当たりばったりの拘束(注2)ではなく、北角さんを狙った、恣意的な逮捕だ。 
 
北角さん逮捕のニュースを知ったミャンマー人の友達が、私に電話をかけてくる。「軍は、北角さんが『偽の情報を広げた』と言っている。ということはつまり、彼は真実を伝えたんだ。自分の国のことじゃないのに、感謝している」。 
 
私の知る限り、北角さんは日本語で記事を書き、日本語で発信していた。外国人でもマイナー言語でも容赦しないぞ。そう言いたいのだろうか。北角さんは、きっとすべて覚悟して報道を続けてきたと思う。だけど、だからって納得できるはずはない。彼はただ、目の前で起きていることを、映像や言葉で伝えてきただけだ。それの何がいけないの。伝えられたくないようなことをしているのは軍なのに。悔しくて泣きそうだ。 
 
2月、軍によるジャーナリストの拘束や民間メディアへの弾圧が始まった時、北角さんのもとで働くミャンマー人記者は、こんな風に語っていた。「メディア関係者にとって、この状況は怖い。軍政下では、法律や政府は僕たちのことを守ってくれない。でも、どんな状況においても、人々には『知る権利』がある。情報はみんなの価値で、知ることはみんなの権利なんです」 
 
<注> 
1・ヤンゴンを拠点にフリージャーナリストとして活動していた北角裕樹氏。クーデター後は動画や記事、オンラインセミナーなどで精力的に現地の様子を伝えていた。2021年4月18日、軍情報局により「虚偽のニュースを広めた」として拘束。収監されたインセイン刑務所では、事実無根の容疑(知人にビデオの購入費として支払った2000ドルが抗議活動の資金となった)を認めるよう迫られたという。約1ヶ月後の5月14日に釈放され、帰国。 
2・北角氏は2021年2月26日にも、抗議デモを取材中に一時拘束されたが、その日のうちに解放された。拘束された際には一方的に警棒で殴るなどの暴行があったという。 


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