2023年04月01日13時32分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(25)軍に隠れてコロナ診療をするCDM医師たち 西方浩実

8月3日。「陽性者の隔離センターには入っちゃダメだ。食べ物も、設備も、医療者も、治療も、何もない」。電話をかけてきたのは、地方の小さな街に住む友人。昨日、体調の悪いお父さんを公立病院に連れて行ったところ、検査で陽性になり、自動的に軍政が運営する隔離センターに移送されたのだという。 
 
▽軍が運営する「コロナ拡散センター」 
だがそこには、ただベッドが並んでいるだけで、あとは何もなかった。丸一日たっても、医療者らしき人の姿はまったく見えないのだという。軍はこの施設を「治療センター」と名付けているが、実際はただ「隔離」の機能しかないらしい。 
 
友人は憤っていた。「食べ物は1日3回、家族が届けなきゃいけないんだ。それで僕は、ビタミンをとれるように果物を持っていった。そしたら、バナナとマンゴーはダメだと返されたんだ。下痢になるってさ」。はぁ?誰がそんなこといったの?と聞くと、彼は「施設の管理人だよ。軍側のやつだ。栄養のことなんて、きっと何もわからないんだよ」と、彼は忌々しげに答える。 
 
彼のお母さんもコロナの症状が続いている。本当は今日、お母さんもコロナの検査を受けにいく予定だったのだが、受けないことにしたという。もし陽性だったら、同じセンターに収容されてしまうからだ。確かに、治療も受けられず、好きなものも食べられず、家族にも会えなくなってしまうのなら、自宅の方がどれほどマシだろう。このまま重症化しても、誰にも診てもらえないとしたら・・・隔離施設のお父さんを思う彼の不安に、胸が痛む。 
 
だがこの状況は、彼の住む街だけではない。聞くところによると、首都ネピドーの公務員用の隔離センターですら、ベッドだけしか提供されていないという。広い部屋にパーテーションもなくベッドが並んでいるだけなので、SNSでは 「隔離センター」でも「治療センター」でもなく、「ウィルス拡散センター」と揶揄されていた。 
 
しかし、それも仕方のないことかもしれない。ミャンマーで最大規模のヤンゴン総合病院ですら、提供されるのは酸素のみで、治療薬は家族が買って届けなければいけないらしい。Facebookには、おそらく入院できなかったのであろう、ヤンゴン総合病院の外の路上にぐったりと座り込み、持参の酸素ボンベから供給される酸素を吸う患者の姿。 
 
そんな目にあうならば、と、患者の家族は自宅に酸素ボンベを運び込み、必死で看病している。そしてその家族もコロナに感染し、疲弊していく。在宅医療を提供する医療者の訪問チームもあるが、ほとんどのチームが軍の目を盗んで少数で動いているので、とても対応しきれるものではない。さらに訪問診療チームもオンライン診察に切り替えている。動き回れば軍の標的になるし、自分たちが感染して倒れるわけにもいかないからだ。 
 
もし家族全員が倒れてしまったらどうするのだろう?友達の話によると、看病してくれる人を雇うことができるらしい。しかしその値段が、驚くほど高騰している。以前は、だいたい1日2000円くらいが相場だったのだが、今は、無資格の人でも1日5600円、看護師だと1日1万円も払わねばならないのだという。平均月収が4万円弱のミャンマーで、こんな大金を払える人が一体どのくらいいるだろう。 
 
そこで、もうひとつのセーフティネットの出番だ。家族全員が感染し、誰も外に出られなくなったら、家の前に旗を立てるのだ。食べ物が必要なときは、白い旗を。医薬品が必要なときは、黄色い旗を。それを見つけたご近所さんが、必要なものを届けに行くこともできるし、新しく立ち上がった『旗対応チーム』なるものに連絡すると、ボランティアの若者たちが必要なものを届けにきてくれるという。 
 
さすがミャンマー。政府に助けてもらえない国民たちの相互扶助ネットワークには、本当に目を見張るものがある。 
 
さて、一方の政府は最近どんなコロナ対策に力を入れているのかというと、なんと、火葬場を増設している。1日3000人を火葬できるようにするのだという。完全に斜め上の解決策で、驚いた。確かに、火葬が追いつかない現実はある。一般のゴミ焼却施設に、遺体が運び込まれている写真もSNSで出回っていた。それはそれで、何とかしなければならないだろう。 
 
しかし必要な治療さえ行き届いていない状況で、医療者たちを逮捕しておきながら、火葬場を増やす、というのは凄まじい違和感だ。国民がどんなに死んでも大丈夫、と言われている気分になる。 
 
お父さんが隔離センターに預けられてしまった友人は、嘲るようにこう言った。 
「ねぇ、覚えてる?軍は去年、第1波・第2波のとき、NLD(国民民主連盟)政権のコロナ対策を批判してたんだ。うまくコントロールできてない、とか言ってさ。それが、見てよ、今のこの状況。笑っちゃうよ」 
 
