2023年05月24日10時57分掲載  無料記事
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アジア

ミャンマー支援募金〈ミャンマーを助けてください!〉当事者の願い (前編)

 「ミャンマーを助けてください!」。読者の皆さんは駅前や街頭でこうした声を聞いたことはないだろうか。 
 
 2021年2月、ミャンマー国軍は突如、軍事クーデターを強行。クーデターにより実権を握った国軍は、民主化運動のシンボルであるアウンサンスーチー氏を含む多数の民主派幹部を拘束し、クーデターに抵抗する市民に対し厳しい弾圧を続けている。 
 
 国軍に抵抗する市民を救うため、在日ミャンマー人たちは全国各地で本国の支援に向けた募金活動を行っている。冒頭で触れた「ミャンマーを助けてください!」とは、こうした募金活動を行う在日ミャンマー人たちの切実な声だ。だが、毎週末の募金活動に参加しているのは、日本で暮らすミャンマー人だけではない。そこには、必ず彼らを支援する日本人支援者の姿がある。今回はそうした募金活動等について、長年、在日ミャンマー人支援に携わる日本人支援者の熊澤新さんにお話を聞くことができた。 
 
以下、熊澤さんのインタビュー全文。 
 
〈募金活動の経緯や目的〉 
 
 2021年2月の軍事クーデター以降、在日ミャンマー人たちは母国の苦境を少しでも救おうと、さまざまな活動を行っている。その一つが、主に駅前や街頭で行われる「募金活動」だ。募金活動は、東京、名古屋、京都、大阪など全国各地で取り組まれているが、今回は首都圏における募金活動についてお話ししたい。 
 
 ミャンマー国内支援のための募金活動は、2021年3月の大規模な抗議デモ(東京・代々木公園/参加者約5,000人)の時に初めて実施した。この時は、120万円以上の募金が集まったのを覚えている。その後、4月頃からは、東京周辺の在日ミャンマー人グループや若者世代を中心とするグループ等が積極的に募金活動に取り組み始めた。 
 
 こうした募金活動で集めた資金については、本国の民主化デモに参加した市民への支援に充てた。具体的に言うと、CDM=市民不服従運動の参加者への生活費やカンパ、銃弾やガス弾を防ぐためのシールドやヘルメットの購入、死亡したデモ参加者の家族への見舞金などだ。しかし、それだけの支援では不十分だった。なぜかと言うと、ミャンマーでは国軍の弾圧から逃れようとする避難民が増加の一途をたどっており、北西部ザガイン管区を中心に国内避難民が多数発生している状況だからだ。そのため、募金活動の資金は次第に国内避難民への支援にも充てられるようになった。 
 
〈募金活動の様子〉 
 
 募金活動は、都内各所、ターミナル駅や郊外の主要駅で毎週土日の午後に実施している。活動時間は、おおよそ13、14時頃から17、18時頃までの3、4時間程度だ。参加者数はマチマチであり、5、6名の時から、30名以上の時もある。こうした募金活動には、募金活動に特化していないグループが取り組むこともある。そうしたグループは主に「パンフレットグループ」と呼ばれており、ミャンマーの現状について書かれたパンフレットを作成し、通行人に配布するグループである。募金活動グループと、このパンフレットグループが合同で募金活動を実施することもあり、その時はかなりの人数が集まる。 
 
 募金活動グループは、メンバー制をとっているところが多く、そのメンバーが中心となって募金活動に取り組んでいるが、もちろんメンバー以外の参加も歓迎される。頻繁に募金活動を手伝っている東京周辺の日本人支援者たちは、多くが特定のグループに所属することなく、複数のグループの募金活動に顔を出している。いわば、「助太刀集団」だ。こういった「助太刀集団」は時折、「本日の◯◯グループの募金活動は参加者が少ないから手伝いに来てください」といった感じで、各地の募金活動に関する情報を共有することもある。 
 
 中には、子どもを連れてくる参加者もいて、募金活動中、子どもは周辺で遊んでいる。複数の子どもが現場にいれば、メンバーが子どもたちの面倒を見ることもある。一種の「保育園」状態で、見ていて微笑ましい。 
 
 募金活動を実施する場所は、高田馬場なら手塚治虫の壁画がある西武線のガード下、自由が丘なら東急線正面改札前、吉祥寺なら駅から少し離れた「サンロード」という商店街前、池袋なら西武デパート前、有楽町なら銀座口の丸井前広場である。特に有楽町で募金活動を実施する場合は、周囲に適当な壁がなく、比較的広がったスペースなので、参加者が円になって立ち、他の場所とは少し変わった“円陣スタイル”になる。 
 
 募金活動中は、1人から3人くらいが募金箱を持ち、あるいは募金箱を設置し、残りの人がパネルや横断幕を持って募金を呼びかける。パネルは、写真とミャンマーについての短いフレーズが書かれたものが多いが、イラスト中心のものや、文章ばかりのものは、通行人へのアピール効果にちょっと欠けるような気もしている。パネルはちょくちょく作り変えたりするため、プラスチックボードに紙を貼り付けたものが多いが、横断幕は長期間使用できるような布製となっている。それに加え、「ミャンマーを助けてください」と書かれた幟(のぼり)も数種類ある。幟は当初、日本人支援者が使い始めたものだが、予想以上に目立つので効果的だ。 
 
 横断幕や幟だけでは物足りないため、通常は一人がメガホンを持ち、ミャンマーの現状や募金活動の趣旨などを訴える。私がメガホンを持つときは、「2021年にミャンマーで軍事クーデターが発生したこと」、「今でも国軍による激しい弾圧が継続しており、空爆などによって大量の国内避難民が発生していること」、「避難民が過酷な状況にあること」、「ミャンマー市民が日本人の支援を必要としていること」などを話す。募金活動を始めたばかりの頃は、私も結構、長時間メガホンを持って喋っていたのだが、最近は在日ミャンマー人も活動に慣れてきて、私よりよっぽど喋りが上手いと感じる。また、約2年前に新型コロナに感染した私の喉は今も絶好調とは言えず、いわば「補欠選手」状態だ。メガホンによるアピールは日本語で行われることがほとんどだが、「リトルヤンゴン」と呼ばれる高田馬場だけは、通行人の中にミャンマー人が多くいるため、アピールがミャンマー語混じりになる。メガホンを持たないメンバーは、「皆さまの力でミャンマーを助けてください。よろしくお願いします」などと声を揃えて合いの手を入れる。このうち、「皆さまの力でミャンマーを助けてください」と言うフレーズは、どういうわけか、各グループが頻繁に繰り返す「決まり文句」となっている。 
 
 時に、参加者みんなで歌を歌うこともある。ただ、歌といっても、8888民主化運動の犠牲者を悼んだ「ガバーマチェブ」などといったミャンマー語の歌ばかりのため、私のような日本人は流暢には歌えない。とはいえ、歌を歌うと場の雰囲気が良くなるため、私は気に入っている。中には、ギターを持参する参加者もいて、彼らの本気度が伝わってくる。 
 
 このように、私たちは日々、募金活動に精一杯取り組んでいるのだが、決して順風満帆というわけではない。(続く) 
 
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熊澤 新(くまざわ・あらた) 
・「ミャンマー民主化のためのネットワーク」代表 
・行政書士(入管・ビザ関係の業務) 


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