2023年03月11日12時20分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202303111220516

検証・メディア

ポスト安倍時代の抗争〜総務省内部文書問題が照らし出していること〜

  朝日新聞の記者だった鮫島浩さんがSamejima Timesで書いていたことですが、朝日新聞社を始め大手新聞社が政府批判的な内容につながる記事が書けなくなっていった背景には、紙媒体の売り上げ部数現象から来る構造的な危機がベースにあり、政府の広告費(一種の補助金)なくして社員を養えなくなってしまった、という現実があったらしいことです。私たちは外側から見ている限り、なぜ安倍政権下で、大手新聞社や放送局の幹部たちがことあるごとに官邸と夕食会などを行っているのか、理解不能でしたが、鮫島氏の情報から、なんとなくですが、背景事情が推察できることになりました。新聞社が事情を読者に説明できなかった理由も、その理由が知られたら、誰も買ってくれなくなると理解していたからだと私は解釈しました。安倍政権から10年近くもこうしたことが続いてきたことを考えると身の毛がよだちます。 
 
  この構造は実は、TV制作のヒエラルキー構造にもつながっています。まずはTV局(キー局)の株主が日本の場合、大手新聞社なので、新聞社が政府の傘下に入れば、放送局もその傘下に自動的に入ってしまいます。さらに、これは紙の新聞と通底しますが、放送局は2008年のリーマンショック以後の景気低迷で打撃を受けたということです。テレビ朝日の『サンデープロジェクト』という番組が消えたのはその直後でした。おそらく、もう大きな取材予算を使う調査報道的な番組は作れなくなったのです。放送局はそれまで外注していたニュースの特集枠も、よほどのケースを除くと、外注せず、自社か子会社のプロダクションで制作するように囲い込みが始まり、外部のプロダクションにとって頼みの綱はNHKになっていきます。とにかく、NHKは金を持っている、というので企画募集には山ほど企画書が寄せられていたのです。NHKの会長に籾井氏が抜擢されたり、経営委員長に石原氏が選ばれたりしたのもこうした時期でした。番組制作の大半を行っているプロダクションにとっては、NHKは生命線となっていったのです。安倍首相があんなにもやすやすと放送業界を支配できた理由も、深刻な業界の不況にありました。制作者たちが経営に苦しみ弱気になり、権力にかしずくような心理的状況になっていることを背景に、トップダウンで一気にメディアを変革しようとしたのが安倍首相でした。マッカーサー元帥が一夜にして日本を民主化できたのと同じで、議論なき序列に暗黙に従う日本社会の構造的力学です。 
 
  ここで何が現場で起きていたのか。これは数多いプロダクションを検証したわけではないので、単なる私の推測に過ぎませんが、 
おそらくリーマンショック後に中小零細プロダクションでは経営陣の刷新が行われたのではないのでしょうか。この時、かつてのような真実探求にリソースを限りなく使うタイプの人は経営にとっては困った人、ということになって、切られていったのではなかったのでしょうか。少なくとも私はそうした会社を知っています。その後に主流になった人たちは、「クライアント様の言うことは神の声」というメンタリティの人々でした。そして、この世代は就職氷河期を経験していて、おそらく先行世代の戦後民主主義的な理想はドン・キホーテの騎士道みたいに小ばかにしていたのではないかと思います。理想がどんなに正しかろうと、現実はそれとは違う。バブル崩壊後に若者たちは犠牲にされた面が確かにあり、その歪みが今の時代にまっすぐにつながっていると私は思います。憲法に対する思い入れが今の50代以上と異なるのも、彼らが生きてきた時代背景が戦後民主主義みたいな理想とはかけ離れた一種の「戦場」だったからではないかと私には思えてなりません。で、この世代が今のマスメディアを動かしているのです。真実の探求を、価値基準の第一に置いていません。彼らの価値基準の第一はクライアント企業の意向であり、権力を握っている政府の意向でもあります。真実の探求はその下にある様々な価値基準の1つに過ぎません。この件で示唆に富むのは宮台真司さん襲撃事件の最近の報道です。 
 
<東京新聞が「「戦後の知性主義が日本を破壊した」自宅にメモ 宮台真司さん襲撃事件 死亡の41歳男書類送検」という記事を出しました。 
  「捜査1課によると、自宅からメモ帳3冊が見つかり、「学者は一番上にきてはいけない人種」「戦後の知性主義が日本を破壊した」「大学教師なら人に偉そうに説教することを目的にしたらいけない」との走り書きが残されていた。2008年ごろに書いたとみられるが、宮台さんら特定の人物の名前はなく、犯行動機との関連は不明という。」> 
 
  この犯人の感受性はもはやTVの制作現場の外部ではなく、制作現場の内面そのものではないか、ということです※。昨今のTV番組のコメンテーターを思い出してみてください。全部が悪というのではありませんが、昔なら考えられない人々がもてはやされていませんか。それはTV制作人自身の内面を代弁している、というのが私の解釈です。 
 
  その結果、安倍首相の時代になって、かつての調査報道の全盛期のメンタリティというのは古臭い騎士道みたいになって鼻つまみ者になったのです。安倍首相が昨年夏になくなりましたが、こうした後継者が今のプロダクションを仕切っている可能性があるのです。もちろん、会社によって違いは大きいと思いますし、これは私の単なる仮説です。 
 
  この仮説をもう少し展開させていただけるなら、ポスト安倍時代の力の闘いが、今回の総務省内部文書事件で露になりました。安倍首相亡きあとの放送のあり方をもとの基本に戻そうという勢力が強まっている反面、抵抗している自民党の政治家たちがいます。さらに、可視化されていませんが、津々浦々に安倍政権時代に出世して会社の経営監督を担うことができた人々がいます。こうした中小零細企業の隅々までが変わって初めて、放送全体が元の基準に戻ることができるのです。 
 
 
※宮台真司氏襲撃事件 被疑者送検を受けて(Videonews.com) 
https://www.youtube.com/watch?v=_cje6xdro9c 
 
  宮台氏の分析は、非常に興味深い。とくに1996年〜97年にかけて若者たちのコミュニケーションが一変した、ということで、これは一知識人に対するテロに留まらない、時代の精神の問題を提起しているのです。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。