2023年07月07日09時44分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202307070944485

アジア

ミャンマー「夜明け」への闘い(最終回)友人たちへの心からの感謝と「革命」必勝信じて 西方浩実

2022年4月。日本への帰国が決まった、と伝えると、友人は「えーっ!」と叫び、口をとがらせて言った。「今帰っちゃったら、私たちが軍に勝つところ見られないじゃん!」。でも、それからすぐに思い直したように、笑ってこう言った。「だけど今はミャンマーにいてもいいことないから、日本に帰ったほうがいいよ。私たちが勝って平和になったら、また戻ってきて」 
 
早くミャンマーを出たほうがいい。ここは安全じゃないし、希望もないから。ミャンマーの友人や同僚にお別れの挨拶をするたびに、まるで示し合わせたかのように、みんな同じことを言った。その度に私は、そんなことはない、確かに軍政は最悪だけどミャンマーは素晴らしい国だ、とムキになって言い返した。「チェーズーバー(ありがとう)」と、友人たちは穏やかに微笑む。自分の国を愛する外国人に「早くこの国を去ったほうがいい」と言わねばならない友人たちの心中を思うと、切なさに胸が詰まった。 
 
空港に向かう道すがら、早朝の街路脇にはパダウがポツポツと濃黄色の花をつけはじめていた。パダウは4月、雨が降ったあとに咲く、ミャンマーの新年を告げる花だ。 
 
ミャンマーのお正月といえば、みんな大好き『水かけ祭』。かつて数十年もの間、たった一度しか中止されたことがないというこの祭は、一昨年はコロナ、昨年はクーデターのために、2年連続で異例の中止となった。軍は昨年に続き、今年も「軍政下の平和なミャンマー」を装うべく、ヤンゴン市役所前に大きな特設ステージを立ててお祭りの準備を進めている。ここで楽しく盛り上がる様子を国営テレビや国営新聞で伝え、ミャンマーの国内が安定していることをPRしようという目論見だ。 
 
だが人々はもちろん、その手には乗らない。友人たちは「水かけはやらない」と口を揃えた。私がミャンマーに来たばかりの頃、目を輝かせて水かけ祭の楽しさを教えてくれた同僚も「絶対参加しない」と断言し、それを残念がる様子すら見せなかった。そのかわり、彼はニッと笑ってこう言った。「今年こそ軍に勝って、来年は派手にやるぞ。来年4月、ミャンマーに戻ってくる準備をしておいてくれよ!」。了解、と笑い返し、こっそりと3本指を立て合う。 
 
今も武力での抵抗が続くミャンマー。こんなメチャクチャな軍事政権など続くはずがない、という当初の希望に反し、人々の闘いは今も続いている。クーデター前まで都会で楽しく大学生活を送っていた若者たちの一部は、今日も慣れない銃を手に、40万人規模ともいわれる軍とゲリラ戦を続けている。「春の革命」と名付けられたこの民主化運動において、彼らは人々の希望の光だ。 
 
農村地帯には、私が支援しているPDF(国民防衛隊)の医療チームがある。武力闘争の帰結として、前線では傷を負い、命を落とす人々がいる。そうした人々がひとりでも多く救われることを願い、微力ながら支援を続けてきた。 
 
彼らから定期的に送られてくる写真には、直視できないほど酷いものも多い。火傷で広範囲に失われた皮膚。顎を吹き飛ばされた頭部。原型をとどめない手足。武力を用いて戦うということはこういうことなのだ、と嫌でも思い知らされる。それでも、その先にあるはずの民主主義を、自由な未来を胸に、人々は戦う。無数の痛々しい写真の中で、身体の一部を失った青年が笑っている。後悔はしていない、と言う。何が正解か、私にはもうわからない。ただ、武力行使のほかに希望がないということがあるのだと、私はミャンマーで思い知った。 
 
実を言うと、医療支援を続ける一方で、私は何度か武器を買うための支援もした。軍の兵士を殺すための寄付だ。誰の命も平等である、という当たり前の倫理観に目をつぶり、民主主義の国をつくり直すプロセスを支援しているのだ、と自分に言い聞かせた。それでも、やっぱり間違っていたのではないか、と未だに考える。途上国の人々の命を救いたい、という思いで国際協力の仕事についたのに、いったい何をやっているんだろう、と。だけど、武器がないから逃げ回っている、というPDFの話を聞いて、見て見ぬ振りはできなかったのだ。あの時どうすべきだったのか、たとえ数十年後の未来から振り返っても、わからないかもしれない。 
 
ミャンマーの未来は、まだ見えない。軍は民主派を徹底的に叩き潰し、民主派は軍を完全に解体しようと目論む。どちらも譲歩や和解などありえないという態度だし、私も民主派を支援する一人として、軍に妥協する余地などないと思う。だが一方で、分裂した国をひとつにするときには、本当は汚い取引や談合が必要なのだろうとも思う。国際社会からの後押しも得られない中で、100対0での民主派の完全勝利は叶うのだろうか。ミャンマーの友人たちの「絶対勝つよ」という自信に満ちた笑顔に励まされつつ、「どうやって?」という残酷な質問を飲み込む。 
 
それでもミャンマーの人たちは、きっとゴールに続く道を見つけるだろう。彼らは、未来を切り開くのは自分たち自身だと覚悟している。非暴力が戦略として有効でないと判断した時に、速やかに武力での反撃に切り替えたように、彼らは柔軟に手段をかえながら革命を成就させるだろう。その道のりはおそらくまだ長いけれど、一人でも多くの日本人が彼らの姿を見つめ続け、応援してくれたらと願う。私も、時にどうしようもないやるせなさを抱えながら、これで良いのかと自問を繰り返しながら、彼らとともにありたいと思う。 
 
最後に、言葉を尽くして思いを語ってくれたミャンマーの大切な友人たちに、心からの感謝を。 
より良い未来を信じて立ち上がり続ける人々を、心から尊敬します。必ず勝つと信じています。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。