そう言って彼は、暗くぼんやりとした目で、ハハッと乾いた笑い声をあげた。 
 
▽日本の友人たちから託された寄付を渡す 
8月22日。軍に隠れてコロナの診療をしているCDM(市民不服従運動)医師と知り合った。小さな身体全体が微笑んでいるかのような、朗らかで優しげな女性だ。彼女がコロナ患者の診療を始めたのは、7月下旬のこと。しかし実はその前に、彼女自身もコロナに罹って苦しんだのだという。 
 
「7月上旬に、家族5人全員がコロナ陽性になったの。全員が回復するまで10日以上かかったし、その後もとにかくだるくて。医師の私でもどうなることかと不安でいっぱいだったから、普通の人にとってこれは大変なことだと思ったわ」 
 
大変なのは、身体だけではない。経済的にも大ダメージだったという。例えば、解熱剤のパラセタモールは、7月頭までは1シート500 チャット(約35円)だったが、1〜2週間で3,500 チャット(約240円)まで、実に7倍近くに値上がりした。また家族全員で自宅隔離したため、食べ物を全て宅配してもらわねばならなかった。「お金がかかるのに、匂いもないし食欲もわかないの。本当にきつかった。」 
 
そんな彼女の家には、自主隔離中にも関わらず、ひっきりなしに患者がやってきたという。「私がCDMで実家に帰ってきていることを、近所の人は知っていたのね。それで、コロナに感染したご近所さんたちが、家の外で、酸素をくれ、薬をくれ、と叫び始めたの」。彼女は当初、自分もコロナで動けないのだと説明して帰ってもらっていたという。しかし数日のうちに、今度は「せめて死亡診断書を書いてくれ」という人が次々に訪れるようになった。死亡診断書がなければ火葬してもらえないので、人々も必死だ。 
 
「近所の人たちの声を無視するのは限界だった。隔離13日目に、この人たちを助けようと決めて、14日間の隔離が終わった後すぐに診療を始めた」。7月下旬、彼女は倦怠感の残る身体を引きずるようにして、訪問診療に出かけた。「体もきついけど、財政的にも一気に厳しくなった」と彼女は言う。診察のためにはマスクやガウンなどの感染防護具を準備しなければならなかったが、CDMに参加して以降、半年間給与を受け取っていない上、患者もコロナやクーデターで仕事を失い、診療費すら払えない人が多かったからだ。 
 
日本の友人たちから託された寄付を渡すと、彼女はうれしそうな顔でお礼を言い、「これで聴診器を買っていい?」と尋ねた。「前はもっとちゃんとした聴診器を使っていたんだけど、CDMの時に病院に置いてきちゃったの。今使っているコレは、すっごく安物で、実は肺の音が全然聴こえないんだ」と笑った。 
 
それから、こんなことを話してくれた。「寄付をもらっておきながら申し訳ないんだけど・・・本当に貧しい家を除いては、診察代はほんの一部でも患者に負担してもらおうと思っているの」。もし無料で診療してくれる医師がいる、という情報が広まったら、患者からの依頼が一気に増えて、軍に気づかれるリスクが上がってしまうから、と彼女は説明した。 
 
軍に見つかったらどうなるの?そう聞くと「どうなるかは、誰にもわからないよ。でもまぁ、捕まっちゃうかもね」と彼女は肩をすくめて微笑む。私は思わず憤る。そもそもなぜ軍は医師を逮捕するの?どうせ公立病院の軍医だけでは手に負えないんだから、見ない振りをしていればいいのに!彼女は淡々とした口調でこう説明をした。 
 
「軍は、なぜコロナでこんなに大勢の人が死ぬのか、なぜこんなに火葬を待っている人がいるのか、と不満なの。軍の保健大臣は『世間の医師たちが勝手に医療を提供しているせいで、みんな病院に来なくなる。だから大勢が死ぬんだ』と言っている。そういう論理で、コロナ対応に当たる医師たちが逮捕されるんだと思う。でも現実は違う。病院は満床で入れないし、どんなに明らかな呼吸苦症状が出ていても『陽性証明を出せ』と言われる。陽性証明をもらうためには、公立の検査機関でものすごい長い列に並ばなきゃいけない上に、結果が出るのにも相当待つの。つまり陽性証明の要求は、遠回しの診療拒否だよ。そんな状況だからこそ、私たちが隠れて診療しているの」 
 
診療中、印象に残ったことはある?と聞くと、彼女は困った顔で笑った。「重症化しても、病院に行きたがらない患者さんが多いことかな」。反軍政を貫く彼女だが、酸素を投与しても呼吸苦が回復しないなど、自宅では手に負えないと判断した場合、入院を勧めることもあるという。しかし何人もの患者が「軍が統治する病院に行くくらいなら、死ぬまであなたに診てもらいたい」「あなたが最後まで治療してくれたら、それで満足だから」と、頑として受診を拒否し続けるのだという。そうして結局、彼女は患者を何人も看取ることになった。 
 
患者も医師も、闘っている。この泣きたくなるほど理不尽な現実の中で、それぞれの正義を胸に。 
 
(なお、軍政は7月17日〜9月10日までを、約2ヶ月間に及ぶ「公休」とし、食料調達や受診などを除いて外出を自粛するよう要求した。感染者は7月下旬をピークに漸減し、10月には1日の感染者が1000人を切るようになり、ようやくコロナの感染爆発は収束していった。) 


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