2023年06月06日00時32分掲載  無料記事
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欧州

新作映画「誘拐」で描かれたローマ教皇が絡む事件〜チャオ!イタリア通信 サトウノリコ

今年のカンヌ映画祭でコンペティション部門に出品されたイタリア映画「誘拐」は、1857年に実際に起きた事件をもとに作られている。 
 
事件は、1857年ボローニャに住むユダヤ系家族の8人兄弟の6番目、主人公のエドガルド・モルターラが教皇憲兵によりローマに連れ去られたのが始まりである。エドガルドはこの時6歳であった。教皇ピウス9世直属の異端審問所を代表して、ローマに連れ去られたのだが、逮捕状には動機は記載されていなかった。 
 
モルターラ家には、実はカトリック教徒のメイド、アンナ・モリシがいた。1歳のエドガルドが高熱を出して病気になった際、そのメイド、アンナが、エドガルドが死ぬかもしれないと恐れて、密かに洗礼を受けさせたのだ。彼女によれば、洗礼を受けることで永遠の地獄にとどまらなくて済むということだったらしい。 
 
映画では、夜に教皇憲兵がモルターラ家のドアノッカーを叩き、寝ようとしているエドガルドを連れ去っていく場面がある。まさに、「誘拐」そのものである。ローマに連れていかれたエドガルドは、さまざまな宗教から改宗させるための神学校に入ることになる。モルターラ夫妻はエドガルドを家に連れて帰ろうとしても無駄だとわかる。そして、イタリア国内外のユダヤ人コミュニティーが夫妻を支援するという国際的な「事件」となった。この事件はヨーロッパだけでなく、アメリカにも伝わり、1858年の「ニューヨークタイムス」紙には12月に20回もの記事が書かれた。また、集会も行われて、3千人の参加者がエドガルドを家族のもとに返すようにと抗議した。 
 
1859年、ボローニャが教皇領から解放された。新しい政府は、法の下ですべての宗教的信仰を持つ国民の平等と、旧教皇領の異端審問を廃止する法令を可決した。ドミニコ会の司祭でボローニャの最後の異端審問官である、ピア・ガエターノ・フェレッティがエドガルドの誘拐で逮捕され、裁判にかけられた。だが、裁判結果は、フェレッティ司祭が当時の教皇と当時の法律に従っただけだという弁護人の論理が認められて、無罪となった。 
 
教皇ピウス9世のこうした常軌を逸した姿勢には、当時のイタリアの政治情勢が大きく関係している。1846年に教皇に選ばれたピウス9世は、史上最年少の54歳だった。就任当初は、自由主義に理解を示し、前教皇グレゴリウス16世が許可しなかった鉄道敷設を許可したり、出版検閲を緩和したりという政策で、市民に歓迎されていた。さらには、イタリア半島の北部(現在のロンバルディア州の一部、ヴェネト州の一部、トスカーナ州)を支配していたオーストリア帝国が教皇領に軍を駐屯していたが、それに対抗して市民軍を結成し、帝国の指導者メッヘルニヒに対し帝国から教皇領の独立を主張した態度で、市民から大いに支持を受けていた。 
 
ところが、1848年に始まったフランス二月革命の影響で、イタリアでもシチリアのパレルモの暴動、ミラノ蜂起、ヴェネツィア蜂起が起こると、ピウス9世は自由主義の立場から距離を置くようになる。こうした革命運動は、イタリアの統一運動へと続いていく。統一運動を進めていたサルディーニャ王国の指導者がオーストリア帝国に宣戦布告するが、教皇は戦争には一切関与しないという態度を取る。これにより、カトリック教会は自由主義や自然主義などの近代思想とは一線を画していく。 
 
こうした運動の高まりの中、1849年ピウス9世はローマから脱出し、ローマ共和国が成立する。1850年にはピウス9世はローマに戻るが、イタリア統一を推し進めるサルディーニャ王国は教会の力を抑える政策をとり、教皇と王国の対立が激しくなる。1860年には、小公国が分立していた中部イタリアが王国との統一を住民投票で選択し、イタリア統一が進む。中世以来、教皇が支配していた教皇領は、この時期に大幅に縮小した。1861年には、イタリア王国が成立し、イタリア統一は完成する。 
 
エドガルドの「誘拐」事件は、こうした政治情勢の中でピウス9世が教会の権威を保持したいがために、起こした事件だったのだと思う。1870年にローマのアウレリアヌス城の城門であるピア門に狙撃兵部隊が侵入して、イタリア統一が完成したと言われている。その部隊の中にはエドガルドの兄リカルドがいた。エドガルドは家族の元へ帰れるようになったのだが、彼はそれを拒否した。6歳で連れ去られたエドガルドは19歳になっていた。修道院で暮らしていたエドガルドには、この生活から抜け出すという考えが全く浮かばなかったようだ。もうすぐ司祭になる予定であった。 
 
まったくもって洗脳というしかない、哀しい事件である。エドガルドだけではない、他の子どもたちもいたと思うと、教会のしたことは罪が重い。 
 
イタリアでは、幼稚園、小学校と「宗教」という教科が存在する。一応、選択制になっており、親の意向でこの教科を受けるか、受けないかを選択できる。この教科では洗脳というほどではないが、世界がどうやってできたのかを聖書の教えに沿って教えたり、キリストの生涯を教えたりということをする。子ども向けなので、塗り絵をしたり、工作したりなど楽しく勉強できるようにはなっているが、我が家の子どもたちは子どもながらに神様が世界を作ったということと、自然科学の教えに矛盾があることに気が付いているようだ。 
 
今の時代、教条的に教会の教えを信じ込むことはないと思うが、映画「誘拐」を通して、すべての宗教が同じように尊重されることを願うし、すべての人が自分の頭で考えて、自分の生き方を選べる世界ができてほしいと願う。 


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