2023年04月10日11時51分掲載  無料記事
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アジア

「異国に生きる ミャンマーのこどもたち」<5>ティンジャン(水かけ祭り)で新しい年を祝う 押手敬夫

ミャンマーの数多い祝日の中でも、最も大切なイベントがティンジャン(水かけ祭り)である。水をかけることで1年の不幸やけがれを洗い流し、心新たに新年を迎えるという意味がある。 
 
ミャンマー暦で今年の元日は4月17日。新年を迎える前の4日間がティンジャンの休日で都合5連休になるが、これはごく最近のことで以前は元日を挟んで10連休であった。 
ミャンマーでは日本のように航空路線は勿論のこと鉄道網も未発達のため、地方からヤンゴン等の大都市で働く人々が帰省する場合はバス利用が大半である。ひとたび辺鄙な地方都市への帰省は片道だけで3日ほど要すこともあるので、ティンジャンとそれに続く正月休みは故郷に帰れる1年に一度の貴重な連休だったのである。 
 
私がヤンゴン駐在当時に体験した水かけ祭りはそれは凄まじいものだった。手で掬って優しく水をかけるような生易しいものではなく、大通りのあちこちに設営されたステージから数十本の強烈なホースで狙いを定めて容赦なく放水し、その他バケツや水鉄砲などありとあらゆる道具を駆使して通りを歩く人々をずぶ濡れにさせる残酷な祭りだが、それがミャンマー人にとっては1年で最も楽しい休日なのである。このくらい強烈に水を浴びれば、どんなけがれもきっときれいに洗い流せるわけである。 
 
若者たちはこの日にあわせ仲間と金を貯めてトラックをレンタルし、荷台から四方八方に水をかけながら4日間街中を走り回る。通りに作られたステージからホースで放水したい人は結構多額の金を払って朝から晩まで水をかける権利を得る。日本で言う大晦日にあたる4月16日は水かけ祭りの最終日で、初日から毎日徐々に値が上がるステージ料金もこの日がピーク、因みに4日間の通し券もある。しかし2021年の軍事クーデター以降ミャンマー人が心待ちしていた水かけ祭りは、軍事政権への抵抗を示すため行われていない。政府が市庁舎前に巨大なステージを設営しても今は誰も申込む人はなく、街を走り回るトラックの姿もない。 
 
ミャンマーの4月は1年で最も気温の高い暑気であり、40℃を越える日もしばしばあるためこうして突然水をかけられても寒いことなどまったくない。暑いから水をかけるというある意味本能的なことだが、日本ではやっと桜が散り始める頃、日中の気温もせいぜい20℃前後でいきなり水など掛けられては大変なことになるため、水かけ祭りとは名ばかりで実際には水はかけない。 
 
ミャンマー人にとって最も楽しい祭りは、日本で暮らすミャンマー人でも同様で今年のティンジャンは4月9日である。日本の各地に暮らすミャンマー人は、それぞれの土地でティンジャンを祝う。 
今回東京では日比谷公園と新宿区の戸山公園の2か所で開催された。ステージでは代わる代わる着飾ったロンジー姿のミャンマー人や日本人が、大人も子どもも歌を歌い伝統舞踊を舞う。 
ミャンマー料理を楽しめる屋台や民芸品を販売するテントもでて、祖国から遠く離れた東京で故郷を思い同胞との1年振りの再会を喜ぶ日である。 
 
日頃、ケヤキハウスでミャンマーの言語や伝統文化を習うシュエガンゴのこどもたちも、今日はお揃いのロンジー姿で先月から練習を重ねた踊りを披露した。こうして彼らも祖国の伝統文化を学んで、また一つ成長していくのである。 
 
夕方になりそろそろ今年の東京でのティンジャンもフィナーレが近づいてきた。 
 
つい先程までミャンマー人によるカラオケ大会だったステージもすべてが片づけられ、舞台には日緬2人の若者が2つ大きな国旗を掲げて登壇した。ひとつは1日も早い平和を願うウクライナの国旗、そしてもうひとつは民主化を願うミャンマー国旗だが実は現在のものではない。2010年に制定された今の国旗は軍事政権下の手によるものでミャンマー国民は嫌っている。軍事政権の正統性を否定し、真の民主化を求め共和制時代のビルマ連邦の国旗がミャンマー人の誇りで、若者はその当時の国旗を掲げている。力強い演奏が流れる中、2人はウクライナとビルマ連邦の国旗を大きく左右にいつまでも振り続け両国の平和を祈った。 


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